彼女の異常な欲情 6
練と梅が人見の部屋につくと、人見が面倒そうに欠伸をして迎えた。
「すまん。完璧主義者は帰ってくれ、ついでに友乃も連れてけ」
「完璧主義者ってあたし? どうして出て行かなきゃだめなのよ」
梅の反論を聞かず、人見は友乃を呼び、近くのファミレスにでも行けと言う。
「聞いてんのかよ、人見! あんたと二人きりにして何か得でも――」
「カウンセリングなんて一対一で行うもんだ。だから邪魔」
もうちょっとマシな言い方があるだろうと睨みつける練だが、人見とは水と油のように相容れないことをわかっている。だから文句を言っても疲れるだけだと判断し、この言葉に怒りを込める。
「練さんに何かあったら殺すから」
梅は不機嫌そうに振り返り、靴を履く途中の友乃の手を引いて部屋から出て行った。
「じゃあ俺の部屋に来い。カウンセリングを始める」
人見の部屋は、暗い友乃の部屋とは対照的に真っ白で明るい。そして物が全くなかった。
「何もない部屋なのね?」
「ああ、カウンセリング室にしてるからな。DKにパソコン置いてるし、コタツで寝るから別に不便じゃねえよ」
二人は向かい合うようにして床に座ると、練が口を開いた。
「どうして人見がカウンセラーをしているの?」
「それはだな……学費を稼ぐ為だ。お前なら知ってるだろうけど、うちは貧乏だからな。だから、佐藤が手に負えないか、都合が悪いと判断した生徒は俺のとこにくるようになってる」
手に負えない、都合が悪い、その言葉は酷く練の精神をえぐる。
「専門家が駄目だと言ったのに……治るのかしら」
「だから俺がいるんだよ。さあ言ってみろ。話の筋道なんて迷路でもいいから」
その言葉を聞いて練は笑い出す。
「どうしたんだ、笑って」
「いえ、ただ何年も会話していなかったのに、和やかで違和感を覚えないから不思議に思えて」
人見は鼻で笑う。
「俺たちの関係なんてそんなもんだ。いいから話せ、俺は暇に見えて忙しいんだから」
笑みをこぼしながら頷く練。二人だけでプログラミングを勉強した小学生の頃に戻れた様な気がして、嬉しくなる。
練は一息吸ってから話しを始めた。謎のプログラミング言語、プログラミング中の自慰、spysで会話のタネを探していた事、会長と部長の兼任は疲れるといった愚痴まで、今頭の中にある全てを。
話せるはずがないと思っていた自慰の話も、いざ本人を目の前にするとすんなり言葉が出て練は少し驚いた。
それは、すれ違った月日を埋める二人にとって密度の濃い時間だった。
「あっ、もうこんな時間ね、人見」
一通り話し終え、時計を見ると五時間が経過していた。
「だな、喋り過ぎだ」
「そうね、でもひもすがら話していたいわ。……ありがとう」
憑き物が落ちたように柔らかい自然な笑みを浮かべる練と眼が合い、つい照れて眼をそらす人見。
「やっぱり練はありのままでいた方がずっといいと思う。その方がストレスは溜まらないだろうし。で、診断結果だ」
足を組み直し、じっと練の瞳を見る人見。普段と違い真剣そのものなので思わず練は息をのむ。
「お前はspysでスパイスを降りすぎたんだ」
妙なダジャレを言い、沈黙が流れる。半笑いだった人見だが、無表情の練を見て、仕切り直しだと真剣な表情に戻し、咳をして続きを口にした。
「恐らく原因はストレスだ。spysで人の気持ちを伺いながら話す事、生徒の代表としての振る舞いを行う負担、センリガン開発者の娘としての重圧、そして三年になってからは自分に憧れを抱く者が同室者となった。日々のストレスが溜まる事で練は自慰を行った。発散させる為に」
「でも、どうして人ではなくてプログラムに?」
「その根っこにある物はなんだ? 考えてみればわかることだ」
あっ、と全ての糸が繋がった事に練は驚く。それと同時に納得した。
「プログラム?」
「そう、プログラミングしないでいれば、練は全てのストレスから解放される。だから無意識にあの特別なプログラミング言語に欲情し、嫌悪感を抱かせようとしたんだ。でもお前は辞めたくはないんだろう? プログラマーを」
練は梅の言葉を思い出す。誰かの役に立つ事が出来た喜びは何物にも代えられない。そして人見と過ごした幼い日々も。
「ええ、辞められないわ。でも他を無くせばいいでしょう」
「そうだな、その選択は練がやれよ。あとはそうだな。時間があればカウンセリングするから来てくれ。毎日でもいいから」
そう言ってから人見はゆっくりと頭を下げた。突然の事で練は驚く。
「どうしたの人見?」
「謝らなきゃいけないことがある、友乃の事だ。あいつの儀式に付き合わせて悪かった。余計なストレスを与えたことをすまないと思ってる」
「けれど、人見の事だから理由があるんでしょう?」
「全てが終われば話す。だから今は訊かないでくれ」
これも人見の仕事の一つなのかもしれない、と判断し、練はそれ以上訊かなかった。そして人見に利用されたことにそこまで怒りを抱かなかった。むしろ頼ってくれてよかったとさえ思えた。
この数年間悩み続けたけれど、それが人見と再び向き合える機会を得るための代償だと考えれば納得する事が出来た。
こうして練は自分らしくある為の一歩を踏み出した。
人見が練に初めてカウンセリングを行ってから一週間が経った。その間に練は生徒会副会長に会長の座を譲り副会長となり、人見に言われた通り真面目にカウンセリングを受け、時に文句を、時に楽しかった事などを話し、ストレスを発散させていた。
練はそうしてから例のプログラミング言語でプログラムを組んでも欲情しなくなていった。
時が経ち、心が落ち着いたので、そのことを同室者である梅に話し、迷惑をかけてすまなかったと詫びたのだが、何故か梅は怒っていた。
「あのバカ誤摩化したのね……許せない。復讐よ」
「あの梅。本当にごめんなさい」
「いえ、練さんにこの怒りを向けていません。人見にです」
何故、人見に怒りを向けるのだろう、感謝しなくてはいけないはずなのに。疑問と戸惑いを混ぜ合わせ悩んでいると、練に手を引かれた。
「人見は嘘をついてます。だから今から本当の事を訊きにいきましょう」
「どういうこと?」
「向かいながら説明します。きっと練さんも納得してくれるはずですから」
玄関に行き素早く靴を履いた梅は、練に早くと急かす。
部屋を出ると速い歩調で男子寮に向かう。練は棘を感情に含ませながら話した。
「人見はもっともらしく練さんを丸め込みましたけど、私は騙せません、同じ気持ちを持っているからです」
「それって?」
「練さんを好きだと言う事です。……練さんは人見が好き、間違ってますか?」
返事をしない練だが急速に赤く染まる頬と、言葉に詰まるところを見ると正解と見て間違いだろう。
「練さんが自慰をした理由はもちろんストレスもあるでしょう。でも、極端に回数が多くなったのは同室者が女性になったからでしょうね。それを和らげる方法があいつの部屋に行く事だったんだと思います。人見はなんであのプログラミング言語でプログラムを組むと変になるのか、説明しましたか?」
「えっ……時期が悪かった、というような理由だったのだけれど……もしかして」
「その通りです」
男子寮の入り口で寮長に会うも、何度も行き来している二人は今や顔パス。会釈をして通りすぎる。
「あのプログラミング言語は人見が作ったんです。友乃が言ってました、人見はパソコンの声を聞きたいって言っていたと。それで恐らくあの言語を作ったんです。それで練さんは無意識に言語から人見を感じた。そしてその言語でプログラミングを組むことで、会話をしている様な錯覚に陥り、欲情したんです」
チャイムも押さず練は扉を開け、ずけずけと部屋に入り、DKに向かう。扉を開けるとコタツで眠る友乃、そしてパソコン机の前で居眠る人見が眼に入るが無視し、ディスプレイに眼を向けた。表示されているそれを見て練は驚く。
「本当にあの言語……」
そこには練が最も美しいと思う言語が入力されていた。改良途中なのか、練にも見たことのない文字列も見つかった。
「やっぱり正解でしたね。全ての元凶はプログラムではなくて人見だったんです。では練さん、人見に告白して下さい」
「えっ、ええ!」
告白という言葉が耳に届くと、どっと汗が額を覆う。
「男って変にプライドが高いんです。だから女から告白されたとなれば一生の不覚と落ち込むはずです。これは仕返しですよ練さん。あたしと友乃は部屋から出て行きますので、どうぞごゆるりと」
そう言うと梅は友乃を起こし、寝ぼけたままの体を引っ張り無理矢理部屋から出て行った。
「そんなこと言われても……」
いきなりの事態に困る練だが、人見の寝顔を見て、高鳴る鼓動、そして火照るグ頬に手を当て、この気持ちが恋なのかと納得し、頷く。それにこれは運命のように感じた。好きな人が言語を編み出し、それを形にする。こんな理想な関係はない。
練は感情が高まり、人見の肩に手をかけゆっくりと揺する。
「ああ? ん。練か。カウンセリングでもしにきたのか?」
すると大きく手を振り、人見の頬をひっぱたく。
一気に眼が冷めた人見は眼を吊り上げた。
「何すんだいってえな!」
「静かに」
心の底から冷えた様な声を出す練に恐怖し、人見は思わず怒りをさやに収める。
「私は今まであなたの言葉に動かされてきたわ。けれど今度はあなたがくれた言葉を使って私があなたを動かす番だと思うの。時が移ろい私の心は汚れてしまったかもしれないけれど、この時めき、理解してくれるかしら?」
タッタッタッと動く秒針の音と、水道から落ちる雫の音。人見は唾を飲み込み、その答えを笑いながら口にした。
「えっとだな練。野菜もそうだけど、汚れた方が上手いんだよわかる?」
再び秒針と雫の音だけが部屋を包む。
そして扉を開ける音がその静寂を消した。
「人見なんかに練さんを譲ろうと思ったあたしが馬鹿だったわ!」
そう言うと突然現れた梅が握りしめた拳を振りかざし人見の頬を打った。鈍い音が響き、その手で練の手を引き部屋を出て行く。
その様子を扉の横で見ていた友乃に人見は腫れる頬を抑えながら問い掛けた。
「俺って何か悪い事したか」
「イチイチまどろっこしいです」




