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妄想公園  作者: 奈屋一郎
11/17

音のない音楽祭 3

 今より半年前、季節は秋。

 時おり吹く冷たい風が冬を感じさせ、木々の葉が暖色に色づき始めた頃。

 生徒会長となってまだ間もない練は、担任から歌織を探すように言われ、見つけると車に乗せられ、市の病院へと連れていかれた。何が置きたのかも知らず連れていかれる二人は運転席で緊張した面持ちの担任に事情を尋ねた。

「貝口の母親が事故に遭い、危うい状態だと病院から連絡を受けた」

 その答えに二人は呆然とし、練は何と言葉をかければいいかわからず、歌織は気が動転し、言葉など交わす余裕など無く、車内は慌ただしいエンジン音だけが響いていた。

 病院に着くと歌織は母親の元に駆け出した。担任と練も後に続く。

 息切れする中、辿り着いた場所は、面会謝絶と言う札が貼られた病室だった。何故か病室の前では人見が腰掛けていた。練が声をかけると、不機嫌そうに「万が一の為に呼ばれた」とだけ言い、後は口を開かなかった。

 病室の前で青ざめた顔をして歌織が右往左往していると、初老の医者に病室に入るように言われ、室内に足を踏み入れた。

 傷だらけだとどうしよう、腕や足がなくっていたらどうしよう、などと不安な気持ちはあったが、生死の狭間にいる母親を前にすると、そんな気持ちは消えていた。

 呼吸器が付けられ、点滴を打たれていた母親は苦しそうな表情をするでもなく、ただ眠ったように息をしているだけだった。そこで医者がなだめるように言った。

「お母さんはあと数時間の命でしょう。最後まで見守ってあげて下さい」

 それだけ言うと医者は退室した。

 残された歌織は涙も流さず、ただぼうっと母親を眺め、どうすればいいのか考えた。そして答えが出ると、堂々とした姿勢で母親の前に立ち口を開いた。

 それは声量のある歌声だった。楽譜に書かれた強弱など無視し、歌織はひたすら大きく透き通った音色を響かせた。まるで天に昇る母親の魂を、こちらだと誘導するかのような美しさだった。

 そして数日後、母親は奇跡的に意識を取り戻したのだった。

 聴力を無くして。


 昨日の雨が残る火曜日の朝。友乃はいつものようにこたつで眠る人見の横で、ニュース番組を観ながらプチトマトを頬張っていた。すると珍しく携帯電話が鳴り、口にトマトが入ったまま通話ボタンを押す。

「ゔぁい」

「あっ、綾? 綾よね」

 口に物を入れたまま話されたので声が違って聞こえたのか、名前を確認される。慌てて飲み込み返事をする。

「そうだよ」

 と言った後で、聞き慣れない乾いた声だったので友乃の脳内に疑問符が浮かぶ。友乃の携帯番号を知っているのは人見と練と梅、それと父親と祖母だけだ。

「そっちこそ誰?」

「画面に表示されてるでしょ」

 そうだったと、確認する友乃だが、電話の向こうから聞こえてくる声が名前と一致せず、どういうことなのかと悩まされる。

「梅だよね。誰かのモノマネとかしてるの? 朝からテンション高いね」

「アホか。地声よ。風邪ひいたのよ、かーぜ」

 その声の後に、ずるずるっと鼻をすする音が聞こえた。

「そっか。寒いとか言ってジャージ着てたもんね、納得」

「でしょ。だから今日は学校休むわ、だから一緒に行けないって連絡したの」 

 それならメールでいいじゃないか、と思う友乃だが、まだ話しは終わっておらず、梅は続けて話す。

「それと貝口さんのことだけど、今回は人見の言う事が正しいと思う」

「どういうこと?」

「本当に大切な物なら失わないってことよ。ちょっと心理学をかじったんだけど、人は忘れ物をするでしょ、それは忘れているんじゃなくて、無意識に忘れさせてるの」

 意味が分からず沈黙してしまう友乃。

「だから、忘れ物にも意味があるのよ。例えば、宿題をわざとじゃなく忘れていてやってこなかったりするでしょ。それはもう勉強なんてやりたくないっていう意識が働いてストレスを緩和させるため、無意識に宿題を忘れさせるのよ」

「思ったんだけどさ、梅」

 明るい調子ではなく、少し落ち着いた声で話すので、梅は友乃が何かひらめいたのかと思い、耳に意識を集中する。

「風邪でしょ? 喉痛めてるんならあまり話さない方がいいよ」

 期待したあたしが馬鹿だったと舌を打つ。

「だから、今回の件、あたしは手伝わないからって言いたかったのよ。じゃあね。あと練さんが一緒に行こうって言ってたから、女子寮の前で待っといて、あとあたしがいないからって登校拒否するなよ」

 わかったと短い返事をしてから電話を切り、友乃は適当に髪を手櫛して制服に着替えた。眠っている人見を起こし、学校に行くんですかと訊ね、行かないという返事を聞いて、駆け足で女子寮に向かう。

 女子寮に着くと、入り口付近で複数の生徒と会話をしている練の姿を見つけた。友乃は手を小さく振りながらおはようございますと言って近づく。

「おはよう、綾さん」

 それに続き、周りにいた生徒もおはようと声をかける。その中の一人が、あれって人見と同室の子じゃない? と言い出し、周りにいた生徒もそうかも、とざわめきはじめた。

 それを聞いた練は、さっき家を出る前、鼻をすすりながら梅が言っていた事を思い出した。

 入学してから一ヶ月が経つというのに、友乃には友人ができていないらしい。それは人と接しようとせず、携帯電話で母親と話す彼女のせい、というのもあるが、クラスメイトが友乃を避けているのだという。

 人見と同室という点で変な眼で見られ、携帯電話ばかりさわり、威厳のある理事長の娘だから、近寄りがたいのだという。中には気にしないで話しかける者もいるが、友人なのかと問われれば疑問視してしまう。

 そんな友乃の事を梅は心配していた。一人で寂しくないのだろうかと。だが、それを本人に訊ねるほど練は無遠慮な人柄ではない。ましてや、練自身もどちらかといえば、人付き合いは時として煩わしい物だと思っているので尚更言えない。

 そんな彼女に出来る事と言えば、友人が少ない事で不快な気持ちにさせないことだ。

 練は悪びれた表情で、友乃と話があるから先に登校してと生徒達に言う。それを快く受け入れた生徒達は一礼して坂に向かって行った。

「わたしって有名人なんですか?」

 嬉しそうに問い掛ける友乃に対し、練は冷めた表情をしていた。

「ええ、けれど気にしない方がいいわ」

 そう呟いて俯き加減でゆっくりと歩き出す。

「話しって言うのは貝口さんの事よ。昨日、帰ってからspysの禁語処理を行っていたのだけれど、貝口さんの歌に対する疑念の言葉が多くなってきているわ」

「音楽祭に来た人達ならみんな気付いてますよね?」

「それがそうでもないのよ。前席の方なら気付くでしょうけど、後ろならヘッドホンの故障って思う方がほとんど。掲示板でそのようなレスがあったわ。でも、この調子だと、いずれ彼は気付いてしまう。歌声が出ないことに」

 もしも歌が歌織にとって生きる支えになっているとすれば、それを失った事に気付くと、どういう行動に出るかわからない。だから絶対に他人からその事実を聞いてしまうのは危険だ。

「自分から気付けばいいんですよね」

「ええ、けれど徐々に知る事が大事だとカウンセリングの伊藤先生が言っていたわ。そこであなたにお願いがあるの」

「お願い?」

「ええ。クラブ活動をしていないのなら、彼の朝練習に付き添ってあげて欲しいの。一緒にいて変化があるとは断言できないけれど、人見が綾さんと貝口さんを似ていると言っていたのが気にかかるわ。似ていると言う事は、あなたにも貝口さんと同じ様な傷があるかもしれないと思うの。だから一緒にいれば、貝口さんはあなたから自分の傷を見つけられるかもしれない。

 こんな当てずっぽうな考えだけれど、きいてくれるかしら?」

「わかりました、任せて下さい」

 憑き物落とし以外で人に頼られた事があまりなかった友乃は嬉しくて二つ返事で受け入れる。

「私からも少しお願いがあるんですけど、訊いてもらえますか?」

「ええ、もちろん」

 返事を聞いて友乃はスカートのポケットから携帯電話を取り出した。

「ちょっとおかしいんですよ。昨日、このことをお母さんに相談しようとしたんですけど会話できなくて……」

 携帯電話を受け取り、練は友乃の了解を得て適当に操作する。元はシルバーの携帯電話だったのだろうけど、塗装が剥がれ所々灰色で、傷も幾つかある。

「型が古いわね、それにかなり大きな傷もある……落としたりしたかしら?」

「いえ、その傷は事故の傷です。事故したお母さんが持っていたから」

 事故に耐えるとは大した物だと練はじっくりと見る。さらに操作を進めると、あることに気付き、背筋がぞっとした。けれどそのことを彼女に伝えるわけにはいかず、もっともらしい事を言ってこの件は流す事にした。

「携帯電話は十年も使えるように出来ていないわ。だから長年使っていれば、所々故障するのは仕方のない事よ。新しいものを買うか……私のお父さんは技術者だから治せるかもしれないわ。もし修理をする気になったら声をかけて」

「はい。ただの動作不良かもしれないので様子を見る事にします」

 平静を装うため、練は笑顔を崩さないようにした。少しでも気を抜くと顔の筋肉が引きつってしまう。その理由は故障した携帯電話を、契約会社に持っていく事を勧めず、自分の身内に預けようとした事にある。

 友乃の携帯電話にはテレビ電話の機能など搭載されていなかったのだ。

 練が動揺してあまり会話ができないまま学校に着くと、友乃は正門付近から部室に歌織がいることを確認し、練と別れ合唱部室に向かった。

 扉を開けると、いつもと同じように、声は出ていないが、必死に眉を上げ下げし、口を大きく開けて、地に根がついた様にしっかりと立ち、口パクしていた。そしてやっぱり部室に入ってきた友乃には気がつかない。

 相談するには実物を見てもらった方がいいので、友乃は携帯電話を取り出し、歌織にカメラを向けて練習の邪魔にならないよう小声で母親に話しかけた。

「お母さん、おはよう。見て、歌声がなくなった貝口歌織さんだよ。奇麗な顔してるよね、女の人みたい。でもなんだか苦しそうなんだよね。声が出てないからかな? それを無意識に感じているからあんな顔なのかな? それとも悲しい歌を歌っているから? 気になる、声を聴きたいよ、わたし」

 しばらくの間、母親と喋っていた友乃は電話を切り、一息つくと隣に歌織がいたので驚いた。

「え、あれ? もう練習は終わりですか」

 勝手に部室に入ったことを詫びない失礼な友乃に、歌織は嫌な顔などせず、にこやかな表情を向ける。

「そうだよ、だってチャイムが鳴ったからね。そのことに気付かないなんて、そうとう集中していたようだ」

「それは貝口さんもですよ。昨日も入って来た事に気付かなかったし」

「今日は気付いたよ、でも無視していたのさ。練習中は一人になりなさいって先生が言うのでね」

 歌織はそう言って耳につけているジュンプウジを指差す。

「それを使って練習しているんですか?」

「そう、僕の声をジュンプウジで先生に転送して、聴いてもらいながら練習している。いつも先生は僕の思いもしない部分を指摘して下さるので頭が上がらないよ」

 そう言って自分の無能さを恥じるように笑う歌織。

「それにジュンプウジを使えば、先生がいなくても、僕の歌声の音階と原曲の音階の違い、それにテンポ、強弱の違いなど瞬時に教えてくれるから、本当助かるよ」

 それは、便利そうだと、友乃は羨ましげにジュンプウジを眺める。そこで本鈴が鳴り響く。

「早く行かないと叱られちゃいますね」

「だね、じゃあ」

「はい、放課後また来てもいいですか?」

 練習を見に来るとは物好きな子だな、と歌織は思いつつも、もしかしたら時期遅れの部活見学に来たいのかもしれないと判断し、快く承諾した。

「ああ、いいよ。四時から練習だから、それではまた」

「はい、また会いましょう」

 そう言って扉に向かって駆け出す友乃。

 部屋を出て行った辺りで、歌織は言い出せなかった言葉を口にした。

「ちょっと待って君。さっき話していたのは」

 会話の内容から歌織は友乃の電話の相手はわかっていた。けれど確認したいという気持ちが勝ってしまった。

 ひょこっと扉から頭だけ出して友乃は口を開く

「お母さんですよ」

 その答えが自分の胸に傷を付けるとわかっていた。心臓は火あぶりにされた様な熱さを持ち、血が沸騰したように脈打つ。

 苦しみを隠すように微笑を浮かべ、歌織は走る友乃を見送った。


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