第十六話
ストン、と足裏に感じた感触に目を開けると、視界には土と自分の靴、それから身体の周りから銀と水色の光が消えていくのが映って。
「……はっ」
そこでようやく忘れていた息を吐き、早まった心臓をギュッと抑えて呼吸を整える。
(エリアスが、守ってくれたのね)
飛び降りるのが怖くなかったわけではない……いや、むしろ怖かった。
ふとした瞬間に何度も蘇っていたあの場面を思い出すことだってあるのだから。
それでも。
「迷っている暇はなかったの」
そう呟き、自分を叱咤して走り出す。
彼が私を守ってくれたのと同様、私にだって守りたいものがある。
(エリアスは私を助けてくれた。今度は私の番)
彼がいない代わりにこの屋敷を守るのが、私の役目よ―――
迷うことなく屋敷の裏、庭園に向かった私が目にしたのは。
「っ……!」
花壇一面に咲いていた花々が荒らされ、見るも無惨になってしまった季節の庭園だった。
その光景に声も出ずに思わず固まってしまった私の元に、妖精達が慌てた様子で姿を現した。
「アリスッ! あっちにクレールが!!」
「!?」
(屋敷の者達は、皆屋敷内にいるはずではなかったの!?)
驚く私に、涙目でクレールの花の妖精が縋ってきた。
「たすけて!!」
「分かったわ! 案内して!」
迷わずそう口にすれば、彼らは案内するように頭上を飛び、私を案内してくれる。
その間にも、全て荒らされ、花弁が散り散りになっている花々が視界に映り、募る憤りからギュッと拳を握る。
何より、クレールが心配だった。
(クレールもきっと、花の様子を見るために屋敷から出たんだわっ!)
そして、辿り着いた薔薇園には。
「うっ……」
「クレール!!」
薔薇園のアーチに力無く横たわる彼の姿を見つけて。
そんな彼に駆け寄ると。
「っ、血!!」
手当てをしようとするけれど、彼はその腕を制し、「擦り傷です」と口にしてから、それよりも、と私を見上げて言った。
「アリス様、逃げてください。彼らの、目当ては……っ」
「目当て?」
そう尋ねようとした瞬間。
ガサガサと茂みが大きく揺れる。
「!!」
囲まれた。そう思った瞬間、茂みからその正体が現れる。
クマ、オオカミ、ライオン……肉食獣の見た目をした魔物達の姿だった。
その数は、見えるだけでも軽く二十は超えていた。
「っ、数が多い……!」
私は、まだ一体ずつ倒す魔法の強化しか出来ていない。
それに、ここにはクレールもいる。
私の魔法の正体がバレてしまうことは必至だった。
でも。
(今はそんなことを言っている場合ではない)
そう思った私は、魔法を発現しようと手を翳そうとした。
すると。
「……アリス」
「!?」
私は思わず動きを止め、ギョッと目を見開く。
私の名を呼んだのはクレールではなく……、目の前にいる大型のクマの魔物だったからだ。
「ヨウヤク、ミツケタ」
「ようやく……?」
「アリス様! 魔物の目当ては貴女です! 逃げてください!」
後ろにいたクレールが叫ぶ。
その声を聞いた話せる魔物が、カッと目を見開き口にした。
「オマエハジャマダ、ウセロ!!」
「クレール!!」
魔物が咆哮するのと私が叫んだのは同時だった。
その咆哮を聴き、一瞬頭が真っ白になったけれど、何とか意識を保つことが出来た。
しかし……。
「クレール!?」
クレールは固く目を瞑っていた。
その肩をゆすろうとした私に、魔物はせせら笑うようにして言う。
「ネムッテイルダケダ。オレタチノヨウハ、オマエダカラナ」
「私……?」
なぜ魔物が話せるのか。
なぜ私を探していたのか。
なぜ花園を破壊したのか。
疑問は尽きず、それでも倒れこむクレールの姿を見て怒りは沸いたままだが、魔物から情報を得るためにも今はおとなしくすることを選択し、話を促すように聞き返すと、魔物は頷き言った。
「ソウダ。オマエニナガレルソノチ、ニクイ」
「私に流れる血?」
「ツヨイマホウノチカラ。ソノチカラガアルカギリ、オレタチノアンネイハタモタレナイ」
「安寧は保たれない? 馬鹿を言わないで! 貴方達が私達の安寧を脅かしているのでしょう!?」
思わず言い返した私に対し、魔物は目を細めると言った。
「……サテハオマエ、ナニモシラナイナ?」
「何を」
「カワイソウニ。オマエダケ、ヒトリボッチ」
「っ!!」
その言葉に一瞬怯んだ間に、魔物が一瞬で近付いてくる。
その鋭い爪が私に当たる寸前、指輪が強い光を放った。
そして、魔物の身体が一瞬で凍ったのだ。
(っ、エリアス……)
また彼に助けられてしまった。
氷の中でも魔物は口を動かせるようで、憎々しげに呟いた。
「コンドハキシノチカラカ」
そう口にした魔物の言葉の意味は、またもや分からない。
けれど、もう惑わされない。
私は息を吸うと、後ろの魔物達にも声が聞こえるように言葉を発した。
「私には、貴方が何を言っているのか分からない。けれど、これだけは分かるわ」
そこで言葉を切ると、手のひらを足元にかざし、言葉を紡ぐ。
「魔法陣!」
「ナニ……!?」
その魔物と同様、後ろにいる魔物達も一瞬で怯えの色に染まる。
中には、逃げ出そうとしている魔物も。
(逃さないわよ)
足元に桃色の魔法陣が現れたのを確認して息を吸うと、口を開いた。
「ひとりぼっち? 確かに、そう思っていたことはあったわ。
けれど、今はそうではない」
私はもう、一人ではない。
それを証明してくれるのが、この指輪をくれたエリアス、それから友人、屋敷の者達。
「私には守るべき人たちがいる。その人達がいる限り、私は負けない!!」
そう口にした瞬間、バラバラになっていた花々が空に舞い上がる。
そして、私は祈るように口にした。
「妖精さん達、私に力を! 荒らされた花々を元通りに、そして」
今度は魔物達を見据えると、指を指して言った。
「貴方達は全員眠りにつきなさい! お仕置きしてあげるわ!!」
その言葉に、彼らは一目散に逃げ出そうとする。
それを許さないとばかりに、舞い上がった花弁が一気に魔物達に降り注いだと同時に私の身体に流れた魔法の力が騒ぎ出す。
(っ、ダメ! 鎮まって!)
無理もない。魔法陣を出現させた上、二つ同時に魔法を使うなんて初めてのこと。
それに、こんな大勢相手に魔法を使ったことも初めてだ。
それにより、一気に力が使われていくのも分かり、耐えきれずその場に崩れそうになった私の肩に、小さな手が触れる。
驚き見れば、そこには祝福してくれた花の妖精だけではなく、他の妖精達も合わせて十人ほどが私の周りを飛びながら言葉を紡いだ。
「アリスにちからを!」
「アリス、だいじょーぶ! ぼくたちがついてる!」
「皆……」
彼らの言葉と、彼らが魔法の力を分けてくれたことにより、魔法の力が格段に増し、身体中を駆け巡る力を制御出来るのがわかって。
「ありがとう、妖精さん達! それでは皆で元通り、お片付けしてしまいましょう!」
「「「は〜い!!」」」
彼らはそう返事をすると、小さな手のひらからより一層魔法を放出した。
先程まで凍りついていた魔物は、今では力無く横たわり、その光景を見て苦しげに呟くのが聞こえた。
「ナゼ、ダ……ナゼイツモ、マホウツカイハジャマバカリスル。モトドオリダトイウノナラ、オレタチダッテタダ、ニンゲント、」
そこから先の言葉が紡がれる前に、倒れ込んだ魔物達が一斉に姿を消す。
元いた場所に戻ったのだろう。
それを見届けた私達は魔法を解除すると、開けた視界の先には元通り綺麗になった薔薇園が広がっていた。
「……終わった、の?」
そう呆然と呟いた私に対し、妖精達はくるくると周りを飛びながら言う。
「アリス、かったよ!」
「まものに、かったんだ〜!」
「おはなも、もとどおりになってる!!」
その言葉に、私は心から安堵し口にする。
「そう……良かった。皆のおかげよ。本当にありがとう」
そう笑みを浮かべると、妖精達は嬉しそうに手を叩く。
そして。
「アリスッ!!!」
「!」
そう名を呼ばれ、ハッとし上を見上げれば、そこには物凄い速さでこちらへ飛んでくる彼の姿があって。
「エリアス」
私はそう呟くと、今度こそ心からの笑みを溢して口にした。
「良かった……」
そう呟いたのと同時に急激な睡魔が押し寄せ、身体から力が抜ける。
それを支えてくれた彼に言葉を発することも出来ずに、私の意識は暗闇へと飲み込まれたのだった。