毒牙
絶花は諦めた。このままこの男を説得して倉掛百花のもとへたどり着くのは不可能ということだ。七巻龍雅は人の言うことを素直に聞くタイプの人間じゃない。自己主張が激しく、他人の言葉に耳を傾けることをしない。それを察知した。
「おらぁ!!」
巨大なムカデの突進が絶花を迫る。少しでも牙に当たれば毒が体に回り致命傷だ。捕獲不能の妖怪のレベルは伊達じゃない。幅の面積が広く、接近戦へと持ち込ませない。それでいて、的確に絶花を追い詰めていく。折りたたみ傘で甲殻を叩くも、何の効果も生まない。ジリジリと後ろへ後退しながら後ずさりする。距離は開く一方だ。
せめてあの湖の上で戦えるならば有利かもしれない。絶花の御札には化け鯨がいる。奴を水の中に引きずり込んで水中戦にでもしてしまえば、まだ勝ち目がある。ムカデは水中を泳げる、湿気も大好きだ。だが、所詮は虫であり鯨に比べれば泳ぐ力は遥かに劣る。水上戦ではなく水中戦に持っていけばいいのだ。しかもこの場は水の妖力の聖地。属性の不利も覆るかもしれない。
だが、奴はそれを読んでいる。だからこそ、巨大な体を活かしてそっちへ近づけさせないように気を張っている。それどころか、追い詰めることによって奥の森林へと移動させようとしている。ムカデは木登りの達人だ。あの巨体に機動力と隠れ家まで与えてしまたら、本当に勝ち目がなくなる。最悪でもこの平地で持ちこたえなくては。
「おいおい。逃げるだけじゃ勝てないぞ」
「うるさいなぁ」
絶花の式神である化け鯨の能力は、厄災をバラまくことである。運気を奪って不幸な目にあわせたり、疫病患者にしたり、相手を狂乱に陥れたりできる。だが、発動条件は奴との一定時間の接触だ。一瞬カスっただけでは厄災を注入できないのである。ムカデは常に体をしならせて動き回っている。体格差で負けている以上は取り押さえることは難しい。化け鯨の口先で奴を噛んで、果たしてどのくらいの時間まで噛んでいられるか。失敗した時のリスクを考えると、早計な判断はできない。
「おいおい。本当の陰陽師の本気とやらはこんなものかよ」
「挑発のつもりかぁ。安っぽいな、下手くそ」
だが絶花には勝算が一つだけあった。この妖怪の相性が悪く、地の利も悪く、体格も悪い。この絶望的な状況でも、それを逆手に取れる戦術が。絶花以外ではなかなか扱えない、極めて特殊な鬼神スキル『鐚塗』。その効果は相手の位置と自分の位置を入れ替える効果がある。つまり奴が毒牙で絶花を噛み砕こうとした瞬間に、自分と七巻の位置を交換して難を逃れようという魂胆だ。いくら使い手とはいえ、大妖怪の毒ならば即死もありえるだろう。
問題はタイミングだ。奴に確実にこっちが油断したと見せかける必要がある。何かカウンターを狙っているとバレれば、奴は勝負を急がない。完全に奴に勝利を確信させる必要がある。それと、『鐚塗』は極めて集中力が必要な術だ。早すぎても遅すぎてもいけない。完全なるタイミングで位置を交代する必要がある。高難易度は必須である。だが、絶花には自信があった。
絶花は性格が悪いのである。
「おい、豚野郎。俺がお前と戦うのに何の準備もしていないと思ったか」
「あぁ?」
「化け鯨の能力は厄災をバラまくことだ。気が狂うほどの蓄積ダメージは無いが、お前と妖怪と俺の傘がぶつかり合う度に、面白いことが起きるんだぜ」
ハッタリだった。いくら化け鯨が凄まじい能力を持った大妖怪だったとしても、そこまでの効果の速攻性はない。だが、七巻龍雅にそんなことは知るよしもない。
「今度はなんだ、くそガキ」
「頭皮を触って見ろよ。お前、自分じゃ気がつかないと思うが、大事な物が抜け落ちているぜ」
「なに!!」
奴が慌てて片手を頭の上に乗せて抜け毛を確かめている。完全に声は慌てている。やはり七巻龍雅は精神的にまだ未熟だ。それこそ絶花よりも。戦闘中に無関係なことを心配するなど。
「おい、餓鬼。具体的にどれくらい抜け落ちているんだ。俺にはよく分からないんだが」
「えぇ~とねぇ」
ピシャリ、カメラのフラッシュ音が鳴った。絶花のスマホである。マジギレ顔で自分の頭皮を恐る恐る触って確認する20代男性の哀れな姿を写真に収めたのだ。まあ七巻の髪の毛は一本も抜けてなどいないのだが。
「おい、なんで写真を撮る!!」
「山奥でハゲ猿を発見っと。拡散、拡散」
「おい、馬鹿やめろ!! バカッターかお前は!!」
「髪の毛を染める奴ってさ。自分を格好よく見せたいんだろうけど。そういう奴に限って、将来で育毛剤に頼るも効果なくて、みっともないバーコードハゲになるんだよね」
「茶髪くらいでそんなに頭皮にダメージないだろ!! 俺の歳くらいなら誰でも染めているだろうが」
ちなみにこれも絶花の口からデマカセである。絶花は髪の毛に対する豆知識など1つも持っていない。ただ七巻を動揺させることには成功した。いつしか大百足による攻撃の手は止んでいる。これ以上接触したら、抜け毛を増やすと思い込んだのだ。
コイツ、馬鹿だ…………。こんなアホらしい作戦を使ったのは絶花だが、その本人が少し驚いていた。




