第二十六話
「……待って、女神様」
「おい、起きろ」
「……!?」
微睡の中で突如降ってきた男性の声に、一瞬で覚醒し、飛び起きる。
「ソール!?」
「驚いてる場合じゃねぇ。もうとっくに約束の時間は過ぎてんだ」
「……あ」
その言葉で思い出す。
(今日は、人間界へ帰る日……)
ソールはじっと私を見つめると、口を開いた。
「一応聞いておく。本当に、お前は人間界に戻るんだな?」
ソールの言葉に、私はゆっくりと顔を上げ迷いなく頷く。
「えぇ」
そう口にすると、ソールは「分かった」と言ってから扉に向かって歩いていく。
そして、その扉に手をかける前に言った。
「早く仕度しろよ。こっちは待たされてるんだからな」
そうどこか苛立ったように言い放ち、扉を開けて外へと出て行った。
「……ごめんなさい、ソール」
どこまでも優しいソールに甘えてばかりでいてはダメね、と息を吐いてから、彼の言う通り手早く身支度を整える。
妖精達がプレゼントしてくれた可愛らしい服に身を包み、髪を梳かしている間に花の妖精達がスーッと現れる。
「アリス、ほんとうにいっちゃうの?」
「もうもどってこないの?」
その言葉に、私は頷くと口を開いた。
「ごめんなさい。行かなければならないの。
……本来の私の居場所は、ここではないから」
「っ、アリスはぼくたちのこと、きらい?」
青の妖精の言葉に首を大きく横に振る。
「まさか! 私は貴方達のことがとても大好きよ。この場所で、貴方達やソールとお話をしたりいけばなをしたり、花畑を散歩したりしたのもとても楽しかったわ」
「なら!」
「でも、ここにはいられない。
……私の帰りを、待ってくれている人がいるから」
「「「……っ」」」
花の妖精達は息を呑む。
それを見て、小さく笑って言った。
「私は人間界で、また貴方方に会えるのを楽しみにしているわ。
……それとも、人間界にいる私には、もう会ってはくれない?」
「そんなわけないよ!」
「だってわたしたちだって、アリスのことがだいすきだもの!!」
そう言ってくれる彼らに、私は本当に救われている。
だから。
「皆、本当にありがとう。……また会いましょうね」
「「「うん!」」」
そう言って手を振ると、部屋の扉を開ける。
その扉をゆっくりと閉め、眩しすぎるくらいの青い空に目を細めた……その時。
「え……」
(どうして、ここに……)
そこにいたのは。
「……アリス」
私と同様目を丸くして佇むエリアス……、私がずっと会いたかったその人の姿だった。
(ちょっと、待って)
理解が追いつかない。
彼のいる人間界に帰ろうと思った矢先、まさか、天界で会うことになるとは思ってもみなくて。
だから全然、心の準備など出来ていなくて。
私はようやく震える声で口を開いた。
「……どうして、ここに」
そう尋ねると、エリアス自身もまた戸惑ったような表情で口を開きかけた、その時。
「あーあー見てらんねぇ」
「っ、ソール!」
いつの間にか隣にいたソールが、私の肩を引き寄せる。
それによって驚く私とエリアスに対し、ソールは呆れたように言った。
「アリスが大事とか言っておきながら、かける言葉が見つからないとか。
はっ、ヘタレだな」
「ちょっと、ソール!」
何てこと言うの、と怒る前に、エリアスが私達の元へ歩み寄ってくる。そして。
「!?」
ぐいっと私の手を引き、ソールから引き剥がして言い放つ。
「ここへ連れてきてくれたことも、アリスをここに住まわせてくれていたことも礼を言う。
だが、彼女の許可なく気安く触るな」
「っ、エリアス……」
思わずエリアスの顔を見上げると、ソールは呆れたように言葉を返した。
「許可なく気安く触るなとか言いながら、お前は良いのかよ?」
「「っ」」
その言葉に息を呑んだのはエリアスだけでなく私もだった。
咄嗟に繋がれていたエリアスの手が離れ、彼に慌てて謝られる。
「す、すまない」
「い、いえ……」
彼と会わなかった間に、距離感というものを忘れてしまったような気がする。
それは彼も同じなようで、お互いの間に気まずい空気が流れる。
「……もうほんっとに爆発してほしいわ」
「「え?」」
ソールの言葉に私達は顔を上げて首を傾げる。
ソールはそんな私達とは視線を合わせず、パチンッと指を鳴らした、刹那。
「「え」」
ふわりと私達の身体が浮いたのだ。
「後はどうぞご勝手に」
そうソールが口にし、指を鳴らした刹那、私達は別の場所に移動していた。
そしてそれは。
「っ!?!?」
公爵邸……ではなく、その遥か上空にいた。
つまり。
(っ、落ちる!!!)
身体が傾き、真っ逆さまに落ちていく……と思った矢先、強く身体を引かれ、よく知る温もりに包まれる。
それがエリアスで、彼が短く何かを口にした一言が呪文だと理解した瞬間、パァッと光に包まれ、足元に魔法陣が浮かび上がる。
ハッとして顔を上げれば、エリアスと至近距離で目が合い、思わず二人して息を呑んでしまって。
それが何だかおかしくて、私達はどちらからともなく笑い出す。
「ソールに呆れられてしまったわね」
「彼はソール、というのか。ちょっとムカつくやつだが……、悪いやつではないのかもな」
「そうね。口は悪いけど、ソールは良い人よ」
そう言って小さく笑うと、エリアスにじっと見つめられていることに気が付いて。
「……な、なに?」
久しぶりに見るその氷色の瞳に見つめられ、早まる鼓動を聞かれないように慌てて尋ねれば、彼は微笑みを浮かべてゆっくりと口を開く。
「折角だし、久しぶりに“空中散歩”しながら話さないか」
その言葉に対し、私も微笑みを返して頷いた。
「えぇ、是非そうさせてほしいわ。
私も、貴方に話したいことがあるから」