妄想公園 1
四月一日快晴。
雲がなく、陽が燦々と照らす絶好の入学式日和。
特例市が誇る情報高校は、なだらかな長い坂道を上った丘の頂上付近にある。
黒光りな高級外車の後部座席に座り、うとうとしている少女、友乃はそこに向かっていた。
体に優しく響くエンジン音が心地よい車内だが、フロントガラスから差し込む強い陽の光で目を覚まし、まぶたを開け、窓から外を見て友乃は驚いた。
その町並みは、暮らしていた山が囲み田園が広がる村とは別世界だった。灰色が被い、見たこともない数の店が道に並び、前後左右を車が走る風景。
違いに興奮した友乃は運転席の父親に問い掛ける。
「ここはどこ? 日本?」
テレビでしか見たことない風景に心が落ち着かず、声色がドキドキとソワソワで混じりあっている。
「車で6時間程じゃ海外には行けない。大分早く着いてしまったがもうすぐ学校だ。ちゃんと目を覚ましておきなさい」
友乃は大きく頷き、再び外の世界に釘つけになった。
色とりどりで大小さまざまな車、回転する看板とその数。今まではこの国に一億人ほど住んでいると聞かされ半信半疑だった友乃だが、どこに視線を移しても映るそれらに真実味を感じた。自分がこれからこんな世界で暮らすだなんて想像もつかない。半ば夢の中状態の友乃は十五分ほど車に揺られ坂を上り、高校の正門前で停車した。けれど門は開いていない。まだ入学式まで時間があるからだろうか。
「他の荷物は寮に持っていくから、鞄だけを持って行きなさい」
父親からそう言われ友乃は頷き、初めて村以外の場所に立つ緊張を抱き、そっとドアを開けてゆっくりと足を灰色の地に着ける。
細い足に吹く風は少し濁ったような香りが擦るが暖かく、門の辺りを見ると散り始めた桜が控えめに花びらを舞わせる。
「Hello world」
友乃を見つめ、父親は小さく呟く。
「入学式は9時からだ」
父親は窓からそれだけ言うとアクセルを踏み、すぐに町並みへ消えていった。
車が視線から消えると、友乃はスカートのポケットから携帯電話を取り出し笑みを浮かべた。
「お母さん、おはよう。わたしは学校に着いたよ」
携帯電話の画面には優しく微笑む母親の顔が表示されている。
「まだ7時過ぎか……。待ってるのも時間が勿体無いし散歩しよっと。またね、お母さん」
携帯電話を閉じ、友乃は周りの景色を眺めながら、取りあえず車で来た道を戻ることにした。
どこにでもある自動販売機、車、家、マンション。どこにでもいる自転車を漕ぐ人、そしてスーツを着た大人、同じ年齢くらいの学生。人口数百人の村を出た事のない友乃はその数の多さに心が躍る。初めて子供がおもちゃ売り場に行った時の心境に近いのかもしれない
挙動不審に周囲を見渡しながら、友乃は学校から少し離れた児童公園につくと足を止め、再び携帯電話を取り出した。そして画面を公園に向けて呟く。
「お母さん、この公園、村にあったのと似てるね。街も村も公園ってあんまり変わんないのかな? ……あっ、でもお母さんは思い出したくないか、ごめん」
素早く携帯電話を閉じる友乃。
「お母さんにとっては悪い思い出かもしんないけど、私はお母さんとの思い出がいっぱい詰まった場所なんだよ、だから寄り道してもいいよね」
ベンチとブランコと砂場だけの簡素な公園。友乃は、懐かしむように一つ一つじっくりと見て歩き、一周するとベンチに腰を降ろした。
そこで緊張が解れたのか大きな欠伸をし、少しの間だけとまぶたを閉じた。
♦
夕焼け小焼けで日が暮れて、とサイレンが響く田園風景。友乃はその中を母親と手をつないで歩いていた。サイレンのリズムに合わせて手を揺らし、時には口ずさみながら目的地の公園に向かう。
友乃は小学6年生になって、やっとブランコをこげるようになった。それを見てもらう為、夕食の支度をしていたを母親を外へと連れ出したのだ。
母親は携帯電話をかばんから取り出して祖母にメールを送っている。恐らく晩ご飯の続きを作っていて、という内容だろう。
「わたしね、立ち漕ぎもできるし、座り漕ぎも出来るようになったの」
「それはよかったね、との」
友乃が嬉しそうに話すと良く似た顔で笑う母親。
母親は友乃のことを『との』と呼ぶ。そして友乃は母親を『みーか』と呼んだ。これは二人だけの秘密の呼び名。母親はそれを親子の証拠だと言った。
「これで仲間外れから一歩遠ざかれるよね、みーか?」
「かもね。がんばれ、との」
友乃には友人と呼べる存在がいなかった。
その理由はクラスメイトが少ないから? 運動が苦手だから? 性格が悪いから? それだけではないことを母親から聞かされていた。友乃の家には狸がいるから、だと言う。
けれど、それで何故友達が出来ないのか、友乃にはイマイチわかっていなかった。しかしクラスメイトは理由を知っているようで、友乃が友達になろうと近づいても離れていった。それはすごく寂しいし悲しいことだ。だから友乃は練習してブランコに乗れるようになったのだ。少しでもみんなに近づく為。
しばらく歩くと、村で唯一の十字路に着き、信号が赤なので足を止めた。公園に行くには横断歩道を渡らなければならない。バスが一時間に一本といった田舎なので車など通らないが、万が一を考え信号を守り、母親と友乃は手をつないで横断歩道を渡る。
「みーかを乗せてあげるね、ふたりのり、ふたりのりするんだ」
「うん。とのの漕ぎっぷり、楽しみ」
そう言った瞬間だった。
母親は友乃の手を離し、公園の方へ突き飛ばした。
と、同時に母親の姿が消えていた。
友乃は起き上がり母親の方を振り返ったが、見えたのは通り過ぎて行く車だけ。ふと空を見上げると母親が舞っていた。トランポリンで跳ねたかのように、電柱ほどの高さまで飛んだと思うと、すぐにコンクリートから鈍い音が響き、赤黒い血が流れた。
何が起きたのか理解できない友乃だったが、コンクリートに横たわり、赤く染まる母親を見てじっとなんてできなかった。膝の擦り傷に気付く事なく、横断歩道から五メートルくらい飛ばされた母親に駆け寄る。
「みーか? みーか?」
母親の後頭部には人の頭と思えないほど、パックリと割れ目が入っていて、皺が入ったピンク色の何かが覗く。
友乃は体を揺すりながら問い掛けるも、返事はない。
「眼が開かないの? 開けれないの?」
どこから血が出ているのかわからないほど血まみれになった母親。目を覚まそうと耳元で叫んでも反応はない。
友乃は自分ではどうしようもないと思い、助けを呼ぼうと周りを見渡したが、広がる緑の風景の中、誰もいない。そんなことをしても無駄だとわかっても誰かを必要としているので、首が勝手に左右に動く。この村では人とすれ違うことなんてほとんどないのに。
「誰か! みーかが、みーかが起きない!」
叫んでも叫んでも反応はなく、どうしようもない絶望感に涙がこぼれ始めた。
その瞬間だった。
サイレンではない音が聴こえた。
見るとそこには血にまみれた携帯電話が転がっていた。
友乃はそれを手に取り、慌てて言葉を口にした。
「みーかが、みーかが真っ赤!」
♦
「綾友乃さん、友乃さん大丈夫? 生きてますかー?」
「はいっ!」
いつのまにかベンチで寝息を立てていた友乃は、同じ制服を着た少女に体を揺すられ眼を覚ました。間抜けな声を出した後、キョロキョロと左右前後に首を振る。一瞬村の公園かと勘違いしそうになるが、木々の濃い匂いが感じられず、別の街に来たのだと思い出した。
「もし病気とかならどうしようかと思ったよ。苦しそうな顔してたから」
「はあ」
寝ぼけているのか、半分瞼を閉じ、気のない返事をする友乃。
「なんで綾さんはケータイ握りしめてんの? てか古いね、それ。何世代前のだろ」
そう言われ右手を見る友乃。なぜ握っているのだろう、と考えた瞬間、答えは出た。
「みーかの、お母さんの夢を見たからだと思う」
「ふーん、そう。意味わかんないけど意味あるんだろね」
まじまじと彼女は友乃を見つめ、不審な表情を浮かべる。それは友乃の体が小さいからだ。骨つきも肉つきも小学生と大差がない。同じ制服でなければとても同級生とは思えない。
「そういうあなたは何で携帯電話を向けて私を見てるの? 写真でも撮る……って、どうして私の苗字を知ってるのっ!」
写真を撮るようにして携帯電話越しに友乃を見つめる少女は、そっちこそ何を言っているの? と少し呆気にとられた表情を浮かべた。
「えっ、知らない? spys。知らないことにびっくりするよ。あんた本当に同じ学校通うわけ? 合格通知と一緒にダウンロードコードも付いてたでしょ? もしかして、まだ未登録? そういえば名前しか表示されてないもんね」
そう言いながら少女は携帯電話を友乃に渡し、それであたしを映すようにと指示した。
「えっと……? なに、これ」
画面には少女の姿の横に漫画の吹き出しのような物が複数浮かび、その中には倭久井梅、AB、1998/3/20、158、という文字と数字が書かれていた。
「もしかしてあなたは倭久井梅ちゃん?」
「ちゃん付けはやめて、ロリっぽいから。倭久井もしくは梅でいいわ。いいね?」
「うんわかったよ梅。でもこのアプリ凄いね」
「凄かないよ別に。てかまだダメな方よ。これは学校が配ったお試しアプリだからね。って、くっちゃべてる場合じゃないわ。行くよ、入学式から遅刻なんてヤダし、絶対」
梅はそう言うと友乃の手から自分の携帯電話を取り、先を歩いて行った。友乃も後に続く。それに気付いた梅は友乃の方を振り向き、その姿を見て目を丸くした。
「小さい小さいと思ってたけど本当にすっごい小さいわね。ベンチに座ってたからそれほどわかんなかったけど。それに線も細いし。リアル小学生に見えるよ本当」
「でしょ、小ちゃいでしょ一四四センチなんだよ」
へへ、と背が小さいことを誇り、ほぼ平らな胸を張る友乃。
「いやいや、普通はしょげるか怒るかでしょうが。変な子だ。胸もないし。第二次性徴を迎えたの? それにしてもspysってメジャーなアプリも知らないでよくこの学校に受かったよ。情報系の最先端なのにね、あの学校」
「情報系? そうなんだ」
友乃は首を傾げながらも頷く。それを見て梅は怪訝な表情を浮かべた。
「あんたもしかして噂の裏口入学とかじゃないでしょうね……ってそんなわけないか。ありえないありえない。ごめん、冗談。ちゃんと試験受かったのに失礼だった」
その言葉を聞いて更に首を傾げる友乃。
「えっと、高校に行くのって試験受けなきゃダメなの?」
「…………?」
「だから、中学校は試験なかったでしょ?」
「………マジで?」
こいつ間違いなく金を積んで入学したブルジョワ娘だ。まさか本当に実在するとは、都市伝説だと思ってたよ。
しばらく梅は思考を停止させた後、これは仲良くなっていた方が今後の為になると判断し、裏口入門話に深入りしないことにした。
「へー、なるほどね、オーケイ、わかった。じゃあ、通う学校がどういうものか、そして当校の有名人、最新のデバイス、センリガンの開発者の愛娘である山冨練さんも知らないって訳ね」
「うん、知らない」
考えず即答する友乃。
「じゃあジュンプウジ科の貝口歌織さんも知らないのね?」
「うん、知らない」
またもや即答する友乃。
そうかそうか、と梅は二、三度頷き説明を始めた。やけに表情を緩めながら。
「貝口さんは別に覚えなくていいわ。重要なのは山冨練。現生徒会長で学年主席、拡張現実ソフトウェア開発部部長。これだけでも素晴らしいのに、更にプログラムを組む才能は創立五年間で最高と呼ばれているわ。おまけに美人でスタイルも良くて人格者。神は彼女に二物も三物もお与えになったのよ。そのため情報系のニュースでも取り上げられることが度々あるわ。もう覚えといて損はなく、得ばかりっ!」
「五年で歴代最高って言われてもそこまで凄みを感じないけど、凄いんだよね、きっと」
裏口入学者の言葉に少しムッときた梅は、眉をひそめる。
「凄いに決まってるじゃない。学年主席を取るだけでも凄く難しいのに。例えれば、クラブもしないで、放課後から寝るまでずーっと勉強して、やっと所持できる称号よ。それを練さんは部活動でソフトウェアの作成までバリバリこなしているんだから、すごすぎよ! もうギガやテラ凄いなんてもんじゃないの、ペタ凄いんだから!」
「なんだかちょっと間抜けだね、ぺたって。意味わかんないよ」
「そっか、あんた情報系の知識に乏しいのよね。にしてもデータ量の単位くらい学校で習わない? うーん、そうね、超弩級と言えばわかるかしら? 彼女はドスペシャリストなの」
友乃は彼女の言った例えを理解しようとしたが……できず、なんとなく凄いんだろうなと言うことだけは理解した。一人の人間をここまで熱くさせるのだから、山冨練はどこかカリスマめいているのだろう。
「色々説明してくれてありがとう。山冨練さんは創立以来最高のドスペシャリストで、梅が尊敬する人なんだね」
そう友乃が言うと、梅はチッチッチ、と指を振って否定し自慢げに答えた。
「尊敬ではなく崇拝よ」
「ははは」
神や仏ならいざ知らず、一生徒を崇めるなんて。友乃は苦笑するしかなかった。
「じゃ、挨拶も済んだことだし、自己紹介でもしない? あんたのspysって名前以外登録されてないから」
他人の自己紹介が先というのは変、というかどこか宗教的だが、友乃は気にすることなく話を進めた。
「梅も名前と誕生日と血液型くらいしか表示されてないよね」
「それはあんたが見方をしらないだけよ。じゃ、あたしも自己紹介しないといけないのか。あたしから言うね」
梅はコホンとわざとらしく咳をする。
「ご存知の通り名は倭久井梅、ごく一般的な家庭で畿内の大和で育ちました。好きなことは己を鍛えること、嫌いなことは怠い奴。で、将来の夢は山冨練さんと世界一のプログラムを組むこと」
早口でハキハキ言って、次はあんた、と友乃に右手を向けて促す。
「わたしは綾友乃。えっと、お母さんは入院中で、お父さんは学校。昨日まで讃岐で住んでたけど、今日から学校の寮で住んで……えっと、だからこんな都会で住むのは初めてだからよろしくお願いします」
友乃は頭をちょこんと下げてお辞儀をした。
「よろしく。で、幾つか質問と突っ込みを」
「はい、どうぞ」
「ママが入院中はわかった、で、パパが学校の意味がわかんない。先生? まさか理事長とかじゃないでしょうね?」
「りじちょう。あっ、それそれ、理事長」
倭久井梅絶句。
こんなちんちくりんで素朴というか若干は肌黒く田舎っぽい女子が、まさか国内最高と呼び声高い情報系の学校を運営している理事長の娘だとは思ってもいなかったのだ。いや、ガラス玉のように丸く輝く瞳は純粋そのもので、艶の良い黒髪、入学初日にベンチで眠っている変なところや、どこかふわふわした感じは、一般人ではない、箱入り娘的な印象がしないでもない。そしてこのあどけない顔の作りも、これはこれで高貴で美しい気がする。
そう梅は考察するも、首をブンブンと振り、落ち着けと自分に言い聞かせる。
こんなバカっぽくてヒナっぽい奴が高所得者の娘な訳がない……いや、よく考えろ。ギガもテラもspysも知らない、ましてや学校の目玉と言える人物、貝口歌織と山冨練すら知らないなんて……二人は学校のパンフレットにも載っていたのにますます変だ。この学校に対する知識の無さなら、理事長の娘だから入学試験免除で裏口入門、というのは頷ける。
疑い深きは損。理事長の娘という体で接して損はない。そう友乃は判断する事にした。
「じゃあよろしくね。ちなみにあたしも寮だから。大和から和泉まで通えない距離じゃないけど、毎日二時間も電車通学なんて嫌だからわがまましたの。あっ、そだ。ケータイ出して。アドレス交換しましょうよ。そうしよ」
携帯電話を取り出しアドレス交換しようと慣れた手つきで操作する梅だが、友乃は携帯電話を取り出したのはいいが、俯き操作をしようとしない。
「どうかした?」
その問いに俯きながら友乃は答えた。
「わたし、その、言いにくいんだけど、狸だから……」
ん? とその言葉を理解できない練は首を傾げる。
「意味わかんないわよ狸って。あんたの動物占いの結果? それとも麺類の好み?」
「ち、ちが――」
「狸だとかなんとか、どうでもいいでしょ。あんたはあたしとアドレス交換したくないの? したくないってなら強要はしないわよ」
友乃はそうではないと必死に大きく首を振る。黒髪がさらさらと奇麗になびく。
「そうじゃない、の」
「じゃあいいでしょ、さ、ケータイ出して」
おどおどと携帯電話を友乃は差し出す。すると、ピッという機械音が鳴り、画面に梅のアドレスが表示され、登録しますかと画面が切り替わった。友乃は梅の顔と携帯電話を交互に見つめてからゆっくりとセンターキーを押す。
そして気になっていたことを恐る恐る訊ねた
「これって友達ってことなのかな?」
「うん? そうね、この学校での記念すべき友達一号ってことかな?」
さらりと言う梅。対照的に友乃の肩は震えていた。
「ともだち。はじめて。あとでお母さんに報告しなくちゃ」
そんな高校の友達が出来たくらいで大げさな、と梅は苦笑いを浮かべる。
「それより見えてきたよ、学校の門が」
梅が指差す先には風に舞うわずかな桜の花びら、そして開いた校門とまだ体にあっていない制服を着た入学生の姿。それを見て友乃の表情が綻ぶ。梅は門に記された学校名を見てついニヤけてしまう。
『私立和泉ヶ丘大学付属高等学校』
この日二人は故郷を離れ、新たな出会いのひとひらを手にした。




