第十九話
アリスは、私達の子供ではない。
その言葉に、私の身体からは血の気が引き、勝手に身体が震え出す。
そして、震える手で口元を抑えた。
(……うそ)
そんな、ことって。
「それは、どういうことだ」
私と同様、エリアスも戸惑っているらしい。
それでも説明を求めて尋ねた彼に対し、お父様は重々しく口を開いた。
「アリスは亡き妻が、まだ生まれたばかりの赤ん坊を庭で拾ったと、そう言っておりました」
「言っていた、とは」
「私達フリュデン家は代々、花祭りの日は陛下の命により城へ赴き、祭りの最後に花火を打ち上げる役目を頂いています」
花火。
その言葉に、アリスがいつも窓枠に腰掛け一人ぼっちで眺めていた、その夜空に散る色とりどりの花火の様子が思い起こされる。
「そしてそれは、24年前も同じでした。
ですがその日、帰ってみたら妻がまだ生まれたばかりに見える赤子を、腕に抱いていたのです。
妻はその子を、“アリス”と名付け、自ら大切に育てようとしました。
ですが、妻はその後一ヶ月も経たない内に、持病が悪化し亡くなってしまった。
それはまるで、アリスと入れ替わるように」
「……なるほど」
「「「!?」」」
気が付けば私は、その扉を開き、三人が話しているその部屋に足を踏み出していた。
そして、自然と漏れ出た乾いた笑いを溢せば、エリアスが驚愕と戸惑いの表情を浮かべ私に向かって尋ねた。
「アリス、いつから起きて……、体調は、大丈夫なのか?」
(……あぁ)
こんな時まで、貴方は私の体調を気遣ってくれる。
それに。
(まるで自分のことのように、悲痛な表情をして)
そんなエリアスの顔を直視出来ず、私は敢えて何とでもないというふうな態度で振る舞った。
「えぇ、おかげさまで、もう大丈夫よ。
……迷惑を、かけたわね」
「っ、アリス」
「お父様、それからお兄様」
「「!」」
エリアスの言葉を遮り、私がそう呼び二人が反応したのを見て、あぁ、と言葉を続ける。
「なんて、私がこんなふうに呼ぶのは、おこがましいかしら?
だって私は、血も何も繋がっていない、赤の他人なんだものね」
「アリス!」
「だから私は、貴方方にとって邪魔な存在だった。
……誕生日なんてものは私にはなくて、アリスという名前さえも亡きお母様、いえ、フリュデン侯爵夫人が付けて下さった偽の名前。
そして私は、血の繋がりも何もない捨て子だものね」
「「……っ」」
その言葉は、口から勝手に飛び出していく。
私自身が今どんな顔をしているのか分からない。
だけど、いくら言葉を発しても虚しいばかりで。
「我儘で傲慢で、皆を困らせるだけの存在で。
どうりで、フリュデンの屋敷の者達からは遠巻きにされていたはずだわ。
……はは、笑っちゃう」
ツンと鼻の奥が痛くなり、目頭が熱くなる。
それをグッと堪え、泣くな笑えと自分を叱咤し、口にした。
「……最初から、私は独りぼっちだったのよ」
誰かから愛されることなんて、夢に見てはいけなかった。
「素性も分からないそんな私に、フリュデン家の長女なんていう肩書は、必要もないしあってはいけない。
だって誰も幸せになれない。そうでしょう?」
そう言ってチラリとフリュデン侯爵に目を向けた後、その視線をエリアスに移す。
目があった瞬間、エリアスは驚愕に目を見開くと立ち上がりかける。
そんな彼の言葉を聞く前に、私はにこりと笑い、そして静かに告げた。
「さようなら」
「……っ!?」
それによって、エリアスが息を呑んだのが分かる。
そんな彼が立ち上がるよりも先に、私は長い廊下を自室目掛けて駆け出す。
(息が、苦しい)
心臓が、苦しい。そして。
「痛い……」
ギュッと早まっている鼓動を押さえる。
ぐるぐると駆け巡るのは、お父様の言葉と独りぼっちだった“私”の記憶。
(フリュデン家のものでもない私は、一体、誰なの?)
自室へと戻り、慌ててバルコニーへと出る。
夜のひんやりとした風が肌寒く感じるが、今はそれどころではない。
(今は誰にも、会いたくない)
だって、会って何になるというのか。
「彼にこんな私を、見られたくない……」
素性も分からない、そのくせ弱い私なんて誰にも見せられないし、見せたくない。
「……私は、貴方の言う通り、強くないのよ」
そう呟き、雲がかった月を見上げる。
その時、ふと脳裏であの言葉を思い出した。
幻想的な夜に消えた、あの人の言葉を。
それを思い出した瞬間、私は自然と口に出していた。
「ソール、助けて」
その瞬間、ザッと風が吹き、先ほどまで隠れていた月がポッカリと雲間から顔を出す。
そして、ふわりと現れたのは、黒いマントに身を包んだ神様の姿だった。
そんな神様……ソールは、いつもの威勢はどこへやら、私の目の前に降りてくると、まるで私を労るように口を開いた。
「……アリス」
そう言ってソールの手が私の頬に触れる前に、私は口を開いた。
「私を、連れ出して」
「!」
「ここに、いたくないの」
ソールの顔を直視出来ず、俯き気味にそう口にすれば、ソールは息を吐いて言った。
「……俺だったらそんな顔、二度とさせねぇのに」
「え?」
呟いた彼の言葉が上手く聞こえず、首を傾げたのに対し、ソールはそれに対して何も言わず、その代わりに私の手をそっと取った。
そして、エスコートするようにふわりと音もなく、月が浮かぶ月夜の空へと舞い上がる。
(……綺麗)
ソールの人間離れした顔の造形とその背後に浮かぶ月を見て、思わず息を呑み見つめてしまっていると。
「アリス!!!」
「!」
大きく名を呼ばれ、反射的に下を向く。
そこには、乱れた髪をそのままに、私を見て焦ったように手を伸ばす彼の姿があって。
「……エリアス」
思わずその名を呟く私に、ソールは言った。
「振り返るな」
「でも」
「お前のそんな顔、俺は見たくねぇ」
「……っ」
その言葉に慌てて目元を拭えば、その指先は涙で濡れていて。
それでも私は、この声が届かないと分かっていても言わずにはいられず、エリアスの方をもう一度振り返り呟いた。
「……ごめんなさい」
そう呟き、一筋涙が頬を伝った感触を最後に、私とソールを優しく温かな光が包み込んだのだった。