第十一話
「アリス!?」
エリアスに名を呼ばれ、目元に手をやれば指先が濡れていて。
自分が泣いていることに気が付いた私は、慌てて目元を拭い、彼に向かって笑みを浮かべた。
「ごめんなさい、自分でも今日が誕生日だと忘れてしまっていたから、余計に驚いてしまって」
「……そうか」
エリアスは私にハンカチを差し出すと、微笑んで言った。
「君には余計な不安を与えてしまったが、それでも俺からのサプライズを受け取ってくれるか?」
その言葉に、私はそのハンカチを受け取ると、頷いて口にした。
「えぇ、もちろん」
それに対し彼は破顔し、私の手を皆が待つ方へと誘ってくれたのだった。
皆で立食パーティーのような誕生日会をした後、エリアスがどこかへ一人歩いていくのが見えて、その背中を追い、声をかける。
「エリアス」
「アリス」
驚いたように目を見開く彼の隣に並び、庭園の中を一緒に歩き出す。
彼は不思議そうに尋ねる。
「皆と一緒にいなくて良いのか?」
「あら、その口振りからすると、私は邪魔者という意味かしら?」
「ち、違う!!」
「ふふ、冗談よ」
必死な形相で否定する彼を見て思わず笑ってしまうと、彼は明後日の方向を見て言った。
「……迷惑、だったか?」
「え?」
思いがけない言葉に目を瞬かせると、彼はこちらを見て言った。
「誕生日パーティーの最中、終始困った顔をしていた」
「! ……バレていたの?」
思わず口にすれば、彼は頷き言った。
「契約とはいえ、ずっと一緒にいるからな」
「……っ」
さも当たり前だというようにそう口にする彼に対し、私は頭を押さえた。
「……本当、貴方はそういう言動をどうにかした方が良いわよ」
「何か言ったか?」
「いえ、何でも」
どうして恥ずかしげもなくそういうことをさらりと口に出来るのか。
そんな彼の言動を理解できる私が契約結婚相手で良かったわね、なんて思ってしまいながらも、足元に咲く花々を見ながら口を開いた。
「……初めてで、戸惑ってしまったのよ」
「え?」
彼の足が止まったのを見て、私も足を止めて彼の方を見やる。
驚くエリアスに向かって、私は先程のパーティーを思い出し、小さく笑って言葉を発した。
「誰かに、“お誕生日おめでとう”なんて言われて祝ってもらえたのは」
「……!?」
エリアスの顔が驚きの色に染まる。
私はそんな表情に笑ってしまいながら言う。
「そんなに驚くことかしら?」
「驚くに決まっているだろう!」
「!」
彼が、不意に私の肩を掴む。
そして、言葉を続けた。
「本当なのか!? それは……、だって君は、フリュデン侯爵から贈り物をもらっているじゃないか。フリュデン侯爵からは」
「言われたことはないわ」
「……嘘、だろう?」
エリアスの言葉に、私は肩を竦めて言う。
「そんなことで嘘を吐く必要がある?」
「それは……」
エリアスが押し黙ってしまったのを見て、もう一度花々に目を向けて呟くように言った。
「私は、いつもひとりぼっちだった。毎年訪れる今日……、花祭りの日だって、それは同じ」
思い起こされるのは、屋敷の灯り一つつけない暗がりの自室で、一人窓の外に目を向けている自分。
それは、小説内で“アリス”が亡くなった日と、毎年同じ状況にいるのが当たり前だった。
(でも、アリスの記憶の中には、確かに残っている)
「私は、毎年待っていたの。誰かが……、私のお誕生日を奇跡的に覚えていてくれた誰かが、“おめでとう”と言ってくれることを。
だけど、それは叶わないことだった」
それが当たり前のようになっていった“アリス”は、いつしか悟った。
「私の誕生日を、誰もお祝いしてくれる人なんていない。
そう思っていたから、誕生日そのものを忘れようとした」
だけど、“アリス”には出来なかった。
心の奥底で、愚かにも健気に待ち焦がれていたのだ。
だから。
「“お誕生日おめでとう”と、誰かに……、まさかこんなに大勢の人達にお祝いしてもらえるとは思わなかったから、驚いて、心が震えたの」
「……!」
そっと自身の胸に手を当てれば、高鳴る鼓動があって。
(“アリス”として転生しているからかしら、“アリス”の気持ちが今は手に取るように分かる。そして)
「本当に、初めてなの。誰かに祝ってもらえたのは」
前世でも、言われたことなどなかった。
いつ生まれたかすらも分からない私は、拾われた日を仮の誕生日とされた。
その上、施設にはそんな子達がごまんといたため、いちいちお祝いの言葉をかけられることはなかったのだ。
「それが当たり前だと思っていたし、私が生まれてきたことに意味なんてないと、そう思っていた」
「そんなこと」
「でも」
「!」
彼の唇の前で人差し指を作り、その言葉を制してから笑みを浮かべて言葉を続けた。
「今日こうして皆に祝ってもらえて、初めてここにいても良いんだと、そう言ってもらえたような気がしたの」
そこで言葉を切り、今の自分の気持ちを笑みに込めて口を開いた。
「私は絶対、この先も今日という日を忘れることはないと断言出来るわ。それくらい、素敵で夢のような一日で……、嬉しかった。それも全て、貴方のおかげ。
ありがとう、エリアス」
「……!」
その言葉に、彼は目を見開くと……、呟いた。
「そうだ。君がいるから、俺は」
そう彼が呟いたと思った、刹那。
「エ、エリアスッ!?」
突如肩にあった力強い腕が背中に回り、抱き寄せられる。
「ちょ、ちょっと、離し」
「俺は、アリスがいたから救われた」
「えっ……」
思いがけない言葉に目を見開く私に向かって、彼は言葉を続けた。
「君がここに来てくれてから、俺の人生は変わった。……見える景色がこんなにも色付いて見えたのは、君が隣にいてくれるからだ」
「そ、それは買い被りすぎでは」
「そんなことはない!」
エリアスはそう力強く否定してから、「それでも」と言葉を続けた。
「君が少しでも、まだ自分が生まれてきて良かったのかとか、余計なことを考えることがあるのだとしたら、俺はこの先何年……、いや何十年でもこの日を祝おう」
そう言うと、今度はその腕から私を解放し、真っ直ぐとその氷色の瞳を私に向けて言った。
「お誕生日おめでとう。
それから、生まれてきてくれてありがとう、アリス」
「……!!」
思いがけない言葉に、その瞳の奥に宿る確かな熱に、私はその場に囚われたように動けなくなってしまう。
そして、花の香りを運ぶ風が頬を撫でていく中、私から目を逸らすことなく、彼のその薄い唇から言葉が紡がれた。
「好きだ」