第十二話
「好きだ」
紡がれた言葉に、信じられない思いで目を瞠る。
「……今、なんて」
「好きだ」
耳を疑った言葉は、間違いなどではなくて。
私は呟いた。
「……ふざけないで」
「え?」
「ふざけないで!!」
「っ!」
彼の身体を突き飛ばし、後ずさる。
そして、頭を押さえて口にした。
「私を好き? 貴方が? 冗談も大概にして」
「冗談では」
「だから問題なんでしょう!!」
私の言葉に、彼は目を見開く。私自身も混乱していた。
(私を好き? 彼が?)
「ありえないでしょう。だって、貴方は……っ」
―――“アリス”に見向きもしなかったじゃない……。
(そのせいで、“アリス”は死んだのよ? それを今更、好きだなんて言われたって)
「信じられるはずがない!」
「……っ」
こちらを見る氷色の瞳が、戸惑いに揺れている。
そして私も、胸が苦しくて、痛くて。
ギュッと胸の前で手を握りしめると。
「アリス」
「!」
いつの間にか、目の前にいた彼に組んでいた手を取られた。
「聞いて欲しい」
「いや」
「お願いだ」
「無理」
「君との契約に関わることだ」
その言葉にようやく顔を上げれば、彼の瞳が切なげに細められる。
どうしてそんな顔をするの、と一瞬思ったが、その顔を直視することを憚られ、目線を逸らした。
直視してしまえば、きっと私は……。
そんな私に、彼は手を握ったまま言葉を発した。
「あれから、考えていた。夜会の時から……、この気持ちが何なのかを、ずっと考えていた」
「……」
「それで、分かったことがある。それは……、ヴィオラと君は、決定的に違うと」
「それはそうでしょう」
彼女と私を同じにされても困るし、彼女と私はヒロインと悪役、真反対だということは熟知しているわ、と思わずムッとすれば、彼は慌てたように付け足した。
「いや、違う、そうではなくて……、性格が似ている似ていないとかではなく、ヴィオラと君を前にした時の感情は、全くの別物だったんだ」
「は?」
何が言いたいんだ、と白目を向けると、彼は小さく息を吐いて言った。
「俺はずっと、君も知っての通りヴィオラに固執していた。ヴィオラがいればそれで良いと……、そう思って、今思えばはっきり言って黒歴史だ」
「はあ」
それが何か、と白い目を向けたままでいる私に、彼は声を喉に詰まらせながらも必死に言葉を続ける。
「だから、意味が分からなかった。どうして、ヴィオラに振られた時、“恋ではない”と言われたのか。答えは簡単だった」
そう言うと、彼はこちらをじっと見つめてはっきりと言葉を発した。
「彼女に対する気持ちは、恋ではない。
俺が初めて人を恋愛感情として好きになったのは、アリス、君なのだから」
「……っ!?」
驚きすぎて息を呑む。
真っ白になった頭を何とか回転させ、やっとの思いで口にする。
「……嘘、でしょう?」
「先程の言葉を返すようだが、こんなことで嘘を吐くわけがないだろう」
そう口にした彼は、月夜でも分かるほどその頬が赤く染まっているのが分かって。
今度こそ信じられない思いで震えが止まらなくなり、首を横に振るけれど、彼はその手を掴んで離してはくれない。
「俺でも戸惑っている。どうしてこんなに、君の側にいたいと、離れ難いと思ってしまうのか。
これは契約結婚、一年限りで君と離婚しなければならない。
それを提案したのは俺だというのに、この手を離さなければならないと思うと、怖くなる……っ」
「!」
彼のその氷色の瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
それを拭うことはせず、彼は片方の手で自身の心臓あたりをギュッと握る。
そして、はらはらと溢れる涙をそのままに、こちらに目を向けて言った。
「……こんな気持ちは、生まれて初めてだ。
誰かをこんなにも好きになるなんて……、怖くて、苦しい」
「そんなことを言われても」
「それでも、君に伝えたかった。……契約不履行であるこの気持ちをいつまでも隠し通して君と向き合うのは、違うと思ったから」
「え……」
思いがけない言葉に目を見開く。
そして、彼は告げた。
「自分勝手だと言うことは分かっている。けれど、君と正面からきちんと向き合いたかった。
……この気持ちを素直に伝えることで、君とこれからどう付き合っていくか、君に判断を委ねたいと思う」
「それは、どういう」
戸惑う私に対し、彼は息を吸うと意を決したように告げた。
「俺との契約をこれからも続けるか否か、君に決めて欲しいんだ」
「あ、貴方は何を言っているのか分かっているの!?」
その言葉に、彼は真剣な表情で頷く。
今度こそ眩暈がして、私は状況を整理するため口を開いた。
「契約を続けるか否かって……、それは、この契約結婚をなかったことにするということ?」
「いや、結婚は手続き上済ませているから、離婚するのが来年だということには変わりはない。
だが、君が望めば残りの期間、俺は君と今までのようには関わり合いにならないよう配慮すると誓おう」
「!?」
関わり合いにならないように。
そう言った彼の言葉に、私は……ブチギレた。
「はぁ!? 貴方何を言っているの!? どうしてそうやって勝手に自己完結するわけ!? 身勝手すぎる!」
「俺だって、どうすれば良いか戸惑っているんだ!」
言い返してきた彼の言動に怯んでしまうと、彼は自身の前髪を握って言った。
「……この気持ちは、もう止められそうにない。だから、君に決めて欲しい。
俺の君に対するこの想いが迷惑なら、はっきりとそう言ってほしい。
そうすれば俺は……、君にこんな感情をこれから一切向けることはしないし、近付かないと約束しよう」
「……っ」
そう口にした彼の表情は、本当に苦しそうで。
(こんな表情にさせているのは、私のせいだというの?)
それに。
「もし、私が貴方を拒絶したら、貴方はそれで楽になるの?」
その言葉に、彼は声を喉に詰まらせ、口にする。
「……楽には、ならない。むしろ、立ち直れないと思う」
「……それって大丈夫なの?」
「努力は、する」
途切れ途切れの彼の言葉に、暫しの沈黙が訪れる。
そして、私が出した結論は。
「迷惑」
「……!!」
その言葉に、彼の顔が分かりやすく驚愕の色に染まる。
それを見て、私は息を吐くと言った。
「と言ったら、貴方は今にも死んでしまいそうな表情をしているわ」
そう口にすると、エリアスは胸に手を当てて言った。
「お、驚かさないでくれ、心臓が止まるかと思った……」
そう言った彼の表情は、まだ血の気が引いているのが分かって。
その顔を見て、私は一周回って笑ってしまった。
そんな私を見た彼は、怒ったように口にする。
「それはあんまりじゃないか……!?」
「ごめんなさい、つい。氷公爵と言われていた貴方も、人間なんだなあと再認識してしまって」
「それを今ここで出すのか……」
グッタリしている彼を見て、さすがに可哀想だと思った私は、息を吸って今の気持ちを吐露する。
「正直、貴方のその気持ちを受け止められる気はしない」
「うっ……」
「だって、考えてみて? 先程も言っていたけれど、貴方が言い出したのよ? この契約結婚の最たる条件は、互いに恋愛干渉をしないこと。それなのに、言い出しっぺの貴方がそれを一番に破るとはまさか思わないし、それに貴方を恋愛対象で見たことなんてないわ」
「うっ…………」
私の言葉にいちいち反応して傷付いている彼にイラッとしたものの、息を吐くと言った。
「でも、貴方のその気持ちを聞いて、迷惑だとかそういう風には思わなかった。それが、今の私の答え」
「ッ、アリス」
「勘違いしないでね? 私には貴方の気持ちは一ミリも分からない。そもそも、恋愛感情なんていうものを、私が抱いたことはないもの」
「……っ」
本当に、分かりやすく勝手に傷付いている彼は、一体何なのだろう。
けれど。
「貴方のことを好きか嫌いかで言ったら、嫌いではないと思うわ」
「……嫌いじゃ、ない」
「そう。だから、貴方の気持ちを聞いても、答えてはあげられないけれど気持ちが悪いとは思わないし……、それに、契約結婚をして、貴方がくれたものも沢山ある」
「!」
その言葉に、エリアスがパッと顔を上げる。
私は笑って言った。
「貸し借りは嫌いだと、前に言ったでしょう?
だから、今日のことといい、貴方にまだ借りが残っている段階で、この契約結婚を終わらせるということは私の頭にはない」
「それは、つまり」
私は笑みを浮かべると、手を差し伸べて言った。
「どうぞこれからもよろしくね、エリアス」
「……!!」
彼はハッとしたように目を見開くと……。
「きゃっ!?」
再び彼の腕が背中に回った。
「ちょ、ちょっと!?」
「ありがとう、アリス!」
感極まるエリアスに、私は一瞬気後れしてしまったけれど、本当に仕方のない人、と受け入れて笑ってしまう。
……ところがエリアスは、その矢先にとんでもない爆弾発言を落とした。
「では、残りの時間は君を口説き落とすことに専念するとしよう」
「……はあ!?」
聞き捨てならない言葉に彼の腕から逃れようとするけれど。
「っ、なんて馬鹿力なの!!」
「ははは」
もがく私のことを笑っている時点で、先程の言動の数々は全て嘘かと文句を言おうとしたところで、彼が耳元で囁くように呟いた。
「君をもう、手放せそうにない」
そんな二人の様子を見守っていた彼女は、クスクスと笑って口にした。
『お誕生日、おめでとう。二人に……、この国に、幸在らんことを』
そう呟かれたのと同時に、夜空には無数の花火が花祭り……建国記念日の終わりを告げたのだった。