第二十三話
丁度半分に欠けた月が、雲間から顔を覗かせている。
そんなぼんやりと明るい夜空の下、ソールはひらりとマントをはためかせて降り立った。
「……あいつが来て半月か」
あいつとは、もちろん彼女……アリスのことである。
ふわりとした花のような桃色の髪に新芽と同じ黄緑色をした瞳を持つ彼女のことを、ソールは特別に思っていた。
だからこそ、彼女を放って置くことなど出来ず、今に至るわけなのだが……。
「ははっ、俺も随分入れ込んでんな」―――
“運命”を司る神として、ソールはとある女神から生を受けた。
そして、神は生まれながらにして、女神からコンコンと説明をされる。
『人のためになることをしなさい』
最初はそういうものかと、ソールも思っていた。
だがその考えは、初めて人間界に降り立ったことで覆された。
まず驚いたのは、魔法を使えない人間は貴族にはなれないこと。
平民でも稀に妖精に与えられた祝福の力を持つ人間がいるようだが、それはほんのごく一握りの上、その人間達が貴族になることはない。
その理由は、血で受け継がれないからだ。
そんな貴族が持つ魔術というのが、古の時代、神々が自らその恩恵を授けたことによるもの。
その力が与えられた理由というのが本来、人間界にやってきた魔物を封印するためのものだということも聞いていた。
だが、ソールが目にしたのは、魔法を盾にして平民を牛耳ろうとする、平民に重税をかけ自分達の私服を肥やしている貴族連中だった。
(弱いものを守るために与えられたはずの魔力を、弱いものいじめに使うとは聞いていない)
そう思ったソールは、早速行動に出た。
彼はなんと、その貴族から魔力を取り上げたのだ。
彼に与えられた“運命”の魔法は、その名の通り人の運命を覆すことが出来る。
いわば、“運命”と称するものならば何でも、彼の思い通りに出来てしまう魔法であった。
そうしてそんな彼から魔法を取り上げられてしまった貴族はというと、パニックを起こし貴族ではいられなくなるかもしれないと寝込んでしまった。
それを見たソールは、満足した。
(俺は良いことをした)
と。信じて疑わなかったソールだが、すぐに創世の女神から命令される。
『今すぐ魔法を返してきなさい』
女神曰く、その貴族の先祖に魔法を授けた神が怒っていると。
ソールは訳が分からない、と思った。
なぜ、魔法を脅しに使う人間に力を授けるのかと。
その神に対して、女神に対して初めて疑問を持った瞬間だった。
結局その貴族には魔法を返したものの、納得出来なかった彼は、その後も攻撃的に魔法を使う人間の魔力を容赦なく取り上げるだけでなく、その人間にお灸を据えるという意味でそんな人間の運命をも覆そうとした……ところで、女神からその魔力を没収されてしまう。
神は魔力がなくなると、人間の姿を保てなくなる。
そしてソールもまた然り、彼は猫の姿へと変わってしまったのだ。
そんなソールに、女神は告げる。
『貴方は今、人間不信に陥ってしまっている。
まずは神としてではなく猫として、人間界を見てきなさい。
そうすればきっと、貴方も力を分け与えたいと思う誰かに巡り会えるはずだわ』―――
「……これで全部か?」
ソールは部屋の中を見渡し、息を吐く。
(“運命”の力は万能だとか言ってたが、こういう時に役に立たねぇとか最悪だわ)
そう悪態を吐きながらも、自分の目の前に置かれた物……いけばなに必要だという道具の数々に目を通す。
「……本当、俺は何でこんなことやってるんだか」
それもこれも、あいつ……アリスのせいだとソールは思う。
アリスは、彼にとってイライラする存在だった。
ソールから見たアリスは、誰より孤独で繊細で、お人好し。
だというのに、人間は彼女のそんな本質を見ようともせず、誰もが“悪女”だと彼女を罵る。
それがソールには理解し難かった。
彼女なんかより、腹の底から虫唾が走るほどの悪い輩をごまんと見てきたからだ。
そして何より、嫌いなのは。
「そこで何をしている」
「!」
完全に油断していた。
しかし、その声の主と話すには丁度良いのかもしれない。
そう思い、ソールは睨みをきかせながらゆっくりと振り返る。
そしてそこには、この屋敷の主人であり、アリスが最も気にかけ、同時に心を苦しめている存在……、エリアス・ロディンの姿があった。
そんな彼を目にしたソールは、不敵に笑い口を開く。
「はっ、ヒーロー気取りのお出ましか。ご苦労なことだな」
「ここは彼女の部屋だ。何故お前みたいな奴がここにいる。
……神だか何だか知らないが、この部屋には許可なく立ち入らないでもらいたい」
その言葉に、ソールは一瞬目を見開いたものの鼻で笑い、口にする。
「なんだ、気付いてたのか。俺が人間じゃねぇってこと」
「何となくだがな。……俺には、優秀な従者がいるから」
その言葉で、ソールはすぐにピンと来た。
「あぁ、あいつか。道理で別の結界が貼られてると思った。魔力探知の結界だろ?」
その言葉に、今度はエリアスが動揺する。
現に、ソールの言う通りだったからだ。
エリアスの従者……カミーユは、王家とは遠縁の血筋にあたり、王家より効力は弱いものの、同じ結界魔法が使える。
そのため、その結界内に足を踏み入れたものの魔力を探知することも可能となっているのだ。
それを言い当てられたエリアスは、頷き口にする。
「あぁ。そして分かったことは、“運命”なんていう魔法を使える貴族はこの国には一人もいないということだ。
そして、その力が強力であることも。
つまり、お前は神ではないかと判断した」
「ご明答。それで? 俺の素性が分かったところで、お前は何をしに来たんだ。
まさか、捕まえようだなんて思ってねぇだろうな?」
そう言ってわざと挑発するソールに向かって、エリアスは静かに口を開いたのだった。