第20話 氷に閉ざされた黒の神
手駒がやられた。続いて自分たちが、指先となる存在を操って赴いた。
その先に出会った一人の少年の放つ、この世のどの生命にも当てはまらない異質な輝きを前に、二体は破れ去った。
「まさか最低限の目標すら確保できず、退散することになろうとはァ」
「チッ、なんだあの野郎! ウゼェ、ムカつく”力”だ!!」
王都ダンデライオンから離れた禁域の森。そこからさらに離れ、国を囲むように連なる山々の一つ。人が住むには程よい環境が整った村落の跡。かつて存在し、ある事象によって光の中に消えていった遺跡の祭壇に、二つの人影があった。
苔むした石の柱を、一人の女が蹴り飛ばす。かつての村の人々が自分たちの命を顧みず、ただ祈りが届くことを願い、狂気の横を素っ裸で歩くような行いの果てに造られた遺跡。その柱を彼女は、ただ自らの怒りと力に任せて壊していく。
その様を「落ち着きなさい」と、まるで神父のように優しく芯の通った、寄り添いたくなるような声色で宥めるもう一体の声を聞き、彼女はぴたりと動きを止めた。
まるで命じられた機械のように落ち着き、女は仮面の奥の瞳を声の主の方に向け、しばらく黙った後に「その声を出すな」と、口元を不快の色で歪めて言葉を吐き捨てる。
「デュナ。早く戻りますよォ」
「ウゼェ話し方すんなハワード」
「生まれ付きでしてェ。ふふふ」
まるで一触即発のような雰囲気。しかし不思議と、両者はぶつかり合うことなく、デュナと呼ばれた女の方は不快な態度を露わにするだけだった。
ハワードと呼ばれた長身で尖った耳を持つ男は、茶化した態度を取った後。
「それにしても......あの少年の輝き。貴女は心当たりがありますかァ?」
「ねぇよ。気味悪いぜ。我らに似ていて、全く違うようなモンだった」
「我ら”魔神”と限りなく近い別物......。一度、あの者の意見を聞いておきますかァ」
彼らが対峙した”少年”の話題を再び掘り返す。
感覚的にはまるで、親戚のような......少なくとも二人にとっては、気味が悪い後味を与える存在だったのは間違いない。
自分たちでは分からないのなら、”あの者”であれば分かるはず。ハワードはそう考えて、次の行動に移そうと足を踏み出した時。
【その必要は無い】
「「!!」」
どこからともなく、両者にしか聞き取れない声が聞こえた。
人の姿を保つ二体......二人は、聞こえてくる声に従うように一言も話さず、耳を傾ける。穏やかな紳士のようなハワードと粗暴な物言いのデュナの両者が、不自然なくらいにおとなしくなる。
【デュナ=メイクス。”力”の兆候を感じた、迎え。ハワード=イクスシア。お前はこのまま残り、ダンデライオンで種を撒け】
「「御意」」
頭の中に響く、掴みどころのない声。その主は姿を一切見せることなく、命令のみを下して気配を消した。
残された二人は上の空だった様子から、我に帰ったようにハッとなり、お互いに仮面越しに顔を合わせて。
「力魔神 デュナ=メイクス。取りすぎにお気をつけて」
「能魔神 ハワード=イクスシア。テメェこそ、下衆に近づきすぎて堕ちるなよ」
お互いに課せられた使命を果たすため、廃墟の遺跡を出ていき、やがて姿をくらませた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二体の魔神が、学院での任務に失敗した。
その様子を二体の瞳や五感を通して記憶していた、”もう一体”。その者は、薄暗く閉ざされた部屋の中で、一際大きなぬいぐるみを抱えて、ピクリとも動かずじっと固まっていた。
霊峰。神が住まうとされる、世界で一番大きな山。その頂上は人が住むには過酷どころか、ほぼ無理と言っても良い場所だ。しかし、そんな環境に反するように、一つの巨大な城が山の斜面に建てられている。
まるで溶岩が冷えて固まったような、美しく艶のある材質でできた黒い巨城。至る所を大きな雪が覆い尽くし、自然の脅威は今にもその城ごと、中に住まう人々を埋め尽くさんとしている。
「......今日もキレイね」
ぬいぐるみを抱える者が、立ち上がる。窓の外の吹雪を眺めて、皮膚を剥ぎ取りそうなほど冷え切った冷たい床を素足で踏んづける。地面に転がる、赤い模様の入った仮面を避けて、薄く透けた小さなワンピースを揺らしながら、窓にピタリと手を張り付ける。
窓はわずかに、姿を反射して写している。地面に届くまで長く、白く透き通るような服と、そんな衣服に似ている髪色。瞳の色は薄くなった赤色で、まるで赤子の頬に似た色をしている。しかし素肌は恐ろしいほど白く、瞳の色とは対照的な不気味な色だ。
身の丈は小さく、その見た目はまさに少女そのもの。幼さを感じる顔たちで、容姿はこの世の人間なら皆「飾りたくなるくらい素敵」と、口を揃えて言うに違いない。
そんな歩く宝石のような少女が、クスリと小さく笑って、窓を少しだけ開ける。外の凍てつく冷気が流れ込み、吹雪が部屋の中に侵入してくる。
「可愛い人形たち。今日も元気に踊っているかしら」
流れ込む吹雪に向かって、少女は両手をスッと差し伸べる。激しい雪が腕ごと覆い尽くし、その熱を奪おうと襲いかかってくる。
しかし、少女は痛がる素振りも寒がる様子も見せず、ゆっくりと両の手のひらを空に向かって差し出し、両手の指を伸ばす。笑みを浮かべたまま小さく首を傾けて、真っ白の歯を小さく見せる。
「とてもよく似た”光”。ああ、覚えているわ」
——視界を通して見ていた。
この世界に存在するはずのない力の軌跡を。
どこかの少年が、あの技に似た七色の光を放った瞬間を。
......胸が高鳴る。停滞した体が疼く。勢い余って、飛び出しそうになるのを堪える。
「私の国......王笏を侍らせて来るのは、アナタなのかしら。ふふふ......アハハ!」
怪しく少女は笑う。遠い昔日の記憶が脳裏に浮かび上がる。
自分を無慈悲に切り裂いて、”あの力”で跡形もなく消し去ってきた、”勇気ある者”の姿を。
全知全能の一端を授かり、それをただ崇高な目的の手段としか使わなかった、高潔な魂の持ち主を。
ただ、世界が求める役割を己が身一つで受け止め、機械的に、冷徹に、主感情を押し殺し、戦い続けた哀れな男の生き様を。
——似ていた。懐かしさに身を浸していた。久方ぶりに、何かに対して興味を持ち、それが体にわずかながら熱を灯したような気がした。
「月の愛を。私の死を。お互いに存在が変わっても、切れない縁を辿って来て。待ってるから......フフフ」
吹雪の中に手を差し伸べ、両方の口の端を怪しく釣り上げて笑う少女の姿は、見る人によっては美しき雪の化身と安直に思ってしまうだろう。
あるいは、痛みや寒さなど感じさせることなく、ほぼ裸のような格好で。透き通るように薄い白の衣服を身につけて、吹雪が髪と服の端を揺らすその様は、見れば逃げ出したくなるほど恐ろしくも思うだろうか。
少女はクスリと笑う。窓の外、見えるはずのない景色の向こうがまるで見えているように、どこか遠くを見つめる。
【......楽しみに、しているぞ?】
彼女の瞳には、自分が手の内で支配する人形や遊び場など写っていない。その瞳は、二体の魔神の視界を通して見ていた、”ある少年の姿”を映すのみだった。




