1-2 そよ風の後押し
——三歳になった時の初冬。
ここで初めて、ボクは自分の姿を鏡越しに、じっくりと見ることができた。
父のダビは薄い緑色の長髪。母は紺色に近いストレートの長髪。そんな遺伝子を受け継ぐはずの自分の髪はツンツンヘアで、金色を薄くしたようなクリーム色に、父の髪色のような緑色の瞳を持っていた。
顔立ちは母に似ている気がする。まつ毛は長く、奥二重。瞳はぱっちりと大きく開いていて、まだ幼いので頬はふっくらしている。
以上が今世のボクの姿だ。第三者目線で評するなら......可愛らしい三歳児そのものだ。いや、自惚れとかじゃないぞ?
だって前世のボクは身長が低く、謁見の間では格好よく見せるために、すごく歩きにくい竹馬式の鎧を着せられた。そのくせ顔は少し老け顔だったので、素顔は人に好まれなかった。あの頃に比べたら、この顔は将来有望に違いない。
そして今度こそ長身になりたいなぁ......と自分の将来に期待を寄せながら、外出用に与えられたモコモコの衣服を、母に手伝ってもらいながら着替えていく。
家族を含め準備ができた。父の手を握りながら、家の扉を開けて外に出ていく。
(家からまともに出たことないけど、今日が初めてか。ワクワクするような、なんというか......)
「エディ。父さんから離れちゃダメだぞ」
「うんっ」
この頃になると、エディデアは簡単な会話くらいならできる......という設定にしておいた。三歳児にしては結構、喋る設定かもしれないけど、個人差ということで。
父、ダビは杖を片手に持っている。歩くたびに「カシャン、カシャン」と装飾が揺れる音がして、妙に印象に残りやすい。
そんな父の背中を追って、ボクはトコトコとついていく。家の外に出たのは数回あるが、自分の力で大地を踏むのはこれが初めてだ。
とはいえ以前の世界とあまり変わらない。自分の死、勇者の死亡から何年経ったのか分からないが、外の世界の景色はごく普通の草原地帯といった様子だった。
そんなだたっぴろい草原地帯のはずれ......村から離れたところに、ダビたちは住んでいるらしい。
その理由は分からないが、明確な物は一つ。父の連れて行った先で、答えを得た。
「ひつ、じ?」
「おぉ、分かるのか。すごいなぁお前は。そう、ここは俺の”牧場”だ」
羊飼い。つまり父の職業と、我が家の家業なのだろう。であれば、あの長杖は仕事道具なのかな?
さらに眼前の柵の中の、飼われた羊と一匹の中型犬を見て。「ああ、なるほど」とボクは理解を深める。
どうやらボクは”羊飼いの子”なのか。これはまた、勇者と関係のないというか......。
「ここに座って見てるんだよ」
父はボクを石の柵の上に乗せて、ゲートを開いて飼育場に入っていく。
そして持ってきた杖を両手で持ち、器用にクルクルと回し、小さく変則的な動きを加え、意図的な音を作り出した。
杖の動きか、音のせいか。それを見た犬は指示を理解し、羊たちに伝達する。
「おぉ......」
これには思わず、感嘆の声が漏れて出てきた。一見、なんの関係もない犬と羊が、種族の垣根を超えて人の手で、魔法のように動かされている。
なんと面白いのか。こんなのは生前に見たことはない。地味だが高度な技術なのだろうと、戦いに明け暮れていた勇者の魂は、この世界で初めての興奮を覚えた。大道芸に惹かれる人たちの気持ちが理解できた気がする。
......内心、ソワソワしている。ボクは衝動を抑えられなくて「やって、みたい!」と、まるで年相応の子供のように、本心から声が漏れ出て手を伸ばす。息子の頼みを聞き、父は嬉しそうに近寄って来る。
「これを受け取ったら、お前も羊飼いの見習いだな」
「......」
目線の高さまでしゃがみ、杖を渡してくる父。彼の言葉通り、これを受け取ると、羊飼いへの第一歩だ。
それは勇者になる時に感じた高揚を思い出させてくれるようで、なんだか懐かしい気分になった。三歳児のボクは、幼さを感じさせるふっくらとした頬を吊り上げ、挑戦的な気持ちを胸に、その杖を手にした。
——シャリンッ。
杖のベルの音が鳴った。
遠くの牧羊犬が音に反応するように、振り向いた。
草木を撫でる風が、背中からブワッと拭いてきた。誰かに後押しされたような、そんな気がしてならなかった。
「......?」
今、温かな風を感じた気がした。冬なのに...... ? 振り返って見るが、そこにいたのは父の姿だけ。彼以外には何もいないし、姿も見えない。
些細な違和感を感じた。とても懐かしい。追いかけたくなるような気持ちだったが、その考えは父の「杖を振ってみろ」という一言で吹き飛んでしまう。
そう言われても、やり方はわからない。と考えていたが、戸惑いが芽生える前に、杖を振る。するとなぜか分からないが、使い方がなんとなく分かるのだ。
器用に、父がやった動きを真似する。犬が命令を聞き入れて、羊たちを動かす。
羊の群れが円を描くようにクルクルと回る。杖を引いて、犬に指示する。羊たちが、統率のとれた動きをし、綺麗に横並びになる。
「わぁ......!」
ありえない。自分がなぜ理由もなく、こんなことができるのか。
未知の感覚が体を流れる。楽しい。小さな興奮が胸の中で膨らんでいく。
なんだこれは。こんな些細なことが、勇者の魂を震わせるというのか。あの、戦いに明け暮れていた勇者の魂を? そんな疑問が頭から離れない。
そして一部始終を見ていた父は、驚いたように口を大きく開けたまま、羊たちの様子を見る。
「信じられない......。エディがまさか『技能』を......?」
「?」
「ああいや、なんでもないよ。驚いた。どうやら教える前に、エディには才能があったらしい」
父は微笑みを浮かべて、小さく拍手をする。それがなんだか、今のボクにとってはただ純粋に嬉しかった。
その後も満足のいくまで、ボクは杖を振った。まだ彼の本当の「スキル」に気づくことなく、ただ無粋で未熟だとしても、振り続けたのだった。覚えのないはずの動きが、手に馴染むようにできる。
本当に不思議な感覚だ。いくつか疑問はあるけれど、ボクは満足のいくまで羊たちを操っていく。
——この時のボクと父は、気づいてなかった。
一匹の羊の毛色が、不思議と茶色に染まっていたことに。