第二十二話
「ん……」
「あ、アリスおきた!」
「おはよう、アリス!」
花の妖精達に挨拶をされ、私も「おはよう」と返しながら辺りを見回す。
「私、また眠ってしまっていたのかしら?」
「そうだよ〜!」
「アリス、つかれてるみたいだったからおこさなかった〜」
その言葉に、「ありがとう」と口にしながら言った。
「疲れているというより、何だか時間の感覚がどんどん薄れている気がするわ。
やはり、天界は常に夜がないせいかしら?」
天界に夜はない。
多分そのせいで、いつからここにいるのか分からなくなってしまっているのだと思う。
「ねえ、私がここに来て何日くらいが経っているの?」
「「「ん〜??」」」
妖精達は揃って首を傾げると、口々に話し出した。
「わからないね」
「うん、わからない」
「じかんなんて、わからないもんね〜」
「……そう」
どうやら、妖精達に時間の感覚はないようで。
(無理もないわ、人間界に戻らない限り夜もないのだし)
自分でも不思議なほど、ここにいると時間の感覚を忘れてしまう。
それが何だか心地が良いと思う一方で、同時にふと怖くなる。
(私、このままここにいても良いの?)
時間の感覚がないということは、私がいなくなった人間界でどれほどの時が経ったか分からないということ。
そして。
(……エリアス)
ふと考えてしまうのだ。
彼は、どうしているのかと。
……いや、ふとした瞬間どころではない。
ソールに言ったら怒られてしまうかもしれないけど、ここに来てからずっとエリアスを思い出しては、胸が締め付けられる想いになる。
(一方的に、別れを告げてしまったから……)
侯爵家の血を継いでいないただの“アリス”……、いや、それどころか名前さえもあやふやなそんな私を、エリアスがこれからも想ってくれるのかと……。
(いやいやいや、何を言っているの私!)
彼に想われているから何だと言うの!
そもそもエリアスが私を“好きだ”と言ってくれたけれど、その感情が私には分からない。
「……そう、よね?」
「アリス?」
ハッとして顔を上げれば、心配そうな表情をした妖精達の姿があって。
私は「なんでもないわ」と笑みを浮かべながら、それでも考えてしまう。
(私がいなくなって、エリアスはどう思っているかしら?)
エリアスの色々な表情が、浮かんでは消える。
転生してから彼と接してみて分かったことは、本当はこんなに表情が豊かだったのかと、別人なのではないかと思ってしまうほどに、彼は色々な表情を私に見せてくれた。
そして必ず最後に思い出されるのは、私がいなくなる瞬間にこちらを見上げ、泣きそうに、悲痛に歪められた顔で……―――
(……エリアスは、優しい)
だからこそ、自分のこんな顔を見られたくないと思ってしまうのだ。
でも、それとは裏腹に思ってしまう。
エリアスなら、そんな私のことも丸ごと受け止めてくれるのではないかと。
(まだ公爵邸に来たばかりの時、私の弱い心を抱きしめてくれた、あの時のように)
「アリス?」
「っ!」
ハッと顔をあげる。
思考の渦に飲み込まれた私は今度こそ一瞬で引き戻されると、笑みを浮かべて言った。
「どうしたの?」
彼らはその言葉に顔を見合わせる。
私の元気がないことに何となく勘付いているようで、気を遣うように慌てて口を開いた。
「ねえねえ、アリス!」
「わたしたちにいけばな、おしえて!」
「いけばなを?」
私が驚き目を見開くと、彼らは嬉しそうに頷く。
そんな彼らとは対称的に、戸惑いながら口を開いた。
「私も教えてあげたいのは山々なのだけど、ここにはいけばなに必要なお道具がないのよね……」
「それなら用意できるぞ」
「!?」
驚き顔を上げれば、お花のベッドにいた私達のことを覗きこむソールの姿があって。
「ソール、貴方はいつも神出鬼没ね」
思わずそう口にしてしまうと、彼は笑みを浮かべて言った。
「男はミステリアスな方がモテるって言うだろ?」
「……そうかしら?」
よく分からないわ、と口にすると、彼は笑って言った。
「ま、男なんて知らねぇだろうからな、お前は」
「そうよ。悪い?」
「怒んなって」
「怒ってないわよ」
思わず言い返すと、ソールは肩を竦めて言う。
「一応言っとくけど、お前を思ってやってんだからな?
部屋ん中にずっと俺みたいな男がいると休まんねぇだろ?」
「どうして?」
「え?」
私が首を傾げると、ソールは驚いたようにポカンと口を開けて固まる。
私も意味が分からないと口を開いた。
「別に、貴方がいてもいなくても気を遣ってなんかいないから、そんな気遣いはご無用だけど」
「…………はぁーーーーー」
「何でそこで盛大にため息を吐くのよ?」
訳がわからない、と眉を顰めると、ソールもまたなぜか頭をかいて言った。
「それってどう捉えれば良いんだ? 俺はお前にとって“側にいても落ち着く枠”に入っていると喜ぶべきか?
それとも、男として見られてねぇと悲しむべきか?」
「……何を言っているのか分からないけど、とりあえず貴方は男性というより黒猫のイメージが強いわ」
「今は人間の姿なのに?」
「性格もまるで猫のようだもの。常に自由というか」
「それも褒めてんのかよ?」
不貞腐れたように言うソールに向かって、私は小さく笑ってしまいながら返した。
「少なくとも、憧れているわ」
「え……?」
「私を天界まで連れてきてくれるなんて普通しないし出来ないでしょう? 女神様にも怒られたようだし。
……口が悪くて誰より自由なのに、本当は優しくてよく周りを見てくれている」
「!」
「そんな貴方に、私は救われているわ」
そう言って笑みを浮かべれば、ソールは固まってしまう。
それを見た妖精達は口を開いた。
「ソール?」
「なんでかたまってるのー?」
「それよりいけばなのおどうぐ、よういできるってほんとー?」
その言葉に彼は我に帰ったようで、慌てて踵を返すと口を開いた。
「あ、あぁ。用意できる。行ってくる」
「え!? ちょっ……、行ってしまった」
何か変なことを言ってしまったかしら? という言葉には、誰も返してはくれなかった。
アリスの住む家から出たソールは、漆黒の髪をかきあげ、呟く。
「……ほんっと、アイツといると調子狂う……」
その頬がほんのり赤らんでいることを、誰一人……当の本人でさえも気付くことはなかったのだった。