第二十七話
エリアスに誘われ、“空中散歩”で向かった場所は、いつかエリアスから話を聞き、その後笑顔の特訓をした丘の上で。
そして、音もなくそっと着地したけれど、エリアスはその手を離さない。
……私も、その手を離すことはしないまま、沈黙が流れる。
何から話せば良いのか、お互いに探っている状況だと思う。
けれど、不思議とその沈黙が嫌ではなく、むしろ心地が良いと思うのはなぜだろう。
それは彼も同じだったのか、暫く沈黙は続いたけれど、意を決して口を開いたのは私だった。
「ごめんなさい」
その言葉に、彼は氷色の瞳を見開き尋ねる。
「なぜ君が謝るんだ」
「私が悪いもの。……私が、現実から目を背けて遠くへ行きたいと、そう願ったから」
私は、フリュデン侯爵家の長女ではなく、亡き夫人に拾われた捨てられた子だということ。
それを聞いた時、悲しみと絶望が一気に押し寄せたのを今でも思い出す。
「でも、腑に落ちた気もするの。家族が私と関わり合いにならなかったのは、そういう理由があったからなんだって」
「アリス」
心配げに顔を覗き込むエリアスに対して笑って答える。
「大丈夫よ、もう吹っ切れたから」
「……俺の方こそ、ごめん」
「どうしてエリアスが謝るの?」
「俺が余計なことをフリュデン侯爵に伝えたからだ。
……アリスの気持ちを知っているかのように、余計なことを言ってしまった。
本当に、申し訳ないことをしたと思っている」
「謝らないで!」
何度も謝る彼を見ていられず、咄嗟に声を上げる。
そして、頭を下げている彼の肩に手を置きながら口を開いた。
「……私、嬉しかったのよ」
「え……」
エリアスに自分の素直な想いを吐露する。
「貴方は、私のことを想って侯爵様方を怒ってくれたでしょう?」
「っ、そんなこと」
「そんなことなどではないわ。私、本当に……、すごく、嬉しかったの。
今までそんな風に私を庇って言い返してくれた人は、貴方が初めてだったから」
「……っ」
その言葉に、彼の顔が歪む。
(そんな顔をしないで)
そう願いながら言葉を重ねる。
「それに、あの時救われたのよ。
私が盗み聞きをやめて部屋に入った時、貴方は第一声で私の体調を気遣ってくれた。
……まるで自分のことのように、悲痛な顔をしながら」
「でも、俺は君を救えたことにはならない。
……本当の意味で助けてくれたのは、ソールという神様だろう?」
「……そうね」
私は頷き、口にした。
「でも、すぐに後悔した」
「え?」
そう言うと、真っ直ぐと彼を見つめて言った。
「貴方を置いて行ったことを」
「……!」
今でも頭からこびりついて離れない。
エリアスに一方的に別れを告げ、ソールの手を取った時の、エリアスの傷ついたような表情を。
「私は、気持ちを整理したくて貴方の元を去った。
……私を誰より心配してくれた、貴方の気持ちを考えずに」
エリアスは首を横に振る。
それでも言葉を続けた。
「何度も思ったの。私は、ここに居ても良いのかって。
でも、貴方の元を自分から去っておいて、どんな顔をしてまた貴方に会えば良いのか分からなかった。
そうしているうちに、一ヶ月という時間が過ぎてしまった」
一ヶ月。
ソールの手を取り、天界で暮らしていたのは一ヶ月だと、そう聞いた時はとても驚いた。
「それでもこうして、戻ってきてしまった。
本当に、ごめんなさい」
「謝らないでくれ」
「!」
今度はエリアスから謝罪の言葉を制され驚いていると、彼はゆっくりと私に向かって尋ねた。
「……天界での暮らしは、どうだった?」
「え……」
「元気に、笑って過ごせていたか?」
それに対し、少しの間の後答える。
「えぇ」
「……良かった」
そう言って、エリアスはふっと笑う。
その笑顔を見て、胸が締め付けられるような感覚に襲われて。
思わず胸元で手を握りしめながらポツリポツリと口にした。
「この一ヶ月、確かに心が洗われたような気がしたの。
一歩外に出れば一面青空と花畑に覆われていて。
ソールと妖精さん達が作ってくれたお家に住んで。
妖精さん達にいけばなを教えたことも、夢を叶えられて凄く嬉しかった……はずなんだけど」
「……!」
瞳から、意図せず想いが溢れてこぼれ落ちる。
その雫が頬に伝い落ちるのも構うことなく言った。
「夢のような空間にいて、幸せに感じるはずなのに……、いつもポッカリと穴が空いたような気分だった。
なぜか分かる?」
エリアスは黙って首を横に振る。
私は繋がれた手にギュッと力を込めると、はっきりと言葉を紡いだ。
「天界には、貴方がいないから」
「……!!」
エリアスの瞳が、溢れんばかりに見開かれる。
そんな彼に対し、包み隠さず本音を溢した。
「自分から別れを告げておいて、矛盾しているわよね。
分かっている。いえ、分かっていた、つもりだったけれど……、貴方が当たり前のように側にいてくれたのは、本当は当たり前なんかではなくて。
貴方が私を選んでくれたことも、全部……、当たり前ではなかった」
エリアスが側にいなかった一ヶ月という期間。
曖昧な時間の中で、無意識に彼のことを考えてしまうのは、きっと。
私はようやく涙を拭って、微笑みながら言った。
「もう少しだけ、待っていてくれるかしら」
「え……」
「貴方に対するこの想いに、もう少しで名前を付けられそうなの」
「……!」
エリアスが息を呑む。
私は苦笑いをして言った。
「この想いが、貴方と同じ、または貴方が求めている答えと同じかは、分からないのだけど。
それでも……、待ってくれる?」
「……っ」
エリアスの顔が歪んだ、と思った刹那、彼に強く腕を引かれ、その腕の中に囚われた。
後頭部に回された大きな手に驚いている私に、エリアスは震える声で口にした。
「あぁ。待っている」
その声を聞いて、触れる体温を感じて。
エリアスの元へ帰ってきたんだとようやく実感することが出来て、私も彼の背中に腕を回す。
腕に力を込めながら、心に空いていた穴が満たされていくのが分かって。
私は幸せだと、そう思った。