彼女の異常な欲情 3
次の日。半袖でも大丈夫なほど、気温は温かく、陽も照らし、時に吹く少し冷たい風が気持ちのいい午後の始まり。昼食を食べ終えた友乃と梅は、中庭でベンチに座り雑談していた。
会話の内容はセンリガンとspysのことだ。桜を見てカップ麺を買い、食した後、友乃は自分なりに知識を得て、その答え合わせを梅にしてもらっている。
センリガンとは眼の動きで操作を行う、レンズ型ディスプレイのデバイスである。
機能は携帯電話とさほど変わらず、違うと言えば電話が出来ないといった点だろう。
現在眼鏡型とコンタクトレンズ型があるが、操作性の違いはなく、コンタクトレンズ型の方が、三倍ほど値が張るということくらいだ。レンズがパソコンで言えばディスプレイの役割を果たし、キーボードは瞬きの回数で表示でき、入力は基本的に眼の動きと瞬きで行う。表示されたQWERTY配列のキーボードに『か』と入力したければ、まずkのキーに視線を集中させ左目で瞬きを行い、次も同じように左目で『a』を見つめて、右目で瞬きをする。
操作は少々難しいが、瞳自体がディスプレイという仮想現実の幅を広げるデバイスなので人気がある。が、しかし政府から承諾を得ていないので一般に発売はされておらず、使用できるのは在校生と卒業生に限られている。
そしてspysはSNSの機能を持つ拡張現実ソフトウェア一つである。人や物に対して一五文字以内の付箋の様な物を貼付ける事ができ、これをタグと呼ぶ。それは自分で自分に張ることもでき、貼付けられたタグは自分で管理しなければならない。タグ以外にもSNSで入力された記事やプロフィールなども表示する事が可能。それらは特定の人物に表示や非表示にする事ができる。なお、このソフトウェアは利便性が高く校内で様々な事柄に利用されている。
それらを話した友乃に梅はすごいと素直に褒めた。
「がんばったじゃない。一日でそれだけ覚えれば大したもんよ。さすが田舎育ち」
「それってどういう意味?」
「嫌みじゃないわよ。今の時代、ネットで検索すれば大抵の事はわかるでしょ? だからすぐ携帯やらパソコン使ってわからない事を探せば、記憶する意味なんて薄れる。でも友乃はあんまり携帯とかパソコンになじみがない、つまり頼ってこなかったわけだから、その分記憶力がいいのかな? と思って」
「なるほど」
携帯持つと電話番号を覚える機会が減る、電子メールを使うと漢字を書く必要がないので、読めても書けない、電子マネーの使用で計算速度が遅くなる、など言い出せばキリがない便利による人の能力の低下。新しいものが生まれればこのようなネガティブな部分を指摘されるのは付き物。
「でもたった一言で、今まで興味のなかったものに手を出すなんて、綾はちょっと影響され過ぎかもしれないわ。気をつけなさい」
「影響なんて受けた覚えなんてないけど」
そんな馬鹿なことはない、と梅は吐き捨てる。
「綾は実家で暮らしてた時、あんな汚い部屋でいることなんてできた?」
「そういえば掃除は三日に一度はやってた気がする」
「でしょ? 良い影響は受けてもいいけど悪い影響は受けてはダメよ。あんな自堕落野郎の世界に踏み入れれば抜け出せなくなるわよ」
「どうして?」
「人って楽して生きたいからよ」
それに抗うあたしはなんて格好いいのだろうか、と自慢げな表情をし、今いいこと言ったと思い込んで悦に入る梅。しかし友乃の思考は全く別の方向にあった。
梅を人見に近づけたい。水と油のように混じりあわなそうな二人だが、何かきっかけでも作れないかと、今朝見たものにヒントを求め記憶を探る。するとテレビ欄が頭をよぎった。
「梅。今日わたしの部屋に来ない? 九時から大和テレビで心霊番組が始まるんだけど、人見さんと二人で観るの怖いの」
「心霊?」
そうそう、と頷く友乃。それを見て梅はニターと小悪魔な笑みを浮かべる。
「ごめん、私は練さんと観るわ」
「どうして?」
「綾と観たくないって訳じゃないわ。ただ練さんと心の距離を縮められるチャンスだと思ってね。あっ、吊り橋効果って知ってる?」
「吊り橋硬貨? 知らない。吊り橋が出来た記念硬貨?」
テンションが上がっているのか、梅はそんな些細な事で声をあげて笑う。
「お金じゃないわよ。二人で吊り橋を渡ると、揺れでドキドキする感情を恋してるドキドキと勘違いしちゃうっていう効果」
「へー。そんな馬鹿な事があるの?」
「あるわよ失礼ね。実験されて証拠もあるんだから。でもラッキーだわ。ホラー映画をダウンロードして観ようなんて言ったらちょっと下品だし、不審に思われるからね。ってわけであんたは人見と二人で観なさい。間違っても好きだなんて思っちゃダメよ。そんな精神的バグが生んだ恋愛なんてロクなもんじゃないんだから」
「それを知っててやるってどうなの、梅?」
都合の悪い事は聞こえないと、梅は目を瞑りポップなハミングを響かせる。もう成功した気でいる梅を友乃は冷ややかな眼で見つめた。
そして夜。
春に三日の晴れなしという言葉通り、昼間の晴天とは打って変わって夜は悪天候。雨と風が窓を叩き、少し心を不安定にさせる。
そんな天気をしめしめと思う女が和泉ヶ丘女子寮にいた。
倭久井梅。
この天気はいつも練を思う強い気持ちが神の同情を誘い、吊り橋効果を高めるためにくれたものだと思い込み、勝手に感謝していた。
時刻は九時五分前。七時に帰宅し風呂に入ってから部屋にこもりきりの練に梅は声をかける。
「練さん、始まりますよ、一緒に観てくれるって言ったじゃないですか!」
「先に観てくれる? この作業を終えないと心が漫ろになってテレビを観れそうにないわ。あと少しで行くから」
「はーい、わかりました」
と、ハートマークを添えるほど甘えた声で、梅は返事をしてDKに戻り、テレビのチャンネルを大和テレビに合わせる。
練がDKに来たのは番組が始まって一〇分程経ってからだった。
壁に掛けられた薄型テレビの正面に置かれたガラスの机。その周囲に置かれた赤いソファーに腰をかけている梅。その隣には練用の青いソファーが置かれている。
「どう梅。おどろおどろしいかしら?」
心霊現象や超常現象を、練はこんなものはありえないと馬鹿にする性格ではなく、どうしてそれが見えたのか、起こったのか、と見えた物より原因が気になるタイプだ。なので、このような類の番組に恐怖心を抱かない。が、嫌いではない。かと言って好きかと言えばそれも違う。ただ、後輩が誘ってくれたので無下に出来ないといった心情だ。
「ええ、ちょっと」
テレビ画面に梅は釘つけになる。机の上にレモンティーを入れたグラスが梅の前と隣の青いソファーの前に置かれていたので、練は青いソファーに座る。
「東北の方で、とある村に管狐っていう妖怪を操って人に呪いをかける一族がいるって話しをやっていて、今、その狐使いの家に向かう途中なんです」
まるで自分も一緒に東北に向かっているかのような緊張感で話す梅。
「そうなの。面白そうね」
「さっきそう言うの人達を憑き物筋って呼んでいました」
「犬神家の一族もそうなのかしら?」
さあ、と梅は首を傾げる。テレビ画面上で、ついに村にバンが乗り込む映像が映り息をのむ。が、この番組のピークは憑き物筋と呼ばれる血筋の者の家に入るまでで、あとはどこにでもいるような老夫婦を出してきて、延々と管狐の恐ろしさを語るだけ、という残念な放送となってしまった。けれど原因を求める練にとっては満足のいく内容だったらしく、エンドロールが流れるまで集中し、梅が隣で寝息を立てていたことにも気が付かなかった。
「もう、自分から誘ったのに、微睡むどころか寝息を立てているわ」
ふくれてみせる練だが、部屋から毛布を取ってきて、そっとかける。そしてテレビと電気を消し、グラスをシンクに持っていき、できるだけ物音を立てないようにして自分の部屋に戻った。spys内に使用禁止とされている語句が出回っていないか探す作業を行う為に。
戸を叩く雨の音、空に響く雷鳴。リビングで寝息を立てていた梅が目覚めたのは日を跨いでからだった。携帯電話で時間を確認すると、二の腕に鳥肌が立った。
「うわっ、丑三つ時。気色ワル。もしかして管狐の仕業?」
と、不安になる梅だが、体にかけられた毛布に気付き、別の恐怖が頭をよぎる。
「あたしから観ようって言ったのにやっちゃったな」
毛布をいつもより丁寧にたたみ反省していると、玄関の辺りからカタカタという音と、びちゃびちゃという音が混ざったものが聞こえた。無数の足を持つ何かが、薄く水が張られたフローリングを這う様な感じに聞こえ、梅は体をびくつかせる。
「ま、マジで? ゴキブリならまだいいんだけど」
もしも狐が風呂場で戯れていたらどうしようと、ありもしない想像をしてしまう。
ゆっくり忍び足で風呂場近くまで進むと、その恐怖心は瞬時に安堵に包まれた。
「なんだ、練さんの部屋の音か」
練の部屋の扉から洩れる灯りを見て、梅はそう判断した。きっとカタカタという音はパソコンのキーボードを叩く音で、水のような音は窓を開けていて、その近くの水たまりに雨が落ちた音だろう、と。
昨晩の無礼を謝るため、コンコンと二回ノックする。すると、部屋から「ひゃっ」という小さな悲鳴が聞こえた。心霊番組を観た影響で驚かせてしまったのかもしれないと梅は思い、扉越しに謝る。
「あっ、こんな遅くにスミマセン。あの、途中で寝ちゃって、それに驚かせてしまって、本当にごめんなさい」
「い。いいいいのよ、それは。毛布も明日の朝でいいから、おやすみなさい」
「は、はい。おやすみなさい」
毛布なんて扉を開けて渡すだけなのに、どうして明日なのだろう。梅は思ったが、さっき悲鳴を上げたのが恥ずかしくて顔を合わせられないのだと決めつけ、練さんかわいいなー、と、ひとりごちて自分の部屋に戻り布団に潜った。
練はというと、心霊現象なんかよりも怖い事があるのだと思い知らされていた。




