冒涜
倉掛絶花にはたった一つだけ希望があった。柵野眼に勝てる唯一の方法を思いついていた。それは極めて可能性が低く、手に出来る保証など全くと言っていいほどない、いやこの方法は神を冒涜する行為に他ならない。極めて危険な賭けだ。だが、それを手にできない限りは、姉には勝てないだろう。
熱田神宮に神体として安置されている三種の神器。『天叢雲剣』。別名、草薙神剣。スサノオが、出雲国において十拳剣で八岐大蛇を切り刻んだ。このとき、尾を切ると剣の刃が欠け、尾の中から大刀が出てきた。その尾から出てきた剣が草薙剣である。
持ち主にはかなりの不幸が差し掛かることで有名な聖剣だ。一般の世間に知られているような、美しいイメージなど存在しない。二代目の使い手である日本武尊は剣を掛けたところ剣が神々しく光輝いて手にする事ができなかった。その後、討伐しようとした悪神を成敗出来ずに、そのまま病に倒れて死んでしまった。一度、新羅の僧による盗難事件もあった。しかしそれは船が難破して失敗している。
江戸時代に熱田神宮の改修工事があった時、神剣が入った櫃が古くなったので、神剣を新しい櫃に移す際、4、5人の熱田大宮司社家の神官が神剣を盗み見たとの記録がある。神官は祟りの病でことごとく亡くなり、幸い一人だけ難を免れた。選ばれた者でなければ見ることすら許されないのだ。
三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる最強の剣。この地にずっと陰陽師の血族として生きてきた、出雲の国の血が残っているのならば、化け鯨を手懐けたこの力さえあれば、あの剣を手に出来るかもしれない。神聖な人間ですら扱えない。そうでない者は見ることさえかなわない。そんな剣を手にすることができれば。
だが、行く場所は熱田神宮ではない。あそこに言っても、おそらく剣を手に入れる事はできないだろう。あの頑丈な守備を突破する事はできない。ならば、どうすればいいのか。話は簡単だ。自分の手でスサノオのようにヤマタノオロチを倒せばいいのである。捕獲不能レベルの妖怪を倒せる自信が絶花にはあった。姉と対峙するよりも、よっぽどマシな条件だと思った。
8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物。眼は赤い鬼灯のよう、松や柏が背中に生えていて、八つの丘、八つの谷の間に延びている。まさしく日本神話最大級の超最強の妖怪だ。奴の居場所は霊界の中で見当がついている。奴がおそらく復活していることも。妖怪は絶対に死にはしない。ただ、時間をかけて復活するだけだ。おそらくヤマタノオロチも現世に復活しているはずなのだ。
奴がいる場所は……おそらく。
「八岐大蛇が素戔嗚尊に退治された場所。長野県佐久市常和の山田神社そこに祀られている蛇石。その裏側の霊界にいる!!」
ヤマタノオロチが復活したと断言できる理由はある。石が年々大きさを増し、祠を作って覆ったがその祠を壊して出てきたという報告があるのだ。これは奴の復活の兆しに間違いない。
「俺が討伐してやる」
★
「にゃぁ、にゃぁ。相良十次様ぁ。他の五芒星を集めるなんて諦めようよ」
「はぁ? 五芒星の一角である水の巫女が悪霊化したんだ。もう残りの全員を叩き起してでも、全員で立ち向かわなきゃ戦力が足らない。それに今は世界が危機に晒されている時だろ。まさしく五芒星が集合するタイミングじゃねーか」
「だから、世界の危機と思っていない。寝ていて気がつかない。そもそも相良十次を党首だと思っていない。そういう事だろうにゃあ。こっちが無理やりに従うように言っても無駄なのにゃ。いるでしょ? 学校の先生に叱られても自分が正しいって突っ張る強情っ張り。あの類なのですにゃ」
「ちくしょう。じゃあこのまま柵野眼に陰陽師が殺されていく様を、指を咥えてただ黙って見ていろとでも言うのかよ。俺は例え陰陽師のモラルが分かっていない馬鹿でも、古臭い老害でも、自分が党首になると言っているアホも、誰も死んで欲しくないんだよ!!」
その力強い声が響き渡った。その場にいた緑画高校の生徒である陰陽師達を奮い立たせるように。拳を固めて、目を血走らせて、その強い感情を顕にしたのだ。
「怒鳴らないで欲しいにゃぁ。女の子はそういうの怖がるにゃ」
「す、すまん。感情的になった」
矢継林続期は呆れた顔で、その場に寝そべると大きく欠伸をした。そしてジト目で相良十次を眺めながら、猫が顔を洗うポーズをとった。
「猫娘か、お前は」
「ちかっと見直したばい。せからしか、それでいてのぼせとっ。ぞうたんのごと正義感ばい。でも…………安倍晴明様みたいやった」
「はっ、何語だよ、それ」
「気にしないでにゃ。この喋り方が日本に浸透していないのは分かっているにゃ。『がばい』くらいしか日本人は佐賀弁を知らないやろうから」
矢継林続期がゆっくりと立ち上がった。猫背だったのが嘘のように、背筋を伸ばして、腕を伸ばすポーズを取る。そして一言。
「じゃあまずは私が柵野眼と戦ってみるにゃあ」




