名義
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「あなた、誰?」
「誰って、倉掛百花だけど。私の名前を忘れたの?」
陰陽師を殲滅すると決めた今でも、柵野眼は自分を倉掛百花だと名義して苫鞠高校へと向かっていた。ちゃんと制服を着て、夏休みの宿題を鞄に入れて、朝食をしっかりとって、朗らかな笑顔で。今までの自分の人生として守ってきた生活を捨てる気はない。倉掛百花としての生活を大切にしていこうと考えていた。
そして。
「そんなはずはないよ。倉掛百花って、確か八年前くらいに死んだはず」
「ええ?」
隣の席で小学校からの付き合いである友人の相模アリサに朝の挨拶をした。何気なく、素っ気なく、普通の女子高校生がするように。「おはよう」と言ってみたのだが、返事がこない。固まったような顔をして、数秒間後にゆっくりと『あなた、誰?』と言われてしまった。
クラスの全員が恐ろしい物を見るかのような目で百花を見ていた。倉掛百花が1学期中に座っていた席ならばある。窓際で後ろから二番目の席だ。誰もその席には座っていない。ちゃんとロッカーや靴箱にもネームプレートは健在だった。それなのに。
「どうして、ちょっと待ってよ。おかしいよ。私は倉掛百花ですよ? 今までちゃんと一緒に授業も受けてきたじゃん。あれ? おかしいな」
「私は知っているもん。家が近所だからよく遊びに行っていたから。警察の人が大勢集まっていて。初めは空き巣に襲われたとか言っていたけど、お父さんが見つからないらしい。調べたら父親の借金で頭が回らなくて失踪したって。それで娘は殺したのだろうって。うちの家にも何度も聞き込みに来ていたし」
……………。
「どうなっているの?」
「いや、こっちが聞きたいよ。誰なの、あなた。確かに生きていれば私たちと同じ学年だけど、そういうの気持ち悪いんですけど。詐欺師かなにか? なりすまし、みたいな? 気持ちが悪いんですけど」
今まで仲良くしていた友だちだ。家が近所というのも本当である。一学期でも毎日のように会話をしていたはずだ。中学生の頃はソフトテニス部で同じだった。高校一年生の頃も、よく放課後にカラオケに行ったりした。缶ジュースを奢って貰った記憶もある。それなのに。
「おい!! これ、見てみろよ」
持ち込み禁止であるはずのタブレットを持って、男子生徒が声を荒らげた。私以外の生徒は全員が振り向く。その男子生徒の側にいた生徒は、慌てるように駆け寄った。その覗き込む姿を遠目で見ながら、倉掛百花も見たいと思う。
「なんか男の死体が発見されたんだって。白骨化しているとか、ネットでは書いてあるけど。倉掛花束って……」
「私も家の近くで警察が聞き込みしているのを見たよ。死体が見つかったって」
「待てよ、倉掛ってことは。今、俺たちの目の前にいる転校生のお父さんなんじゃ……」
誰が転校生だ、1学期もこの学び舎で勉強をしていたぞ。柵野眼は少しムッとした表情をした。それにしても、父親の死体が発見されるとは。それが影響しているのか分からないが、今までの自分の存在が無くなっていることだけは確かだ。
ここで詐欺師などと言われるのは、柵野眼がレベル4の特性を活かして上手く妖力をコントロールしているからである。悪霊の妖力は常人でも感じ取れる。それもレベル4などになったら、気がつかない人間などいない。
「おい、もしかして幽霊なんじゃないか? 誰か触ってみろよ」
「やめてよ!! あたし、そういうの駄目なの!!」
クラスの全員が怯えるように、倉掛百花から逃げていく。恐怖の顔を浮かべて。掃除用具からモップを取り出すやつまで現れた。涙目を浮かべている奴もいれば、少し楽しそうな奴もいる。なんだ、この教室は。
ただ一人だけ逃げないのは、相模アリサのみだ。彼女は険しい顔をしつつも、あっさりと私の両手に触る。当たり前だが特に何も起きない。そして、一言。
「やっぱり倉掛百花ではないでしょ。だって、アイツはこんな顔じゃなかったもん」
「顔?」
「こんなお淑やかで可憐な守ってあげたい系の美少女じゃなかった。どっちかと言うと、男顔負けの強情張りで、ガツガツしていて、言いたいことは何でもいうのが倉掛百花だった。私の八年前のイメージでは。やっぱり偽物でしょ」
ここで柵野眼は自分の素顔に気が付く。そうか、自分は竜宮真名子に見えているのか。二つの人格が混ざり合った時に、顔の事まで意識が回っていなかった。
「みんな~、平気、平気。幽霊じゃないよ」
その掛け声は有難い気持ちもあるのだが、こうも偽物と呼ばれると心が痛い部分もある。この体は半分は倉掛百花で出来ている為に、別に偽物ではないのだが。まあ完全に同一人物でもないけど。
「転校生ってことでいいかな? 改めまして、お名前は?」
柵野眼と答えるわけにもいかない。人間らしい名前じゃないからだ。柵野眼は一般人にはなるべく正式名称は知って欲しくないと考えていた。だから、こう言うしかなかった。
「竜宮真名子と申します」
変な口調になった。いや、素でもあるのだ。実際に竜宮真名子はこんな話し方だったから。倉掛百花は脳内では、自分の母親である乙姫にこの学校に編入する手続きを、どうにかして貰おうと算段を考えていた。




