音のない音楽祭 2
しとしとと雨が降り、コンクリートを濡らし、水たまりを作る通学路。寮から学校まで五分程という短い距離だが、坂道の影響もあってか、傘をさしていてもわずかに足を濡らすので、梅は不機嫌だった。隣を歩く友乃は雨の日特有の地面の匂いを嗅いで、少し上機嫌。
「今日は山冨さんいないんだ?」
「ええ、生徒会の仕事よ」
素っ気なく答える梅の機嫌を少しでも良くさせようと、友乃は話題をふる。
「そういえば土曜日なんだけど、初めて音楽祭を観に行ったよ」
「ライブ? バンドか何か?」
梅は不機嫌に訊ね、湿気た髪を丁寧に伸ばす。けれど手を離すと少しうねる。
「違うよ、学校の音楽祭。ジュンプウジ科? の人達がたくさん出てたよ」
学校の催し物かよと、ため息を吐く梅。
「じゃあ、あれね。貝口さんが出ていたんでしょうね」
「そうそう。さすが梅。よく知ってるね。音楽にも詳しいんだ」
「音楽はそれほどよ。ただ、貝口さんってこの学校が連れて来た目玉みたいな存在でね。よくあるでしょ? 野球とかサッカーでも、有名な選手が通っていたから自分もそこで学びたいって」
「梅と一緒だね。練さん追っかけたみたいに」
一緒にするなと、と梅は呟き続きを話す。
「和泉ヶ丘はジュンプウジ科の人気の礎になるような人を求めていて、それで貝口さんを拾って来たのよ。ジュンプウジを使ってあなたの歌声をもう一つ上の段階へ引き上げませんか、みたいな感じで誘ったんでしょうね」
「へー、そんなことができるのかあ。耳につけるセンリガンみたいなのと思ってたけど、そうじゃないんだね」
「まあ、機能的には変わらないでしょうね。あたしも詳しくは知らないから鵜呑みにしないでね。全部噂話だから」
「じゃあ、この話も知ってる? 貝口さんは歌声が出せないって」
こいつはまたわけのわからないことを言っている、と決めつけ、梅は、はいはいと話しを流した。
坂を上りきり、正門の周りには透明、黒、赤、青、など様々な色の傘を持つ生徒が、空の色に影響されてか、少し暗い表情をして正門を通っていく。
「ところで綾は誰と観に行ったの? 一人? まさか人見ってわけじゃないでしょ」
「両方外れ。答えは梅の大好きな人だよ」
その言葉を聞いて梅は瞬時に手に持っていた傘を離し、勢い良く友乃の胸ぐらを掴んだ。周りを歩いていた生徒は何事だと一瞥する。
「マジで言ってんの? ね、なんであたしを誘わなかったのよ!」
首を締め付けられ、息がしにくいながらも友乃は答える。
「や、まと、みさんが……人見さ、んを誘っ、たけど。断られて、それ、で。わた……しにって」
ゴールデンウィークに実家に帰らなかったので、その代わりにと、先週の週末、梅は地元の大和に帰っていたことを思い出し、どうしようのないやるせなさに見舞われる。
「何でこういう時に限って実家なのよっ!」
八つ当たりに友乃の体を揺さぶる梅。温厚な友乃も理不尽すぎる振る舞いに怒ったのか、梅の手を弾き、足下が濡れてもおかまいなしといった感じで、水に濡れた地面を思い切り踏み込み駆けていく。だが、正面にある文化部棟を右に曲がって一年棟に向かうはずなのに、そのまま真っ直ぐ進み、傘をさしたまま文化部棟に入って行った。
「ちょっとどこ行くのよ! そっちは文化部の部室棟よ!」
すぐに傘を拾い、仕方なく梅もその後を追って文化部棟に入ることにした。咄嗟の出来事で、足下を気にせず走ったので靴も靴下も水浸し。替えを持っていてよかったと安堵するが、二階を上った辺りで友乃の姿を見失った。
階段を上る足音がしないので、二階のどこかの教室に入ったのかもしれないと考え、廊下を歩き、電気の付いている教室があれば、ドアを開けて失礼するつもりで見て回った。けれど予鈴間際なので、どの教室も電気など付いておらず、廊下を歩く生徒もいない。やっと一番端の教室まで来ると電気が付いていたので、梅はノックをして失礼しますと言って扉を開けた。
すると、ぼーっと何かを見つめる友乃が正面にいた。
梅は近づきながら声をかける。
「やっぱりいた。さっきは冗談が過ぎたわ、ごめん綾」
その声で梅の方を振り向き、何のことと首を傾げた。
「私はただこの教室に貝口さんが見えたから来ただけだよ?」
どこにいるのだろうと、梅は友乃が見つめる先を見ると、必死に口を顔の皮膚を動かしながら……口パクしている歌織が視界に入った。
その姿は滑稽だが、必死すぎて笑えず、梅は友乃に近づき、貝口さんは何をしているの? と訊ねた。
「わかんないけど、歌の練習じゃないかな?」
「という事は、本当に歌声が出ないの?」
汗を額に滲ませながら、二人が部屋に入ってきたことにも気付かない集中力で口パクをする歌織を見て、やっと梅はさっき友乃が言っていた事を信じた。
歌声が出ない歌手がいる事を。
しばらくその滑稽な様を見ていると、予鈴のチャイムが鳴り、歌織はピタリと動きを止め、口を開きやっと音が聞こえた。けれどそれは地声だった。
「今日もお疲れさまです先生。また四時からお願いします」
友乃はどこからか先生が覗いているのかと辺りを見渡すも、教室内には梅と歌織しかいない。その様子に気付いた梅は口を開く。
「先生ってきっとジュンプウジよ。耳に機械がついてるでしょ」
「イヤホンみたいなの付いてるね」
歌織には耳にかける、インナーイヤータイプのヘッドホンのような物がつけられている。音楽祭で貸出しされたジュンプウジは、ヘッドホン型だったので、友乃は同じジュンプウジだと気付かなかった。
「あれで電話もできるのよ。外国人でも翻訳機能があるから話せるらしいわ。だから通信で指導を受けているんじゃない?」
先生との会話を終えた歌織は、やっと二人が室内にいた事に気付き、驚いて二度見した。
「驚いた。人がいるなんて気付かなかったよ。どうしたんだい、君たち」
「なんで歌わないんですか」
話す順序と言うものを考えず、訊きたいことを端的に言う友乃に、こいつはまたと舌打ちをする梅。ほとんど初対面の相手にそのような事を訊ねて、答えてくれるわけがなく、歌織は口を開かず、じっと友乃の顔を見つめる。
「ごめん、聞こえなかったからもう一度言ってくれるかい?」
運良く歌織の耳に届いていなかったようで、友乃の方に耳を傾ける。
「だからなんで口――」
懲りずに同じ質問をしようとする友乃の口を抑え、「何でもないんです、失礼しました」と言って梅は外に連れ出した。
部室を出て、名残惜しそうに合唱部室の扉を見つめる友乃の襟首を梅は引っぱり、一年棟に向かう。
「下手なコト言うんじゃない! 初対面なんでしょ? 口パクの練習をしてるのか、って際どい質問すんじゃないわよ」
「初対面じゃないもん、二回目だし」
そう言って自分は悪くないとふくれる友乃。わがままさと自由気侭な態度に呆れ、相手をするのが面倒になった梅は一つ提案した。
「直接本人に聞くのは危険だから、学校一の情報家に訊くのがいいわね」
「それってだれ?」
「決まってるじゃない。練さんよ」
「声が出ない理由? それはね……」
雨が降り続く昼休み。食堂で友乃と梅と食事を取っていた練は、歌織の歌声が出なくなった理由を問われ、言うか言わないか迷っていた。オムライスをスプーンですくい、今日は少しチキンライスのケチャップが濃いなと、思いながらゆっくりと咀嚼する。口の中の物を無くしてから、前に座る二人の顔をじっと交互に見つめた。
「広めては駄目よ。これは貝口さんだけでなく、学校の問題にも繋がるから」
「学校? どうしてですか」
はいからうどんをすすりながら友乃は訊ねる。その隣では梅がきつねうどんをすすっている。
「彼は和泉ヶ丘の象徴。生徒が噂を広めて彼に気付かれれば傷を付けかねないわ」
梅はそれを聞き背中に寒気を感じる。今朝、歌織がしっかりと友乃の言葉を聞き取れていれば、取り返しのつかない事になっていた。
「なんで気付かれちゃ駄目なの、山冨さん」
「しっかりとした理由は訊いていないけれど、ショックが大きいからじゃないのかしら。spysでもそのような言葉を見かけたら禁語処理してくれと先生方から言われているわ。ジュンプウジでもそのような言葉を聞き取れないように処理しているから、貝口さんはまだ気付いていないでしょうね」
「だからわたしが訊いても答えなかったのか」
しみじみと今朝の事を思い出す友乃。確かに歌織は友乃の問いを聞き取れていなかった。
「原因はわかっているんですか? 練さん」
鼻声の梅はポケットティッシュをポケットから取り出し鼻をかむ。
「わかっていればどうにかしているでしょうけど、貝口さんに気付かれないようカウンセリングする事はとても難しいでしょうね。私が最後に貝口さんの歌声を聴いたのは彼のお母さんの病院だったわ。たまたま一緒にいて、病院から危篤状態という電話を受けて一緒に向かったのよ」
「それと関係しているんでしょうか? とりあえず相談してみます? あいつなら貝口さんと友達だし心理士だし、どうにかできるんじゃないですか?」
それがね、と練は呟き、友乃と目配せする。うんうんと知った様な顔で友乃は頷き、深刻そうな声を出す。
「人見さんは多分だけど、貝口さんのことを嫌いになったんじゃないかなって思う。音楽祭も断ったし、朝、貝口さんってどんな人? って訊いたら、お前に似てるよ、って言って相手にしてくれなかったよ」
「人見って本当に性格悪いですよね……いや、もしかして焼きもち焼いてるのかも」
その言葉に練は反応し、チキンライスをすくう手の動きが止まる。
「焼きもち?」
「ええ、きっと貝口さんと練さんに仲良くなって欲しくないから、貝口にそっけないんですよ。あの天の邪鬼ならありえますって」
その可能性がないこともない。けれど、あの男が焼きもちだなんて似合わない、と練は思うも、反論する言葉が浮かばない。そうあって欲しいからだ。
梅は実際に焼きもちを焼く人見の姿が見たくなって、二人に提案した。
「放課後、人見に相談してみましょうよ」
「でも、人見さんが貝口さんの話を聞いてくれるかな?」
鼻をすすってから、梅は提案した。
「貝口さんじゃないって、嘘をついて相談するのよ。歌じゃなくっても、ある言葉が出せなくなった、でも同じ様な物じゃない?」
相談事に嘘をつくだなんてすごく悪い気がした練だが、貝口のためなら少しくらいはと思い同意する事にした。友乃も同じ気持ちだが、それよりも本当の歌声を聴きたいという欲求の方が強かった。
昼とも夕方とも呼べない中途半端な時間帯。学校をサボった人見はワイドショーを観ながらパソコンでネットサーフィンをしていた。
玄関から鍵を開ける音が聞こえ、友乃が帰って来たのかと足音に耳をすます。けれど足音は一人分ではなく、複数聞こえ、もしかして泥棒でもきたのかと警戒し、パソコン机の前から移動し、コタツの中に入って布団の隙間からDKの扉を見つめた。
扉が開くとジャージ姿が見えたので、マジかよ、と更に奥へ入る人見。けれど、その声を聞いて安堵する。
「あれ、人見の奴どこ行ったの? ねえ綾、何かアイツ言ってた?」
ビビって損した、と安堵の息を漏らす。よく見れば和泉ヶ丘高校のジャージだ。ちらりとコタツ布団の隙間を作り、扉の方を見つめると梅の姿が見え、後ろには練も見えた。自分の臆病さに呆れ、素早くコタツから頭を出す。
「ひゃっ。何してんのよアンタ! はっはっ、ハックシォョイン」
驚くと同時にくしゃみをしたせいで、梅の唾が真下にいた人見の顔にかかる。人見は睨みながら腕で拭う。
「汚いしうるさい。ここは俺の家だ好きにさせろ。ところで、梅はなんでジャージなんか着てる」
「梅って呼ぶな。風邪ひいたのよ、雨だったから」
そう言って、ファスナーが上がる所まで上げ、首が隠れる。
「風邪ならくるな、人にうつす気か? お前がくるとロクな事がないんだから帰れっ」
「人を疫病神みたいに言って……うつしてやろうか」
放っておけばこうやってずっと言い合いをしていそうなので、練は友乃を諭す。
「こら、今日は何をしにきたのかわかっているの倭久井さん。いくら人見が憎くて鬱陶しくても、本題を忘れてしまっては、ただ気分が悪くなってしまうだけになるでしょう」
「練まで俺を追いつめるのか!」
つい言ってしまったと練は口元を抑えるそぶりを見せるが、唇の端が上がっている。
「ごめんね、つい出てしまったのよ。梅さん、はやく本題」
「わかりました」
梅は人見の正面に座り、練がその右隣に座ると、自分の部屋にかばんを置いた友乃がやってきて、空いた席に座り、まったりとした表情を浮かべる。それを横目に梅は顎に手を当て、やや俯き加減で話しはじめた。
「話しって言うのは、あたしの友達の事なんだけど、ある言葉が出なくなったのよ」
「ある言葉ってのは何だ? それがわからんとどうしようもない」
興味無さげに質問する人見だが、じっと梅の目を合わせようとする、だが梅は気色悪いので視線をそらす。一時でも眼をあわせたくない、そんな雰囲気を表情から醸し出す。
「言葉じゃないわね、口笛よ。吹けなくなったの」
「あんなもの吹けないでいい。口笛なんて耳障りなだけだ」
そんな足蹴にしなくても、と梅は苛立ち、馬鹿らしい嘘で嘘を塗り重ねる。
「その子素人じゃなくてプロ志望なのよ、口笛の。だから手を貸してあげたくて」
それを聞き、こらえるように笑う人見だが、耐えられなくなったのか手を叩いて笑う。
「バカかお前、口笛のプロなんているわけないだろ」
それを聞き練は話しに割って入り反論する。
「いえ、いるわよ。世界口笛大会も行われていて、有名な方なら年間一五〇ものライブを行うそうよ。日本には口笛奏者協会もあるわ」
それを聞いても人見の笑いは止まらず、腹を抱える。
「で、人見さん、何が原因かわかります?」
隣にいた友乃はじっと人見を見つめる。そして目が合うと下らないと吐き捨てた。
「やっぱ面白くないわ。なーにが口笛だ。世界大会はどうか知らないが、しょうもない。この嘘つき」
人見は蔑んだ冷たい目で梅を見る。
「なによっ、そんな証拠がどこにあるのよ」
「大有りだ。お前は目を合わせようとしないし、体の一部をさわりながら喋った。これは心理学的に嘘をついている可能性が高いんだよ」
「それは可能性で――」
「嘘をつくのが下手なんだよ。めんどくせえ。歌織のことだろ?」
「わかってんならさっさと教えなさいよ」
開き直る梅に呆れ、練は深いため息をつく。
「あいつにカウンセリングなんて必要ない。大体歌わなくても生きていけるだろう。人間は楽器じゃないんだから」
「それは違うわ」
いきなり大きな声を出して否定する練に、皆は驚く。
「ごめんなさい、大きな声を出して。でもね、人には命と同じくらい大切な物があると思うの、それが貝口くんにとって歌だと思う」
「俺はそうは思わないね。歌が命と同じくらい大切なら失うはずがない。お前も覚えてるだろ、あいつの歌声が消えたのがいつだったか」
「そ、それは、わかっているけれど……」
人見はコタツから出て、扉を開ける。
「わかってんなら帰れ。俺はあいつが歌わない方がいい思ってる。だから手は貸せない」
人見の厳しい顔つきに観念した練は帰りましょうと静かに言って、梅の手を引き部屋を出て行った。人見とすれ違い様、梅は人見の焼きもちを見れてよかったと微笑を浮かべていた。
玄関の扉がしまる音を聞くと、邪魔者はいなくなったと大きく伸びをする人見。そんなリラックス気分を崩す、暗い声で友乃は問い掛けた。
「貝口さんの歌声はいつ消えたんですか」
それに対し、面倒そうに人見は答えた。
「母親の耳が駄目になってからだ」




