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妄想公園  作者: 奈屋一郎
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彼女の異常な欲情 4

 私立和泉ヶ丘高校にはカウンセリング室がある。普通の高校では臨床心理士は一週間に一度、多くて二日に一度在室すれば良い方だが、ここ泉ヶ丘高校では常に在室している。それは普通科の高校よりもインターネットや電子機器に触れる機会が圧倒的に多いからだ。

 このような学校だと入学を考える際、近年問題視され続けているネット依存症の影響で、保護者の警戒を強めてしまう。それを弱めるため、和泉ヶ丘高校では、養護教諭とは別に心のケアを専門とする臨床心理士を置く事にしている。

 保健室は身体、カウンセリング室は心の怪我を治療する場なので何かささいな事があればいつでも来て下さい。とは、和泉ヶ丘高校専属の臨床心理士の言葉だ。

 一昔前までは煙たがれていた精神病も、世間で認知され始め、和泉ヶ丘高校の生徒も気軽とまでは言えないものの、カウンセリング室に足を運ぶ生徒は少なくはない。

 そして彼女、山冨練もその一人となった。

 日々己の心的異常を認知していたものの、そのベクトルが性的な事だったので他人に相談することを躊躇してしまっていた。しかし昨晩、厳密に言えば今日の午前二時過ぎ。プログラムに欲情し自慰行為を行う、という異常を他人に見られるかもしれないという危機感を与えられ、ついに一歩を踏み出した。

 練は校内の有名人なので、カウンセリング室に入る姿を見られれば、その行為は一斉に校内中に広まり、あげく原因を探ろうとする者まで出るだろう。そうなると面倒なので、周りを見渡しながら、まるで空き巣に入るかのように人の眼を気にしてカウンセリング室に向かう。

 いざ扉の前まで来ると、あの異常を人に話す事が、とても恐ろしいように感じた。今日まで人望を高めてきて、生徒会長になるまでになった。けれどあの行為で泥を塗り、教師から軽蔑の目で見られるかもしれない。だが、ふと梅の顔を思い出す。キラキラと輝いた羨望の眼差し。それが軽蔑に変わる瞬間に立ち会えば、絶望は底無しな気がする。教師よりも身近な同居人の信頼の方が大事だ。

 決心し、扉に手をかけると、部屋から聞き覚えのある声が聞こえた。

「……まだ…ようす………よ」

 何を言っているかまではわからないが、練にはその声の主がわかった。

「どうして人見が?」

 扉に耳をそっと近づけて聞き返してみても、やはり人見の声が聞こえる。

「よろしく…くれ…また」

 練は人見と鉢合わせにならないように、部屋から離れ、三年棟の方向とは逆の曲がり角から顔を覗かせ、人見が部屋から出て行くのを待った。

 なぜ彼がカウンセリング室にいるの? どうして? と考えているうちに扉が開き、人見は猫背で三年棟の方に歩いていった。それを見送り、先ほどまでとは違って今は先生からどうみられるかよりも、人見の方が気になり、躊躇無く扉似を開く。

「失礼します」

 カウンセリング室は蛍光灯で照らされ、窓は閉められカートンが被っている。臨床心理士の机が部屋の隅に、中央には小さな丸い机が置かれ、丸い椅子が二つ並べられている。そして左手はカーテンで区切られていて、下の隙間からベッドの足が見えた。

「あら、珍しいお客さんね。どうぞ、そこに座って」

 部屋の中央を手で示す臨床心理士。年齢は二〇代後半から三〇代前半に見え、化粧は薄く、顔の印象も薄い。背も平均的で、外見に特徴らしい特徴がない。

 練はspysで情報を見ようとする。心理士の周辺に情報が……表示されない。

 心理士は先に中央に置かれた机に向かい、腰を降ろす。そして練の困った表情を見て口を開いた。

「この部屋は電波を入らないようにしているわ。だからspysはできないのよ。ごめんね、この方がやりやすいのよ。で、見れない代わりに自己紹介。私の名前は佐藤京子、来年三十路の臨床心理士。よろしく。さあ席について」

「あ、はい」

 spysが使えない事に少々戸惑いながらも練は席に着く。

「私は生徒会長をしています、三年三組の山冨練です」

「はい、よろしく。で、早速だけど何があったか聞かせてもらえるかしら」

「あっ、その前に」

 練の頭に先ほど部屋を出て行った人見の姿がよぎる。

「人見は何か精神病の類を患っているのですか?」

「あなたは人見の彼女かなにか?」

「えっ? えっ?」

 思ってもない質問に練は驚き、言葉を発する事が出来ない。その様子を見て佐藤は微笑する。

「冗談よ。理由は私じゃなくて人見に聞いてもらえる? 立場上言えないわ」

「そうですよね、すみません」

「で、ここに来た理由は彼の事?」

「いえ、そうではないです……けど…」

 自身が持つ精神的異常。それを伝えるため、練は佐藤の眼を見て口を開こうとするも、胸でつっかえ言葉が出てくれない。いざ本人を目の前にして、踏ん切りのつかない自分に嫌気がさし、陰鬱な表情で俯いた。

 この状態で話を訊く事は無理だと判断した佐藤は、リラックスさせるため話を変えることにした。

「練さんは人見と親しい? クラスメイト?」

「どうしてそんな質問を?」

「うーん、そうね。さっき人見の事を訊いたからよ。別に答えなくても良いわよ」

 答えなくても良いわよと言われると、心が少し落ち着き、話せる所まで話そうと練は唇を震わせながらゆっくりと口を開いた。。

「小学校で彼と知り合いました。三年生から同じクラスでして、高校では一年生の頃のみ同じクラスでした。でも特別仲が良い訳ではありません。でも……」

 この話はすべきかどうか悩んだが、ここまで言ってしまえば、もう全てを話そうと言う気になり、練は人見との思い出を口にした。

 人見と練は小学生の頃ずっと同じクラスだった。普通に会話する様な仲で特別とまでは言えないただの友達。だが、それは周りから見ればそうなだけで、小学生の頃、練は友人が少なく図書室ばかり行っていたので、彼女からすれば人見は少し特別な存在だった。

 ある日、練は人見にプログラムを組んでみないかと誘われた。理由は本ばかり読んでいるのだから、文法を理解し、構成などもしっかりできるだろう、という小学生の浅はかな考えだった。しかし、練は人見からプログラミングを教わると目に見える上達で、才能を発揮した。それから二人はプログラミングを通じて仲を深めていく。

 そして六年生になったある日、人見の祖母が亡くなった。人見は祖母に育てられていたので、その傷は深く、一週間経っても学校に来る事がなかった。

 心配になった練は人見の家に向かうと、彼はプログラミングではなく、言語を作っていた。何故プログラミングをやめたのかと彼女が訊くも、お前には関係ないと突き放された。数少ない友達が持つ共通の趣味を失ったショックは大きく、練は「プログラミングをやめて、私も言語をやる」と言った。すると人見は、強い口調で「真似しか出来ないのか、練は。俺は練がいなくても平気だけどな」と言った。

 練はそれから人見と関わる事をやめた。そして人見がいなくても平気だと証明するため、友達を作ろうと励んだ。そうして今日まで過ごしてきた。

 聞き終わると、へー、と佐藤は言ってまじまじと探るように梅の足から手の先までじっくり見つめた。練は恥ずかしくなって頬を火照らせながら、視線を合わさぬように俯く。

「質問。私とそんな人見、どちらを信用できる?」

「そ、それは……」

 少し考えて、練は人見と小さな声で答えた。

「初対面の私より、あんなことを言っても通じ合った日々がある人見に信頼を置くのは当たり前の事よ」

 では、と立ち上がり佐藤はオフィスデスクに座る。一人中央の机に座ったままの練はどうして佐藤が席を離れたのか意味が分からず、きょとんとする。

「この件は人見に相談してくれる?」

「ど、どうしてですか!」

 練は驚きと嫌悪感を混ぜた強い声で言った。まだ話も聞いてもらっていないのに、それに異性にあのことを話すのは拷問に近い。それに相手はあの人見だ。また酷いことを言われるかもしれない。

「精神分析に最も重要なのは信頼されること。大丈夫、彼なら手を貸してくれるはず。私から話しをしておくから、放課後、彼の部屋に行ってもらえる?」

「でも!」

「行きなさい。一日でも早く不安を取り除きたいのなら」

 佐藤がそう言った後、昼休み終了のチャイムが鳴り響く。

「さ、五限が始まるから行って頂戴」

 勇気を出してここまで来たと言うのにたらい回しにされた練は腹が立ち、もう佐藤なんかに相談するものかと睨みつけ、扉を強く閉め、部屋を出て呟く。

「これで治らなかったら、あの心理士ただじゃおかないから」


 佐藤への怒りは時が経てば経つ程上塗りされ、午後からの授業はその怒りと、なぜ人見の部屋に行かなければならないのか、という疑問が練の頭の中を真っ黒に塗り潰していた。下校のチャイムが鳴ると部活動を欠席する事を隣のクラスにいる副部長に伝え、男子寮、人見の部屋に向かった。

 寮長に事情を説明し中に入れてもらい、人見の部屋のチャイムを押す。その瞬間、練は冷静さを取り戻した。本当にこんなことを人見に相談して解決できるのだろうか、校内に広まったりしないのだろうか。

 それに頼らないと決めたはずなのに……。

 考えれば考える程、次々と不安は生まれる。しかしチャイムを押してしまったのだから……いや、扉が開く前にここから立ち去れば間に合う。そう思って扉に背を向け、一歩踏み出したところで、はーいと間延びした女性の声が聞こえた。

 扉が開くとにょろっと手が伸び、背中を向けて立ち去ろうとする練の服を引っ張る。

「お待たせしました、そしてお待ちしておりました山冨さん。人見さんから話は聞いていますので中へどうぞ」

「え、ええ?」

 引きつった笑みを浮かべ、震える心を自制しようとしながら練は部屋に足を踏み入れた。どうして人見ではなく、友乃が相手をするのか、その疑問に戸惑い、声すら出せず、ただ立ち尽くす練。

「少し待っていて下さい、用意があるので」

 そう言って友乃は自分の部屋に入っていく。

 練の心はまだ落ち着いてなかったが、自堕落な日々を送る人見がまともな生活を送っているのだろうかと気になり、DKに視線を向けた。

 ゴミが床に落ちている、ということはないが、部屋の隅には髪の毛やほこりが溜まっていて、コタツの上には食べた後のカップ麺が置かれている。十分に掃除がされていない。

 こんな生活を送っているようでは同室者になった友乃が不憫だとため息をつく。

「山冨さん、こちらへどうぞ。準備ができたので」

 振り返ると白装束に着替えた友乃の姿があった。驚く練だが、おっとりとした動作で自分の部屋の扉を開け、友乃に中へ入る事を指示され足を踏み入れる。

 友乃の部屋は灯りの代わりにロウソクが中央に一本立てられ、宗教的な何かが行われるのだろうかと練は気味悪さを抱く。

「ごめんなさい綾さん。少しこの状況を飲み込めなくて、やるせないわ」

「人見からカウンセリング室に行った事を聞いた。何か身の回りで異変が起きたのだろう? なら、その理由を話せ」

 口調が変わり、表情も少し年を取ったように感じる。先ほどまでのふわりとした柔らかい印象とは違い、芯のある重みを含む声が部屋に響く。その身に威厳を纏っているようにさえ思える。変化に戸惑いながらも疑問を口にする。

「あなたはもしかして心理士?」

「いいや、狸だ」

 練は友乃がふざけているのかと思ったが、冗談でしたと言う雰囲気ではない。

 張りつめた凛とした空気が部屋を被っている。

「綾家の筋の女性には狸が憑く、それは私も同じだ。綾家の人間は今まで何度も私を使って、取り憑かれた者の憑き物を落としてきた」

 それを聞き、練は昨日の心霊番組を思い出す。憑き物筋。名もない俳優が演技をしていると思っていたのだが、このようなオカルトが情報化社会の現在でも存在していることに驚いた。

 心理士の佐藤が何故人見に連絡をしたのか。それは狸憑きの友乃がいたからではないのだろうか。その力を借りて、病を治す。

 練は友乃の力を信じてはいなかったが、オカルトへの興味が勝り、症状を口にした。すると友乃は暗い口調でぼそっと言った。

「お前には狸が憑いているのだろう」

「狸? 狐や犬ではなくて?」

「このような淫行の場合は狸の場合が多い。村の者もこのような症状を訴えた場合、憑いていたのは狸だった」

 そう言って部屋の目の前に置かれていたロウソクを手に持ち、クローゼットを開き、中から四角い何かを取り出し練に差しだした。

「これは?」

「村から持ってきた味噌だ。狸は味噌を好む。恐らくお前に憑いた狸は腹を空かせているのだろう。わかっているだろうが、憑いている狸は霊体。だから己の空腹をお前の性欲に変えて食しているのだろう」

「なぜ性欲を?」

 厄介なものを食す狸に疑問を抱く。

「それは狸の優しさだ。もし空腹を満たすためにお前の食欲に取り憑けば、食す量は増え、身体に影響が出る。睡眠欲に変えれば睡眠時間が増し、堕落するだろう。だから、悪い狸ではないようだ。一度話してみよう。ほれ、味噌を舐めろ」

 練がタッパのフタを開けると、まろやかな甘い香りが鼻を通る。指ですくうようにと指示されたが、不衛生なので少々戸惑うも、言われた通り人指し指を味噌に浸けてすくいあげ、舌を出し舐めとる。自家製だからか、市販の味噌よりも豆の香りが強く、練はそれを美味しく感じ、もう一度舐めてみたくなる。

「村の味噌は絶品だ。その美味しさに感謝し、憑いた狸もきっと満足し出ていくだろう。お前よ。眼を閉じ、指を絡めるようにして手を組め。そして何も考えないよう、鼓動に集中しろ。そうしなければ、わしが狸と会話できない」

 時計の音も聞こえず、外からの音もしない。この部屋だけが世界から切り取られた様な感覚に陥る。在るのは自分の鼓動の音。そして二人の呼吸音。

 三分程経つと、友乃はふうっと軽く息を吐きロウソクの火を消す。

「眼を開けて下さい山冨さん」

 先ほどまでの友乃の重く暗い声とは違い、練の知る子供のような可愛らしい声が鼓膜に響く。

「終わったの?」

 暗闇の中そう訊ねると、電気を付けて友乃は、ふふっと軽やかな羽のような笑みを浮かべる。

 その表情を見て練はさっきまでの彼女と違うと確信した。狸を落とそうとした友乃と、目の前にいる友乃とは明らかに違う性格をしている。もしかして、それが狸憑きとしての性質なのだろうか。

「ありがとう綾さん。わざわざ着替えてもらって」

 恥ずかしさを誤摩化すため、両手を振る友乃。

「そんなことないです。困った人を助けるのが憑き物筋の使命ですので。それに、山冨さんの力になれるのなら、普通の三倍は嬉しいです」

 どうしてそれほどまで嬉しいのだろうと疑問に思うも、とにもかくにもお礼の言葉を述べなければと口にする。

「そう言ってもらえると頼ってよかったと思えるわ。ありがとう」

 練は少し頭を下げる。

「いえいえ、また何かあれば言って下さい」

 用事が済んだ練は部屋を出て玄関で見送る友乃に手を振りノブを回すと、服を引っ張られ振り返る。

「どうしたの、綾さん」

 そこには今にも泣き出しそうな友乃の姿があった。憑き物を落とそうとした時の友乃と比べてひどく小さく弱い存在のように思える。寂しくて死んでしまいそうなくらい。

「狸の憑き物筋と知って、気味悪くなりましたか?」

 友乃が練に行った行為は、今の時代とは合わないので、気味悪くキナ臭い。馬鹿にする者もいるだろう。練はそういうオカルトに興味があったという理由もあるが、一生懸命自分の為に尽くしてくれた友乃にそのような感情を微塵も感じず、ただ手を差し出し、優しく微笑んだ。

「では、私の憑き物話しを訊いて、綾さんは小気味悪くなったかしら?」

「そ、そんなことないです。仕方のない事ですし、狸の都合で練さんは憑かれたので、純粋に運が悪かったと思うだけです」

「そう? では、こんな汚れた右手だけど、握手してもらえると嬉しいわ」

「はい」

 つらりと涙を流した友乃は小さな手で力一杯、練の手を握った。嬉しくて嬉しくて、強く握ればこの気持ちが伝わると思い、力を込める。

 練は苦笑いを浮かべて言葉を漏らす。

「綾さん、ちょっと痛い」


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