音のない音楽祭 1
桜が花びらを散らし、青々しい葉をつけたゴールデンウィークが過ぎた土曜日。
練はゴールデンウィーク前にジュンプウジ科の友人に、校内で行われる音楽祭のチケットを二枚貰っていた。せっかく貰ったチケットを余らしては失礼なので、誰か誘おうと毎日考えては躊躇し、その当日、やっとその相手にチケットを渡す決意が固まり、部屋のチャイムを押した。
「はーい」
と、いつもと同じ間延びした声が聞こえ、ドアが開く。
「あっ、山冨さん。今日もカウンセリングですか?」
人見によるカウンセリングをひと月経っても練は続けていた。またぶり返しては怖いから、というのは建前で、本音は人見と会えるから。なのだが、友乃は練が純粋にカウンセリングを受けに来ているのだと思っている。
「ええ、それもあるのだけれど……人見はいる? 入っていいかしら」
「あっ、どうぞどうぞ。人見さんなら今、朝ご飯にプチトマトとカップ麺食べてますから」
正午から二時間は過ぎていると言うのに今頃食事。しかも朝飯。
相変わらずの生活リズムの崩壊に連休の影響が加わり、ニートの片鱗を覗かせる。それにトマトとカップ麺ってどんな組み合わせよ、とげんなりしつつ練は部屋に入り、リビングの扉を開けた。
「いらっさい」
麺をすすりながらふがふがと挨拶する人見。未だに置かれているこたつの上にはプチトマトがいくつか入った小皿と、お茶が注がれたコップが置かれている。人見はプチトマトをカップ麺に放り込み、箸で潰して食す。
「あまり馨しくはないけれど美味しいのかしら?」
怪訝な目で本来は白いスープだが赤いスープのカップ麺を見つめる練に、人見は当然と自信ありげな表情を浮かべる。
「トマトラーメンってあるだろう。これは簡素トマトラーメンだ。トマト好きなら旨いにに決まってる」
「本当に綾さん?」
人見と同じく、トマト好きである友乃に訊ねると苦笑いを浮かべる。
「私は苦手です。温かいトマトはちょっと」
「そんなことより練。何のようだ? カウンセリングなら飯食った後でな」
そうじゃないの、と練は言って、センリガンを使いチケットを人見に送信する。
「一年の頃一緒のクラスだった貝口さんだけど――」
「ああ、歌織ね。それがどうした?」
「今日学校で行われる音楽部主催の音楽祭で、独唱で出る事になったので誘ってくれたのよ。チケットを頂いたわ。ぜひ人見にも来て欲しいそうよ」
コタツの上に置いていた人見のタブレット型デバイスが振動して、チケットを受信した事を伝える。人見は右手で箸を扱いラーメンを食べながら、左手の指先でデバイスを操作しチケットの情報を見る。
ため息を一つ吐いてから、チケットを友乃に送信した。
「俺はパスで」
「どうして? せっかく誘ってくれたのに」
「あんなまがい物を聴いたって時間の無駄。歌織のオナニー見るより自分でオナニーしてる方がマシだ」
その言葉に腹を立てた練は、友乃の手を取り、吐き捨てるように言った。
「そこまで言う方に聴かせても貝口さんの天晴れな歌声が勿体無いだけね。綾さん、ご一緒しいない?」
「えっ、本当ですか? ちょっと楽しそうだなあって思ってたんですよ」
「三時半に校門で待ち合わせね、持ち物は学生証だけでいいから。ではまた」
いつもよりも五割増しに微笑み、練は部屋を後にした。微笑まれた友乃は背筋を凍らす。怒りを素直に表す梅よりも、わずかに覗かせる練の方が何倍も怖く感じた。
穏やかな風が吹く中、集合時間五分前に着いた友乃は、正門前で練を待っていた。休日だと言うのに制服を着た生徒が大勢校門を通っていく姿を友乃は眼で追う。中には見たことのない制服を着ている人や、小学生や中学生、スーツを着た大学生や保護者なども見かけ、その年齢層の幅広さに友乃は驚く。
そんな人混みの中、いつもとは違い、結った髪を後ろで留めた練の姿を見つけた。
「こんにちは山冨さん。ちょっとお洒落してきたんですね」
「またせてごめんね綾さん。髪のことかしら? ゴールデンウィークに髪留めを買ったからつけてみたの」
銀の金具で出来た髪留めは違和感なく制服にあっていて、練の上品な顔の作りを邪魔せず品を更に際立てている。
二人は一言交わし、音楽祭が開かれる音楽ホールに向かった。
「音楽ホールって、先月入学式をした場所ですよね」
「そうよ。音楽ホールはそれ以外にも様々な事に使用されるわ。演劇鑑賞会、文化祭、卒業式、そして奇数の月に部活動の音楽祭、偶数にはジュンプウジ科の音楽祭が行われるわ。和泉ヶ丘にはジュンプウジの影響で音楽の専門教科があって、クラブにも力をいれているの。貝口さんの独唱以外にも吹奏楽、合唱部、軽音楽部の演奏が聴けるはずよ」
およそ三百人が収容できるホールで行われる音楽祭。登校時間のように多くの人が正門をくぐるところをみると、かなり集客率は高そうだ。
「ところで山冨さん。貝口……歌織さんでした? どういう人なんですか」
「知らないであんなに喜んでいたの?」
恥じらいながら頭を下げて微笑む友乃。
「ええっと、祭りって言うから楽しそうだなって思って」
小学生のような容姿をして小学生のようなことを言うものだから、練は友乃を妹のように感じ、つい頭を撫でたくなる。
「貝口さんはとにかくひたむきな方。少し天然な所があって頑固な部分もあるけれど、持っている歌声のようにすごく純粋できれいな心をしているわ。とにかく歌に嗜む姿は真剣そのもので、部の方達からすごく慕われているのよ。声帯、つまり歌声は消耗品だからと言って話し声を小さくする程、気を使っているわ」
そう言ったあと、顔つきが強張り、人見とは違ってねと毒を吐く。
すると練のセンリガンが反応する。左隅に置かれた友人レーダーで歌織が半径五〇メートル以内にいるという情報が表示される。
「あっ、近くにいるみたいよ。こちらに向かってくるわ」
「どこですか?」
キョロキョロと周りを見渡す友乃。
「来てくれたんだ山冨さん。髪飾り似合ってるよ……あれっ? 人見は遅れてくるのかい、いつも通り」
物腰が柔らかく小さな声が練の背後から聞こえ振り返る。
「あっ、褒めてくれて嬉しいわ、ありがとう貝口さん。人見は来ないわ。で、どうしたの、こんなところで? もう少しで開場よね」
「それは残念。何してたって、歌う前に池の周りを走って身体を温めていたんだよ」
ジャージ姿で汗を流し、手にはスポーツドリンクを持った歌織が立っていた。清潔感のある短髪で誠実そうな顔つきをしている。背は並だが体は引き締まっている。そんな彼の姿を見て友乃は驚く。
「この人が貝口歌織さんですか?」
「そうよ。格好悪い人を想像いていた?」
練はそう言うと、人見と同じで、とまたも毒づく。
「いえ、歌織っていうから女性かと思ってました。初めまして綾友乃です」
首にかけていたタオルで汗を拭う歌織に、挨拶をする友乃。
「この子山冨さんの妹? かわいいね、何年生?」
練が言っていた通り、歌織は通常の声量よりも小さな声で話す。しかし声が通っているのでそれほど聞き辛くはない。
「違うわよ、貝口さん。ちゃんと話を聞いてあげて。この子は綾友乃さん。苗字が違うわ、それに私と同じ和泉ヶ丘学校の制服を着ているでしょう」
ごめんごめん、と小さく笑いながら歌織は言う。失礼な発言に怒っていると思っていた二人だが、友乃は嬉しそうな表情を浮かべていた。
「あれ? 小さいと言われて喜ぶなんて面白いな、君。ということはこの子が人見の代わりに来てくれたのかい? なるほど、噂通りに小さいな」
そう呟いて歌織は腰を屈め友乃に視線を合わす。友乃は噂? と首を傾げる。
「ええ、ちょっと忙しいみたいだから。ごめんね、連れて来られなくて」
「いいよ、残念なのは山冨さんの方だろうし。では、またステージで」
「えっ、それってどういう事?」
練の問いには答えず、歌織は爽やかな笑顔を見せてホールの方へ駆けて行った。
「山冨さん。どう考えても歌織さんって人見さんより良い人そうですね」
「それはわかってるわ」
唇を尖らせ、髪飾りを触り、練は不機嫌に言った。
ホールに着くと入り口付近にカード読み取り機が置かれていた。学生証を通すと、運営スタッフの名札を付けた生徒がヘッドホンのような物を持っていて、観客に「演奏中は外さないで下さい」と言って渡していく。受け取った友乃はどうすればいいか戸惑う。
「山冨さん、これって?」
「ああ、ジュンプウジの試作品よ。普通のヘッドホンのようにすればいいのよ。これは、演奏の音を聴こえやすく、立体的にする機能が備わっているの。あとはプログラムを読んで、出演者の紹介なんかもアナウンスしてくれるわ。それと会場案内の機能のみだけれどね」
「すっごいお金かかりそうですよね」
「そうよね、電気代は太陽電池だから大丈夫ね、けれど開発費がすごそうね。観客全員に配るのだから」
友乃は練の声を聞きながらヘッドホンをはめた。すると、ホールは正面突き当たりを右に曲がり……、という席までナビゲートする機械的な女性の声が聞こえてきた。
「うわあ、すごいですね、これ」
珍しいおもちゃを貰った子供のように興奮する友乃とは違い、練はナビはいらないとクールに呟き、ヘッドホンの右側に付いたボタンを押してナビゲートの電源をオフにした。
ホール内は十列程のえんじの席が並べられ、更に左右中央と三つに区切られている。二人の席は前から二列目の中央で、観賞するには良い場所だった。席に着いた頃にはほとんどホールは埋まっていて、観客の話し声が何重にも重なりあっている。
そして開演時間から五分程が過ぎるとジュンプウジからアナウンスが流れ、最初に女声合唱が行われた。合唱部は各組三曲演奏することになっていて、男性合唱、混声合唱と続く。
つまらないと感じればすぐ眠ってしまう友乃だが、演奏中ずっと前屈みになり、目を輝かせて聴いていた。舞台から近いので、生徒の歌う顔がはっきりと見え、生の声も体に響くので迫力がある。初めての生演奏に友乃は感動しきりだ。
混声合唱が終わると休憩が入り、知らず知らずのうちに体に力を入れていた友乃は脱力し、大きく息を吐く。それを見た練は慎ましく笑う。
「このような綺麗な調べを聴けば、自然と清々しい気持ちになるわよね。綾さんが目をそんなにもきらびやかにしてくれて、誘った私も嬉しいわ」
「こちらこそありがとうございます。にしても、どうしてこんなに楽しいし感動できるのに人見さんは断ったんですかね? 不思議で仕方ないです」
それを聞き、練は複雑な表情を見せた。
「彼の気持ちをわからないでもないわ」
「えっ、山冨さんも人見さんみたく、オナ――」
と言った所で練は顔を真っ赤にして友乃の口を抑えた。
「大勢の人がいるのになんてことを言うの。おっとりとしているに油断ならないわね。そうね、理由は聴いていればわかるわ……最後までね」
休憩が終わり、後半が始まる。
軽音楽部が四曲、吹奏楽部が六曲演奏し、最後の演目、歌織の独唱が始まった。
「うわっ、貝口さんですよっ。さっきと印象が違います」
舞台袖からでてきた歌織は先ほどのジャージ姿とは違い、きっちりと制服を着こなし、ステージを何百人に観られているというのに、堂々とした足取りで舞台上を歩く。中央で立ち止まり、スッと背筋に芯が入ったような綺麗な姿勢で正面を見つめた。その顔つきは凛々しく、強い意志を感じられる。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。そして僕のような未熟者に、このような場を与えてくれたことを合唱部、軽音楽部、吹奏楽部の方々に感謝いたします。では、この音楽祭に良いピリオドを打てるよう全力を尽くします」
大きな声ではないが、通りの良い声で歌織は言い、頭を下げるとホールは拍手で埋め尽くされる。頭を上げると静まり、歌織はピアノ伴奏者に目配せし、正面にいる指揮者に顔を向け頷いた。それを見た指揮者は指揮棒を上げ、ピアノに向けて大きく降り始める。川の流れのように緩やかで美しい伴奏が流れ、指揮者は歌織の方に向き、歌織は眼と口を大きく開いた。
歌織は男声とは思えない程の高音を響かせた。しかし弱々しくはなく、胸の中にスッと入ってくる様な歌声だ。音程にリズム、そして強弱。どこにもミスがない、完璧な演奏が耳に届いた。が、一番を終えた辺りで友乃はある事に気付いた。
ほんの一瞬、わずかだが、口を閉じているのに声が聴こえた様な気がした。変だな、と周りを見渡す友乃だが、皆、歌織に視線を向け聴き入っている。
友乃はどうして? と呟き、練を見つめるが、人差し指を口元に立て、静かにしなさいと合図を送られる。
演奏を終えた歌織がお辞儀をすると、一斉に手を叩く音が響く。
「ありがとうございました。また六月にお会いしましょう」
そう言うと満足そうな表情を浮かべ、ステージの袖に戻って行った。
ヘッドホンから退場の案内のアナウンスが流れる中、練は友乃のヘッドホンを片耳だけ外し、ざわつきに消えるか消えないかのギリギリの声量で言った。
「綾さんが危惧した事は当たっているわ。彼は歌声を無くしてしまったのよ」




