第十五話
エリアスが出て行った屋敷の様子は物々しい雰囲気に包まれていた。
公爵邸の敷地には、魔力が宿っているガーゴイルが門扉の脇に置かれているのに加え、緊急時には王家から賜っているという結界の魔石が屋敷内全体に張り巡らされる。
その光景を目の当たりにしたのは初めてのことで。
「これが、結界……」
街全体を覆う結界に加え、緊急時には二重に結界を張ることで侵入を防ぐとエリアスから事前に聞いていた。
(それだけ魔物は魔法使いを狙っているということね)
まだ魔法が使えなかった時に遭遇した魔物を思い出し、言い知れぬ不安が心を支配したその時、外からバリンッというガラスが割れるような音が耳に届いた。
「何の音!?」
バッと立ち上がり、咄嗟に窓の外を見やれば、結界にヒビが入っており、四足獣の動物達が結界に向かって攻撃しているのが見えた。
「間違いない、魔物だわっ!」
そう口にし、扉を開けようとしたところで扉が開かないことに気が付く。
「そんな……!」
そこで初めて、外側から鍵をかけられたことにも気が付き、「開けて!」と扉をドンドンと叩いたところで、扉の外にいるララの声が耳に届く。
「アリス様はお部屋でお待ちください」
「っ、開けて!」
「“部屋から一歩も出るな”。それがエリアス様からのご命令です」
「……!」
その言葉にハッとした。
(……そう、よね)
やっぱり、エリアスははなから私に期待などしていなかったのだ。
『この屋敷のことは、君に任せる』
そう言っておいて、結局は私をこの部屋から出さない口実だったのね。
「……はは」
ここまで来たら笑えてくる。
本当に私は、何も期待されていないただのお飾りの妻なのだ。
そう思ったら何だか……、腹が立ってきた。
そして思い立ち決心すると、指輪に魔力を流し込んで念じるだけではなく言葉を発した。
「……エリアス」
そう口にすると、ポワッと指輪が光り、エリアスの声が頭に響いた。
『アリス!? どうした!』
「屋敷に魔物が現れたわ」
『なっ……!』
エリアスは絶句し、すぐに舌打ちをしてから言った。
『分かった! 今から屋敷に戻るから君は一歩も部屋から出るな!』
「……一歩も?」
その言葉に、私はふっと笑みを溢して言った。
「おあいにく様。私がそのご命令とやらを聞くとでも思って?」
『まさか!』
「貴方がいない今、この屋敷で一番偉いのはこの私。そして」
私は意を決すると、言葉を紡いだ。
「同じく、この屋敷内で最強なのもこの私よ」
『アリス……!!』
これ以上無駄口を叩いている暇はない。
こちらに何度も呼びかけてくるエリアスの声を無視し、今度は扉の外に向かって声をかける。
「今すぐこの扉、開けてくれないかしら?」
「それはできかねます」
「……そう。なら、仕方ないわね」
そう息を吐くと、私はゆっくりとその場を離れる。
そして向かった先にあった窓枠に腰掛けると、わざとらしく大きな声で言った。
「なら、この窓から飛び降りるしかないかしら!」
「お、お待ちください!?」
そういうや否や、慌てたように扉の鍵を開け、転がるようにして侍従達が入ってきた。
その予想通りの姿を見て、にっこりと妖艶に微笑む。
そして悪女のように毅然とした態度で、言葉を発した。
「部屋を開けてくれてありがとう。私は部屋から出ていくけれど、貴方達はついてこなくて良いわ。ついでに屋敷の玄関も、鍵はきちんと閉めておいてね」
「いけません!」
そう言って両手を広げたのは、ララだった。
彼女はまっすぐと私を見つめると、首を横に振り言った。
「公爵様の大事な奥様に、もしものことがあってはなりません!」
「……ララ」
その言葉に少しだけ目を見開いたけれど、やがて息を吐き言った。
「貴女、誰に向かって口答えしているの?」
「え……」
いつもとは違う私の言動に驚いているのだろう。驚愕に目を見開く彼女に向かって言う。
「エリアスがいない今、この屋敷で一番偉いのはこの私。その私の言うことを聞けないとでも?」
「っ……!」
ここまで言えば引き下がると思ったララは、それでも引かなかった。
「そうであったとしても! ……公爵様が大切に思われている方であると同時に、私にとっても大切なアリス様に傷付いてほしくないのです!」
ララの泣きそうな表情に、私も不意にそれをもらってしまいそうになる。
こんなに近くに、私の身を案じてくれる人がいるのかと。
それでも、私もここを引くことはできなかった。
「それなら、ここで指を咥えてこの屋敷毎破壊されるのを見ていろと?」
「「「……!」」」
その言葉に、その場にいた皆がハッと息を呑むのが分かる。
(この結界が破られようとしているということはつまり、上級以上の魔物が少なからずいるということ。屋敷内にはその魔物を倒せるくらいの魔法使いがいないことは分かっている)
そんな私が下すべき決断は。
「もう一度言うわ。私の護衛は不要。はっきり言って足手まといにしかならないし、見世物になるつもりもないから部屋から見るなんてこともしないで」
「アリス様」
「私が信じられない?」
「……いえ」
ララの瞳が戸惑いに揺れる。
それだけでなく、後ろに控えている侍従達も顔を見合わせていた。
そして、もう一度窓の外にチラリと目を向ければ、結界が破られる瞬間を目にする。
それを見て、私は今度は悪戯っぽく笑って言う。
「ねえ、知っているかしら?」
「「「!?」」」
彼らの顔が今度は驚愕の色に染まる。
私が迷いなく窓を開いたことによって、破られた結界から吹いた風が、私の髪を、エリアスから贈られたカーテンを弄ぶ。
その様を横目に見ながら、それでも悠然と笑って口を開いた。
「私、こう見えて魔法使いなの」
「アリス様ーーー!!!」
ララが私の名を呼ぶより先に、私の身体は宙に浮き、真っ逆さまに落ちていく。
落ちている最中、私はギュッと目を閉じて思う。
(本当、これでは成り行きが違っていても小説通りね)
けれど、小説中の“アリス”とは違い、私には確信があった。
それは。
『今はもう、お姉様は一人じゃない』
あの花祭りの日、フェリシー様に言われたこと。
そして。
『君を守れなければ、魔法使いである意味がない』
『君をもう、手放せそうにない』
そう言ってくれた、彼ならきっと。
そうして目を瞑ったままでいた私の身体を眩く、それでいてひんやりとした光が包み込んだのだった。