彼女の異常な欲情 2
始業式を終えた梅と友乃は昼食を取るため、人と和洋中の料理の香りがごった返し渦巻く食堂に来ていた。
和泉ヶ丘高校の食堂には食券機という物はなく、インターネットでの販売となっている。購入するには学校で配られたタブレット型デバイスでサイトにアクセスし、生徒番号を入力し、ディスプレイにパスワード入力画面の代わりに円が表示され、指をその円当て指紋認証を行うと電子マネーでの支払いが行える。初めてネットを使っての購入を行う友乃は入学式終わりに梅に教わりながら、たどたどしく、なんとか食券を購入した。
「あとは学生証を食堂のカウンターにあるカードリーダーで読み込ませれば食堂のおばちゃんが作ってくれるわ。出来るとモニターに生徒番号が表示されるからカウンターまで取りいけば、おばちゃんが渡してくれるから」
二人はカウンターにあるカードリーダーに学生証を通し、席についてモニターに名前が表示されるのを待つ。
梅は携帯電話で隣の席を画面表示させながら忙しなくボタンを操作する。
「何してるの梅?」
「えっ、この席を取ってるのよ。spysでこの席にコメント入力して、ここはあたしの先輩が座りますって」
「そんなこともできるんだ。便利だね」
「そうよ、だからあんたも機種変するかなんとかして使えるようにしなさい」
コメント表示時間は一五分くらいで大丈夫よね、と梅は呟き携帯電話を閉じる。モニターに目をやり二人の生徒番号が表示されていることを確認した。
「もう出来たみたいね、行きましょ」
カウンターに行くと眼鏡をかけたエプロン姿のおばさんが二人に笑いかける。
「はい、Aセットだね」
おばさんは梅の顔を見るとAセット(ミートスパゲティとコーンポタージュとサラダ)をカウンターに置く。
「ありがとう」
「で、綾さんははいからうどんよね。はい」
「え? あ、はい」
どうしてあたしの名前を? どうして頼んだメニューを知ってるの? ただ顔を見ただけなのに、どうして? もしかして……。
「おばさんは超能力者ですか?」
意を決し訊ねた友乃だが、おばさんは何を言っているんだい? とキョトンとした表情を浮かべる。
「はいはい、邪魔だから早く席に戻ろうね。おばさん、この子馬鹿なんでスミマセン」
顔を赤く染めた梅は友乃の腕を引っぱり席に着かせる。座ると同時に説教モード。
「あんたって学習能力ゼロなの?」
「だってわたしの顔を見ただけで名前と食べたい物がわかったんだよ? 超能力……あっ、狸? いや、でもそんなことで使わないし……じゃ占い師とか?」
これはだめだと梅は肩を落とす。
「気付かないようだから教えてあげる。あのおばさんは眼鏡かけてたでしょ。それは視力が悪いんじゃなくてセンリガンを使っていたからよ」
「センリガン? ってspysできる機械?」
「まあ、そうね眼鏡型デバイス。生徒の大半はコンタクトレンズ型を使ってるけど。ネットで食券を買うと、おばさんのセンリガンに誰がどのメニューを頼んだのか情報がいくのよ。で、センリガンのARで生徒の顔を見れば何を頼んだのか表示されるようになってるのよ。ちなみにARは拡張現実の略」
「へー、だからわたしの名前もわかったのか」
なるほどなるほどと友乃は納得し、箸を割ろうと割り箸を横に引っ張ろうとした。しかし梅がすらりと手を伸ばし、箸を奪う。
「まだ食べちゃダメ。練さんが来てないんだから」
「あっ、そういえば梅の隣の席、取ってたね。でもうどんだよ? のびちゃだめでしょ?」
そうかもしれないけど先輩より先に食べるなんて、と反論しようと思ったが、練りが来る事を伝えていなかった自分にも非があると、梅は渋々納得し箸を友乃に返す。
「ありがと。では、いただきます」
言った瞬間にずるずる、と麺をすする音とかつおだしの香りが梅の鼻を通り、腹が悲鳴を上げる。けれどせっかく一緒に練と食事ができるのだから、出来れば待っていたい。
練は生徒から人気があり、さらに生徒会と部活動の用事がある事もあるので、尚更一緒に食事を取る機会が少ない。同室者の梅でも一週間に一度くらいだろう。
どうしても鳴く腹に気が入ってしまう梅は、気を紛らわせようと友乃に話しかける。
「ねえ、綾はクラブ活動どうする?」
ずるずるっと良い音をたてて麺を口に入れ、咀嚼しながら考える友乃。
「運動は好きだけど苦手だし、絵とか歌とか楽器もできないし……」
「出来るからやるんじゃなくて、やりたいからやるんでしょ?」
「そうだね。じゃあ今はないからパスで。この学校に慣れるのでわたしには精一杯」
それもそうか、と梅は友乃の立場になって考えた。田園風景が広がる田舎で暮らしてきた彼女は文明の波がわずかにしか届いておらず、コンピュータやネットは勉強で使用するだけの、ほぼ無縁な生活を送ってきた。だから、この変化に慣れるだけで手一杯かもしれない。
「わからないことがあったらあたしに聞いて。出来るだけ答えるから。わかった?」
「ありがとう梅。で、梅は何のクラブに入るの?」
よくぞ聞いてくれましたと、友乃の頬が緩む。
「あたしはもうすでに拡張現実ソフトウェア開発部に入部済み。入学式が終わった次の日から参加してるのよ」
「だから食堂の使い方も慣れてたのか。そのクラブって確か練さんが部長の?」
「そうよ、あたしの夢は練さんと共に世界一優秀なプログラムを組むことだから、これで一歩近づいたってことね――と、噂ををすれば影」
そう言うと食堂の出入り口に向かって大きく手を振る梅。それに気付いた練は恥ずかしいからか、頬を少し染める。
「このことは練さんには秘密よ」
「どして?」
「決まってるじゃない。恥ずかしいからよ」
練はカウンターのカードリーダーに学生証を通すと梅の隣に座った。
「遅くなってごめんなさい。席を取っていてくれたのね」
「いえいえ、これくらいさせて下さい。食事に誘ったのはあたしですし」
「そう? では感謝はこの辺りにするわ。あのね、倭久井さん。先程手を振ったでしょう? すごく恥ずかしいから次はしないで」
いや、ついついと、頭を下げる梅。
「私はセンリガンがあるから手を振らなくても食堂を見渡せばすぐにあなたの位置がわかるの。情報弱者のように見えるからやめなさい、わかった?」
「すみませんでした」
笑いながら謝る梅に練は呆れる。今は反省よりも嬉しい気持ちが強いようなのでこれ以上何を言っても無駄だろう。そして梅の正面に座る友乃に目をやる。
「こんにちは、綾さん。うどんを小気味よく食べるわね。好きなの?」
「ゔぁい」
口に物を含んでいるのに返事をする友乃。口の中で咀嚼しているうどんが見えて少し気色悪い。
「あ、食べてからで良いわよ」
はいと首で返事をすると、ズルルッと麺を吸い上げ、汁を飲み干し、クハーっと息を吐いて、好きですと答えた。
「野菜、魚、うどんの順で」
「綾は讃岐出身だからね」
「あ、そうなの。少し待って」
練は友乃の情報を見ようとspysで覗くが今朝と変わらず、名前とクラスのみが表示されている。必要最低限の情報提示。これはつまりspysのシステムに登録していないということになる。
「まだ綾さんは登録していなのね」
「意味がないように思えるので」
開発者の目前でなんて失礼なことを、梅は驚く。
「だって別に覗かなくたって話せばいいじゃないですか」
それをスムーズに行う為にspysを使用するのだが……と使ったことのない者に、理解しようとしない者に、その便利さを伝えるのは困難だ。
「あの、練さん怒らないで下さい。友乃は田舎暮らしでネットや情報機器の便利さをわかってないんですよ」
「怒ってないわ。考え方は人それぞれ。けれどそういう考えを持つ方がこの学校に通っていることを不思議に思っただけよ。待ってもらって悪いけど先に食べていて」
練は表情を変えずそう言うと、立ち上がってカウンターに食事を取りに行く。席を離れた練を見て、すかさず梅は友乃に注意を入れる。
「あんたあんまり失礼なこと言うんじゃない。嫌われるよ」
「それは嫌だけど、思ったことを胸に終う方がわたしは嫌」
そうかいそうかいと不貞腐れ、顎を机に付けてため息をつく梅。
「まあ、あんたがそうならそれでいいけど。あたしも思ったことを言ってくれる人の方が好きだし。でも気を使うことも大事よ」
「うん、ありがとう梅」
練はAセットをカウンターで受け取り、軽く早歩きで席に戻る。食事に手をつけていない梅を見て、練は眼をすぼめる。
「先に食べて良いと言ったのに」
「せっかくですから。あっ、練さんも同じセット。偶然ですね」
そう言っている梅の情報を練は瞬時にspysで視る。
食事中に出来るだけ長く続けられ、それなりに盛り上がるであろう会話のキーワードを探す。クラス担任の有馬というタグを見つけ、目的に該当すると判断した練だが、有馬という担任と面識がない。それでは会話にならないので素早くspysのネットワークで彼の名を検索し、どのような人柄と経歴を持つのかを調べる。
ここまで五秒とかけずに練は行える。センリガンでspysを用いての情報収集にこれほど長けた人は指を数えるほどしかいないだろう。
「そうね、偶然。では、いただきます」
「いただきます」
「ところであなたの担任は有馬先生よね」
それから梅は練の思惑通り有馬担任の話で盛り上がり、あまり食事が進まず時間だけが過ぎていく。蚊帳の外にされ、暇になった友乃は、仕方なく携帯電話を取り出し、母親と会話することにした。
画面にはいつでも変わらない表情で迎えてくれる母親が表示される。安堵し、友乃は笑みを浮かべる。
それに気付いた梅は、友乃に聞こえないように小さな声で練に話しかけた。
「ちょっと練さん、質問です。友乃は今、病院にいるママと話してるみたいなんですけど、ちょっとおかしくないですか?」
「それって、病院で電子機器の使用は禁止されているだとか、そういうこと?」
「それもありますし……画面ちょっと覗いてもらえます?」
梅に言われた通り、チラリと友乃が手に持つ携帯の画面を覗く。そこに表示されていたのは、二十代半ばの女性の優しい微笑み。目と鼻の作りが友乃に似ている。
「若すぎませんか? 一六で結婚したとして、今年で三十二。見えないです」
「その気持ちはわかるけれど、あの子の発育具合をみればなんとなく理解できない?」
綾友乃。百人中九十五人が小学生と間違える容姿をしている。
「うーん、練さんの言うこともわかるけど。やっぱり友乃は不思議」
携帯電話に向かってボソボソと呟く友乃を二人は不審な目で見つめた。
時刻は八時を過ぎ、空は黒く染まり、風が暖かさを失い始めたというのに、友乃は帰宅していなかった。始業式は昼までに終わり、そこから昼飯を食べてカラオケやボーリングなどで遊ぶにしても少し遅すぎる。初日から飛ばしすぎだ。
友乃と同室者の人見は気になって電話をかけても繋がらず、メールを送っても返信がない。
人見は棚にあるカップラーメンの数を数え、テレビで番組表を見て、気になる番組がないことを確認すると部屋を出た。
部屋でコタツに入っていると気付かなかったが、四月といっても夜は冷える。トレーナとスウェットで外に出たことを少し後悔した人見だったが、戻って上着を取りに戻ることが面倒だったので、走って体を温めればいい、と駆け足でまずは近くの児童公園に向かった。
寮と学校の中間地点にある児童公園は、ブランコと砂場にベンチとシンプルでこじんまりしている。その公園を照らす一つの電灯のもと、ベンチに座る友乃の姿が確認できた。暗く人気のない公園は、寂しさで包まれた様な雰囲気を醸し出す。
少し息切れした人見は、歩いて息を整えながら友乃に近付いた。
「こんなとこで何してんだよ。小学生が遊んでると思って素通りするところだったぞ」
その嫌みに友乃は顔を上げ、あっ人見さんか、とあからさまに残念そうな顔をしてまた俯く。
「失礼だな、おい。カップ麺買いに行くついでに、門限知らないと思って迎えにきてやったんだぞ」
「ドウモアリガトウゴザイマス」
生気のない瞳で片言に感謝を述べる友乃。
「学校で何かあったのか? まだ門限まで少し時間あるから、聞くぞ」
聞いても仕方ないのにと言いたげな顔で友乃は人見を見たが、せっかくの先輩の好意だからとベンチを手でささっと土ぼこりを払い、隣にどうぞと手で示す。
人見が腰を降ろすと、ぽつりぽつりと友乃は落ち込んでいた理由を話し始めた。
今朝、よろしくと練に手を差し出したが無視されたこと、昼食の時に練に失礼なことを言ってしまったこと、それから練が会話に入れてくれないこと。
練りに対する話しばかりだったので、それを聞いた人見は少しにやけて口を開く。
「気にしすぎだ。握手を無視されたのは、あいつが気付いてなかって可能性はないか?」
「それは……ないとも言えないです」
「だろ? そんで友乃が練の作ったspysに文句を言った事も別に気にしてないはずだ。あいつ、練は率直な意見を大事にする奴だからな。そんでそのあと無視されたのも勘違い。というか練は友乃を知らないからだ。練は人見知りだからなあ」
練は会長やクラブの部長を任されていて、表面上はとても人見知りには見えない。だが、あまり接点のなさそうな人見は、旧知の仲、と知った風に話すので友乃は不思議に思う。
「どうしてそんなに山冨さんの事を人見さんがわかるんですか?」
それはだな、と人見は言ってベンチから立ち上がり、ブランコに移動し立ち漕ぎを始める。
「小学校からの付き合いだからだ。高校に入ってからはあんま喋んないけどな。練は今とは違って小学校の頃は文学少女で昼休みは図書館に行って本と会話するようなおとなしい奴だった。だから気にするな。何かのきっかけで小学校の頃の練が顔を出しただけだろ、きっと」
でも、と声を押し殺すようにして友乃はその言葉を口にする。
「あたし嫌われたくないです。練さんをもっと知りたいです」
「じゃあ簡単だ。やりたくもないspysに登録してこの件をチャラにするか、違う部分で友達になれるきっかけを探すかだ」
いきなり取捨選択を迫られても、と困った顔を浮かべる友乃。それを見かねて人見は続けて話す。
「どうして友乃はそこまでspysを毛嫌いするんだ?」
「それは、話すことを無駄だって言ってる気がして……文字を読むだけじゃわからない事だってありますよね? 無感情な文章を書いたって、口にすれば違う場合もあるし。とにかく私はちゃんと接してから好きか嫌いか判断した方がいいと思います」
「その言葉はそっくり友乃に返す事が出来るぞ」
想像していなかった言葉に友乃は心を締められ、息苦しさを感じる。
「練がどういう気持ちでspysを使って、どういう気持ちでお前に勧めたのか考えたか?」
「それは……」
ごにょごにょと小さい声で言訳をする友乃だが、ブランコの鎖がきしむ音で人見には届かない。
「反抗する時は出来るだけ相手の気持ちに立って考えろ。そうすれば互いに歩み寄れるかもしれない、だろ」
その言葉に一筋の希望を見出した友乃は、しっかりと頷いてみせた。
そして小学校の頃、友達の輪の中に入るためブランコを漕ぐ練習をした自分の姿を思い出す。友乃は中学校の頃、地域が過疎化のため通信教育だった影響もあってか、このような気持ちを失っていた。
「お前もブランコ漕ぐか? ちょっと肌寒いけどたまにはいいもんだ」
「ううん。初漕ぎはお母さんに見せてからって決めてるの」
そうか、と意味もわからず人見は適当に返事をする。それから大きく屈伸し、ブランコの振りを大きくする。そして目線が一番高くなったところで飛ぼうとしたが足がすくみ、結局低い角度で少し飛び、砂煙を余分に立ててよろけながら直立で着地した。特に格好良くもなかったがなんとなく友乃は手を叩く。
「ブランコ漕いでる最中に思ったんだけど、桜って友達の理想形かもな」
「わたし友達って梅だけだからまだピンとこないです」
悲しい事を友乃は幸せそうに言う。
「そうか、ならしかたない。解説してやる。桜って咲いた時にしか気が向かないだろ? そのくせ毎年見ても飽きないし毎年咲いてくれる。友達も、呼びたい時に呼べて、会わない日が何ヶ月何年あっても、それでも変わらず迎えてくれる。俺はそれが友達って思うんだよな。わかった?」
全然と首を振る友乃を見て、はあ、と人見はため息をつく。
「わかったのは人見さんが自分勝手だってことと、あとはわたしがその話を聞いて桜を見たくなった事ってだけです。この辺りで桜並木ってありますか?」
あるにはあるが、と人見は言って、坂を降りた先にある溜池の周りに植えられた桜並木を思い描く。
「じゃあ案内して下さい」
友乃は人見の手を公園の出入り口の方に引く。
「ちょ、スーパーでカップ麺買いに行かなきゃならんのに、そっちだと逆方向だ」
「そっちってどっちです?」
「公園を出て左手に真っす――っておい!」
その言葉を聞き、言葉通り友乃は左に曲がり走っていく。その背中を見て人見は声を上げる。
「おい! そっちだと門限ギリギリだぞ!」
「だから走ってるんですよ! 人見さんも来て下さい。さっき言ったじゃないですか。必要な時にいてくれるのが友達だって!」
「お前は同居人だっ!」
そう叫びながらも人見の足は桜並木の方に向いていた。




