彼女の異常な欲情 5
本当に味噌を舐めるだけで治ってしまうのだろうか。
半信半疑で眠りについた練だったが、次の朝、眼を冷まし、恐る恐るプログラミングを行ってみても、欲情する事はなかった。
「こんなことってあるの?」
初めてスピリチュアルを体感した練は、その原因を調べたくもなったが、それは友乃に対して失礼な行為だと思い、深入りしない事にした。
だが、普通である事の幸せをかみしめる時間は長くは続くかなかった。
友乃に憑き物祓いをしてもらった四日後。再びあの言語でプログラミングを行うと、ディスプレイに並ぶ文字や記号を見て下半身がうずき出したのだ。こうなっては沈める事が出来ず、左手を陰部に当て、右手でキーボードを打ち、練は泣きながら自分を慰めた。
「どうして、どうしてなの……」
行為が済んだ後、練は先日入手した友乃の番号に電話をかけた。リバウンドした事を告げると、友乃は学校に行く前に部屋に寄る事を指示した。
練は体調が悪いので学校には送れて行くと梅に伝えた。介抱したいと言い出すも、学校の方が大事と言い聞かし登校させ、登校時間が過ぎてから友乃の部屋に向かった。
チャイムを押すと先日と同じように友乃の間延びしたハーイという声がして、練は足を踏み入れる。友乃は既に白装束に着替えていて、部屋は前と同じようにセッティングされていた。そして小平を閉じた瞬間、彼女の性格が、そして部屋の空気が一変して重苦しくなる。
「食で駄目なら、違う方法が有る。前と同じように目を閉じ、手を組み己の鼓動だけに集中しろ」
深く重い友乃の声の言う通りにし、室内はシンと静まる。
すると突然「パーン」と甲高い大きい音が友乃の耳元でなり、驚きで体がびくついた後、キーンと耳鳴りがした。部屋に火薬の匂いが仄かに漂う。
「昔は弾の込められていない、空鉄砲の音で狸を驚かせて落としていた。だが、今の時代銃を持てないから玩具で行った。すまんな驚かせて。憑かれた者も驚かないと意味がなくてな」
「いいのよ、気にしないで」
耳鳴りの気色の悪さに顔を引きつりがらも感謝を述べる練であった。
そして二日後。練は再び絶望感に見舞われる。
何も起きなかったのはただの四十八時間だけで、よくよく考えれば、症状が起きる間隔は短くなっていた。本当に友乃のやっていることに意味があるのかと疑念がよぎるも、これで最後だと言う気持ちで彼女に電話し、部屋に向かった。
休日なので梅に嘘をつかず部屋を出て行けたのに、体は全身に泥を塗られているかのように重い。心が友乃の元に行く事を拒否しているように感じたが、もしかすると憑いている狸の重みのせいかもしれないと思い、負けるものかと足を進めた。
部屋に入ると今までとは違い、リビングからテレビの音が聞こえた。
「休日なので人見さんがいますが気にしないで下さい。さあ、部屋にどうぞ」
部屋はまた暗く灯りはロウソクのみ。そして横には小豆飯が置かれている。
「今度はこれを食べればいいのかしら?」
豹変した友乃が静かに言う。
「そうすればきっと体から出て行ってくれるはずだ」
本当にこんなことで治るのだろうか、割り箸を持ち咀嚼してながら考えていると練の頬に涙が伝った。
涙を拭きながら練はごめんね、と繰り返し、食べ終わると一礼をして部屋を出た。
「おお、久しぶりだな」
扉を開けると人見が目の前にいた。しかし、練は何も言わず俯きながら早足で部屋を出て行った。
「なんだよあいつ。久しぶりに会ったってのに冷たい奴。どうだった友乃。練は元に戻れそうか?」
ロウソクが消え、廊下からの光だけが差し込む薄暗い部屋の中で項垂れる友乃に人見は声をかけるも返事がない。
「練の症状はそんなに良くならないのか?」
いつものあどけない表情と越えに戻った友乃はぼそぼそっと呟いた。
「わからないんです……村の人ならこれで良くなったのに……。街にいる狸は力が強いのでしょうか?」
すると扉をドンドンと叩く音が聞こえ、人見が開けようとする前に開き、息を大きく切らす梅が入ってきた。どういうことかと、人見の眼は丸く見開く。
「おい人見! あんた練さん泣かせたでしょ! 最近練さん変だと思ってついてきたら寮の入り口で泣きながら走ってくの見たのよ!」
胸ぐらを掴み梅は人見の体を大きく揺する。たじろぐ人見。
「違うって、俺じゃない!」
「じゃあ綾だって言うの? 嘘も大概にしなさいよっ!」
右手を上げ平手を打とうとした瞬間だった、友乃が声をあげた。
「やめて梅! 私、私のせい」
マジで? と小さく漏らし、キョトンとする梅。人見は梅の手を弾き、よれた服を元に戻そうと服をサッサッと伸ばす。
「あんたが原因? 話してよ」
「だめ、話せない」
「練さんは言ってもいいって言ってたけど、それでも黙ってるつもり? それでいいの?」
友乃は鼻をすすり、ちょっと待ってと言い、息を整えようと大きく息を吸っては吐く。そして練の身に起こった事、それに対して行った処置を話した。
「マジで……いや、確かに思い返せばそれっぽいってこともあったけど。てか狸ってそう言う意味なのね。なるほど」
予想をしていない出来事に気が動転しそうになるのを抑え、顎に手を当てしばらく考えるそぶりをした梅は、一人で納得し、扉のノブに手を当てた。
「狸が原因じゃないならやっぱり精神病よね。あたしちょっと調べる事にするから。あと綾。困った事があったらいつでもあたしに言ってって言ったのに約束破ったね」
「それは……ごめん」
「いいわ、今回は事が事だったから、それにあたしも嘘ついたからチャラよ。でも次からは話してよ、練さんの事なら尚更。じゃあね」
少し眉を寄せてそう言うと扉を閉め、梅は駆けて行った。部屋に梅の走る足音が伝う。
友乃は扉を見つめ、梅の言葉を反芻すると、疑問を口にした。
「チャラ? うそ? 梅って嘘ついたの?」
気付いてないのかと呆れ、ため息をつく人見。
「多分、練がこの件について話していいって言った事だろ? もし練が許可してたんなら俺に喧嘩売ったりしないだろ」
「うわっ、本当だ。どうしよ……言っちゃ駄目なのに言っちゃったよ」
「しょうがないだろ、騙されたんだから。それよりお前はそんな事で練を治そうとしてたんだな」
友乃はムッとして、立ち上がり人見に詰め寄る。
「そんな事って失礼です! 私はこうやって村の人を救って来たんですよ。それに代々続く憑き物筋の――」
うるさいと友乃の口を手で被う人見。
「それが間違いなんだよ。ここは街で、友乃がいた村じゃない」
「どういうことですか、それ?」
「代々続くって言ったよな。閉鎖的な村ではその方法で治るって小さい頃から聞かされていれば効果はあるだろう。精神病なんてそんな物だ。だけど閉じていない、情報が溢れる街ではそんなルールは百年近く前に死んだ。
ようは時の流れが違ったんだ。宗教と医者の違いなんて時代が決めるんだよ。今は医者の時代。それだけのこと。それだけの事だけどそれが重要なんだ。憑き物に憑かれた場合、お前は何が原因だと思う?」
いきなりの質問に戸惑う友乃だが、小さい頃からの教えだったのですぐに答えは出た。
「憑いたモノが何かを探ります」
「そこが大きな違いだ。俺たちは、場合にもよるが大体はその人間に原因を探す。見えない何かがあなたをこの行動に導いているのです、何て言えば簡単に事は済むが、そんなの宗教を持ってなきゃ意味がない。宗教を持ってない奴は自分の中に原因を探さないと駄目だ」
お前はお前でよく頑張った、そう言って友乃の頭を撫でる人見。
「ところでさっき人見さんは俺たちって言いましたけど、どういう意味ですか?」
「ん? お前と一緒だよ。呼び名と時代が違うだけ」
そう言うと大きくノビをして、欠伸をしながらDKに歩いていった。
練は思う。このプログラミング言語と出会ったことが、異常な性欲の引き金になったのかもしれないと。
それは一年生の二学期だった。一学期にspysを完成させ話題を呼んでいた練だったが、そんな彼女のパソコンに全く目にしたことのない難解なプログラミング言語で書き換えられたspysとコンパイラが送られてきた。メールの主は不明だったが、練はそのメールの意味を汲み取った。
この難解プログラミング言語を理解してみろ、という挑戦状ではないのかと。
ただの英数字と記号の羅列のように思える言語だったが、月日を重ねるごとに練は理解していった。
この言語は通常の命令文に比べ、三倍程長く入力しないといけないと言う事、そしてどのプログラミングにも万能だと言う事、そして完成した時の文字列の美しさは詩のような繊細さと美しさを持っている事。
これは人がコンピュータに命令する為に作られたものではない様に思えた。どの言語も便利化を目指し、多種多様に変化する中、この言語は時代を逆行している。まるで機械語のようだ。
作業効率の悪いプログラミング言語という事を理解したが、練はその美しさ故に使用を続けることにした。そして一週間後、プログラミング中、誰かと会話をしている様な気持ちに陥り、頬が火照り陰部が濡れる……。今なお悩ます、あの異常が始まった。
まるで伝記で出てくる、強い力を持つ鎧を装着すると呪われる、というように、このプログラングラミング言語も、使用した代償のように思えた。
人見の部屋を飛び出した後、練は自分の部屋で一人涙を流した。誰にも聞こえないように声を押し殺して。それはとても寂しく、一秒一秒が雪のように降り積もり、心を冷やして凍らせる。
昼が過ぎ、そんな練の部屋の扉が叩かれた。
「練さん、開けて下さい。話があります!」
寝たフリをして無視するが、何十分と扉を叩き、声を上げる梅。このままだと周辺の部屋に迷惑がかかり、生徒会長として問題になるのではないかと思い、仕方なく扉を開けた。
「何よ、穏やかでないわね、周りに迷惑でしょう。部屋を変えてもらうわよ」
梅の生命線を千切るような言葉を吐く練だが、それがどうした、というような強い眼で梅は睨みつける。
「周りなんてどうでもいいです。部屋が変わったっていいですあたしが悲しいだけだから。あたしは練さんの方が大事ですから」
「倭久井さんが扉を叩いた時から仄かに勘づいていたけれど、聞いたのね、綾さんから」
練の表情はいつものように穏やかだが、眼を充血させ、喉を涸らしていた。その頬には涙が流れた跡が見える。
「ええ、普通に聞いても答えないから騙して聞きました。なのであの子を責めないで下さい」
梅は部屋に一歩足を踏み入れ扉を閉める。
「この症状を治す方法を私はわかりました」
神の言葉のように感じ、ドキリとさせられる練だが、梅は専門家でもないただの生徒だ。瞬時に期待はしぼみ、苛立へと変わる。
「嘘つき」
「本当です。簡単な事ですよ。……プログラミングを辞めればいいのです」
「それがどういう意味かわかっているの?」
穏やかだった練の表情が変わり、徐々に強張っていく。
「元を絶てばこのような事は起こらないと思います。特殊な言語でプログラムを組んでいるのなら、その言語を消せばいいんです。そうすれば――」
「あんたに何がわかるって言うのよ!」
今まで聞いた事もない様な練の強い怒声が響き渡る。
「私はもうあの言語がなきゃ駄目なのよ。一度、あの言語から離れてプログラミングしていたわ。でもね、それだと集中できないのよ。私はあの言語があるから他の言語でプログラミングできるのよ。言わば必要悪、切っても切れないのよ!」
その言葉聞いて、何故か梅は涙を流し、それから笑みを浮かべた。
練は歯を噛み締める。
「そうやって私を蔑むわけ? 好きにしなさいよ」
「違います。嬉しいんです、練さん。やっとあたしに向かって話してくれた気がして。いつもあたしに似た何かに話しかけられている気がしていたので」
梅の言う事は実に的を射ていた。
spysの情報に頼り、会話を行う。それは、相手と話しているわけではなく、得た情報を話しているだけ。人ではなく情報と話していた、と言えばいいのだろうか。そこを感覚的に梅は感じ取っていた。
「なので私もちゃんと伝えます。練さん。変なのは自分だけじゃないですよ」
「どういう意味?」
練の言葉が耳に届いているにも関わらず、梅は答えず思い出話しを始めた。淡々と、懐かしむように。
「中学二年の冬に、あたしはクラスでいざこざがあって仲間外れにされたんです。今思えば、あたしが悪かったんですけど、意固地になって謝らなかったんですよね。で、親友って思ってた子からも無視されて、あたしはますます塞ぎ込んでしまいました。
学校なんてもう意味ないんじゃないかって思って。私は日に日にクラスメイトを避けるようになって、もう耐えれなくなったある日、私は決心したんです。spysで覗いて、情報の公開がされてなかったら、もう学校に来ないでおこうって」
spysを非公開にされるということは、携帯電話のアドレスを消すに等しい行為だ。中学生からすれば絶交を意味するので、梅はそれを行ったのだろう。
「じゃあ、仲の良かったグループの子達に吹き出しが出ていて、ごめんね、とか仲良くしようって表示されていたんです。嬉しかった。泣いちゃいました、自分の馬鹿さに呆れて。顔も見ないで避けてたんですから。
それでspysってすごく良いアプリじゃないのかって思って、作った人を調べたんです。こんないい物を作る人はきっとすごい人じゃないのかって。でも驚きました、年が二才しか変わらない、しかも私と同性で学生だって事に。それで勝手に決めました、この人についていこうって」
そう言ってから梅は頭を少しかき、頬を染め、照れくさそうにその言葉を口にした。
「練さんのことが好きです」
話しの前置きに、梅が変なのは自分だけじゃないと言ったことを練は思い出す。
「それって……」
「はい。同性としてじゃなく異性としてみてます。あたしってどうやらバイセクシャルみたいです」
そう言ってから、梅は練が異常ではないと自分の体験を交え話した。
いつも練と結婚しているという妄想で生活していることや、練を思って何度も自慰を行ったことや、夢で性行為を行ったこと。
「練さんにその気がない事はわかってます。なのに気持ちを伝えて申し訳ないと思うけど、これで気持ちが少しでも軽くなるといいなって思って話しました」
正直、練は複雑な気持ちだった。こんな精神状態の人間と生活していたと思うとぞっとした。けれど、妙な心地の良さもあった。お互い包み隠さず己をさらけ出したからだろう、以前よりも彼女を近くに感じる。
「こちらこそ感謝するわ、ありがとう。これからも変態な私だけどよろしく」
「いえ、よろしくできません」
まさかの受け入れ拒否に戸惑う練。晴れ間が覗きそうだった心に雨雲が瞬時に被う。
「今から人見のところに行きましょう、それで解決できます」
「どういうこと?」
人見の元に行っても治す手段を持つ友乃の儀式は練に効かなかった。なのにどうして向かう必要があるのだろうか。
「練さんは勘違いしてたんです。さっきカウンセリング室で聞きました」
そう言って梅は練の手を引く。
「人見は臨床心理士です」




