平静
倉掛絶花は考えていた。茶の間に一人で座り込み、腕を組んで正座をして、珍しく眉間にシワを寄せて、精神を統一するように、心を落ち着かせるように、瞑想というほどの行為ではないが、体を清めているつもりだった。
戦力外通告。これが党首である相良十次の出した結論だ。実の父親を殺した敵であり、実の姉であるのが倉掛百花だ。それを媒介とする柵野眼と平静を保ちながら、仲間のお荷物にならずに戦える保証などない。いや、そもそも自己中心的な絶花に連携という言葉が似合わない。他にも多数の理由から作戦メンバーに加われないのは分かっていた。
だが、姉を救いたい気持ちはある。父親を殺された恨みなどではない。これは自分の運命だと悟った。倉掛絶花は中学二年生にして、自分の死期を悟った。これまで自分の一族が犯してきた罪を背負いながら。ダークヒーローは人知れず悪と戦う。そして、世界を救った後にはこの世から消えてしまう。自分もそうでなくてはならないと。
呪われているのは自分も同じだった。
「あら? 帰っていたの? 学校に行かなかったらしいじゃん」
姉が帰ってきた。ってきり地方の陰陽師を根絶やしにする為に、放課後には家に帰ってこずに殺戮を繰り返すのかと思ってきた。時間から考えて学校が終わったら真っ直ぐに家に帰ってきたのだろう。制服のまま片手に鞄を持っている。眠そうに目をこすり、そのまま二階へと消えてしまった。
「誰のせいで学校に行けなかったと思っている」
そう面と向かって言うのは怖かったので、二階の姉の部屋のドアが締まる音を聞いてから、そう言った。姉に罪悪感などないのだろう。今更、この話を持ち出しては命の危険に関わる。あくまでも自分は姉の気まぐれで生かして貰っているのを思い出した。絶花はジーパンの上に拳を固めた。そして押し付けるかのように、グリグリとめり込ませる。
「チクショウ」
この気持ちをどこへ吐き出せばいいのだ。悲しみの感情など湧いてこない。明日死んでも別に構わないと思っていた父親だった。母親など父が死んだと聞いても、パートへと行ってしまったくらいだ。陰陽師は外界から避ける為に葬式は手短に秘密裏に行う。それに昼の時間に少しだけ参加しただけだった。母も悲しい顔はしていたが、少しも泣いてはいなかった。
絶花も泣くことはなかった。悲しみの感情がない訳ではない。今の自分がいるのは父親のおかげだ。学費や生活費を出してくれていたのはあの人だ。勝手な言い分で、育てて貰っていないとか、愛情を感じないと言ってしまえる相手でないのは分かっている。だが、他人の妻を強引に奪った事への報いだと考えるなら。いや、考えてはいけない。
「あなたのお父さん、死んでいたの?」
背後に私服に着替えた姉の姿が見えた。どうやら感情を読まれたらしい。というか、階段を降りる音が聞こえなかった。考え事に集中していたからだ。姉が悪霊だからなんて設定はここでは関係なのだろう。
「うん。だから学校を休んだ」
「あぁそう。でも明日はちゃんと学校に行けよ」
姉の声が冷め切っていた。姉は自分が殺した相手の顔すら見ていない。死体も見ていない。殺したいという感情だけで殺した。それだから、あんな顔が出来るのだ。
「お母さんはパートでしょ? 今日の夕飯はなにがいい?」
「チョコレートフォンデュ」
「用意できるかそんなもの」
何がいいと聞いたから真剣に応えただけだったのだが、随分と手厳しい声だった。
「昔の家では自分で作っていたよ。ガーナミルクを細かく刻んでミルクと一緒に鍋に入れて弱火で温めるの。パンとかフルーツとか入れて楽しむの。個人的なオススメはメロンパン」
「メロンパンをチョコレートに入れて食べるな。味が付いていないパンの方が美味しいに決まっているだろ」
そう言いつつ百花はエプロンを着る。台所へ向かった姉を遠目で薄らと見ていた。こうして見ると、ただの姉と弟の関係である。本当はこの二人の溝はかなり深いのだが。絶花はもう少し姉を観察しようと思い、自分も台所へと向かった。
「そうだ。お父さんの死体が見つかったでしょ? あぁ、倉掛花束の方ね、私のお父さんのこと。そのせいでどうも倉掛百花という存在が八年前に死んでいることになっていたの」
「消えてしまったもう1つの魂が守ってきた存在が露見したってこと?」
「そうそう。私と一体化したから効き目が無くなったのかもね。だから、私は竜宮真名子という転校生として、新しく苫鞠高校に入学することにしたから。まあ細かい記憶操作は私がしたから。書類関係は乙姫様にさせている。アイツの連絡先を聞いていて良かったよ。竜宮真名子はまだ死体を発見したことにはなっていなかったからね。だからあなたに何をして欲しいとかはないから。ただの現状報告だよ」
「そうなんだ」
記憶操作をしたのか。この間まで陰陽師の知識など微塵も無かった姉が。いや、竜宮真名子の素質ならば軽くそれくらい出来るだろうが。それでも倉掛花束の気狂いの理由はまさにその記憶の書き換えだというのに、それを他の誰でもない姉がするなんて。
姉は本当に良心を失ってしまったのか。姉が包丁で野菜を切る音が、まな板越しに絶花に聞こえる。何気ない行為だろう。別に普通の光景だろう。だが、姉が包丁を持っているというだけで、もう絶花には恐怖へと変わってしまっていた。




