物書きになりたいなら、人と話せ
自身の反省?後悔?をまぜた、物書きを目指すなら人と関われ。 と言う為だけのエッセイらしきもの。
なお、書いているのはランクイン通知をもらえてはいるが、それほど上位にいけないヘッポコ素人物書きの言である事に注意が必要です。
自分はあまり人と話すのに向いていない話し方と性格をしております。
だからなのか、人との接触を出来るだけ避けたがり、接する時は最小限だったり事務的と言うかビジネス的と言うか、そう言った当たり障りの無い話し方でなんとか乗り切ります。
人間嫌いと言ったものでは無いのですが、小学生の頃は何も考えず自分の事ばかりで喋っていて、大きなミスをやらかしたのがキッカケだと思いますが、それ以降で人との接し方がガラリと変わって消極的になりました。
……まあそんな身の上は良いんです。
要はあまり人と接してこなかった。 それを言いたいだけです。
この人と接してこなかったってのが、物書きにはとても痛いマイナスポイントだと痛感しております。
こうして素人で、手慰みであろうと、小説?で人を書いているとこう感じるのです。
人間の引き出しが圧倒的に少ない!!!
作品中にキャラクターを沢山登場させようとしても、性格が被る被る。
被りすぎて無個性なキャラにしかならない絶望。
生き生きとした人間を書こうとしても、参考に出来るヒトが全然いない、思い出せない失望。
あまり喋って来なかったからこその、キャラクター同士でどう会話させれば良いのか思い付かなず、もっと経験を重ねていればと渇望。
…………ね。
自身の経験ってものは、かなり重要なんです。
誰かがやらかして、罪悪感と言うか叱られたくないって恐怖と言うか。
そう言うのを抱えながらどう喋るのか、どんな挙動をするのか。
楽しそうに何かを自慢したくてたまらない人は、どうやってその質問を相手からさせようとウザい動きをするのか。
本当に悲しい人はどう落ち込むのか、立ち直るのか。
外から見るだけなら白い目を送るだけだけど、内輪でウェーイする楽しさはどんな感じなのか。
他にも色々。
人と話すのは楽しい事だけじゃありません。
イライラする事も、悲しい思いをする事もあるでしょう。
でもその沢山の経験が、物を書く際にチカラになります。
友人達としたバカ話でも真面目な話でも恋バナでもケンカでも、どれもが作品のネタの着想となり得るんです。
読者が共感できる人間を産み出せるんです。
こんな性格の人は特定のワードをよく使うとか、よくアレをしたがるとか、コレを言うと何かのスイッチが入るとか。
特徴をうまく書き出せると、生き生きしてくる。
…………自分は他者と距離を置いて自分の事ばっかりだったから、あんまりなぁ。
あ、人だけじゃなくて物を見るのも重要だし、人と関わった経験を通して見ると、物の意味が、見方が、感じ方が変わることもあるでしょう。
物がどうしてそんな形をしているのか、建物がどうしてこんな構造をしているのか、店の配置がどうしてこうなのか。
そう言うのは専門分野で語る物ではありますが、利用する側からの視点から予想や理解できたりしますし、人との経験で〇〇な人は喜ぶだろうけど△△な人は……なんてキャラクターの動きや感情表現を描写できるようになるでしょう。
こう言うのも物書きの描写として大切な小道具。
世界のあらゆるモノは物書きのネタの種。
人と人が関わる物語を書いて表現する者なら、様々な経験があると極めて有利に働くことでしょう。
勿論、人とあまり関わってこなかったからこそ書ける作品もあると思っていますが、広く一般受けする作品を書こうとするなら、人間の機微に沢山触れてきた人の方が表現のし易さは間違いなく有利でしょう。
結局、1番重要なのは読んだ人を楽しませる文章を書ける才能さえあれば……なんて身も蓋もない話を出されたら終わりな話なのは否定できません。
でもその文才があろうが、それを磨かなければ良くならないのも事実で、どう磨くの? となればやっぱり人と関わるのが1番早い。
次は自身が面白いと感じた作品の書き方、表現方法を読んで学ぶ。
……他は? 多分無いんじゃないかな?
学ぼうとして読んでなくても、読んでいる内に学べてる人もいて、これがまた不公平感がががががががが (嫉妬)
余談として、そんな色々な経験をしなくても、妄想で全部補えるし表現できるぜ!
みたいな化け物が世に出現する事もあります。
ありますが、我々凡人や凡人以下のド素人(自分の事ね)はそんな化け物を参考にしてはいけない。
参考にしてしまったが最後、メチャクチャでグッチャグチャな散文駄文しか書けなくなる呪いにかかってしまうことでしょう。