第七話
城下はいつも以上に混んでいるということもあり、少し離れた場所で馬車から下りることになった。
馬車が停車すると、先にエリアスが扉を開けて降り立ち、当たり前のように私に手を差し伸べた。
それが何だかいつも以上にドキドキとしてしまったのは、きっと不可抗力だと思いたい。
そうして二人で待ち合わせ場所に向かうと。
「アリス様〜!」
「ミーナ様!」
すでにそこには、ミーナ様とファビアン様の姿があって。
私はミーナ様に開口一番口にする。
「このワンピース、ありがとうございました。とても着心地が良くて、素敵ですね。ミーナ様もよくお似合いです」
「ふふ、気に入って頂けたようで何よりですわ。私のお洋服は、アリス様と色違いの黄色にしてみましたの」
そう言ってその場で回ってみせてくれる。
その姿に私は手を叩いてから言った。
「でも、本当によろしいのですか? プチット・フェの特別なワンピースなんて」
「ふふ、もちろんですわ! お友達になった記念にと、花の妖精さんから祝福されたアリス様にプレゼントだと思ってくださいな」
「ミーナ様……。とっても嬉しいです、ありがとうございます」
そう言って笑みを浮かべれば、彼女も笑って頷いてくれる。
そして、私の肩に手を乗せ、エリアスの方を振り返って言った。
「ロディン様! きちんとアリス様の装いについて感想を述べられましたか?」
「あぁ、伝えた」
「それはそうですわよね! 何せ今日は特別な日ですもの!」
「特別な日……?」
建国際だからかしら、と首を傾げる私に、エリアス様は慌てたように言った。
「リンデル夫人!」
「はいはい、ロディン様のご希望ですもの、私共もそれに従いますわ」
「はは、エリアスの頼みなんて彼女のことくらいだしな」
「!」
ファビアン様の言葉に、エリアスが殺気立つのが分かる。
それをミーナ様が窘めてから言った。
「それと、その花冠は花の妖精さんたちからいただいた物なのですか?」
「はい、エリアスに託したそうで」
「まあ!」
ミーナ様の目がキラキラと輝いたのを見て、彼が慌てたように私を制する。
「よ、余計なことを言わなくて良い、アリス」
「ロマンチックだな!」
「ファビアン」
「怖っ」
「ファビアン、無粋よ。きっとロディン様なりに頑張ったのだろうから」
射殺さんばかりに睨みつける彼の瞳が氷点下を下回り、ミーナ様がファビアン様を窘めたところで、これ以上立ち話をするのはなんだからと、活気に溢れる祭り会場へと足を踏み入れたのだった。
「素敵……っ!」
街の通りに入った瞬間、私は目を輝かせた。
どこを見ても花で溢れているからだ。
建ち並ぶ家々にはリースが飾られており、またその前に並ぶ店には花飾りが売られている。
「リースにドライフラワー、押し花のしおりに花束……、あれはブレスレットかしら! 本当に素敵ね!!」
「アリス」
「!」
不意に肩を寄せられ、驚き見上げれば、彼が笑っていた。
その笑顔が何だか後ろに太陽があるせいか眩しく見えて、思わず視線を逸らして「ありがとう」と口にすると、彼は言った。
「手を繋いでいるだけでは君は迷子になりそうだ」
「そ、それは言えているけれど、また子供扱いしていない!?」
「子供扱いというよりは、妻扱いをしている」
「!?」
な、何を言い出すんだこの人は! と驚く私に、彼はまたクスクスと笑って言う。
「君は本当に花が好きだからな。リンデル夫人に呼んでもらえてよかった」
「……あれ、でもエリアスって確か人混みが嫌いなのでは?」
「どうしてそれを?」
「あ」
(そうだわ、これも小説の設定だった!)
花祭りは愚か、エリアスは祭りや社交の場を好まなかった。
その理由が、公にさらされることと、人混みが嫌いという理由なのだ。
驚く彼に向かって、慌てて誤魔化すために言葉を並べる。
「ほら、貴方は社交の場が嫌いと言っていたじゃない? だから、そんな気がして」
「……」
疑いの眼差しに変わるが、必死になって笑みを浮かべれば、彼は「そうだな」と微笑み小さく呟いた。
「前は確かにそう思っていたが、今は君といられるのなら良いと思えるから不思議だ」
「……へ!?」
「まあ、社交の場は相変わらず好かないが。
……君を一秒でも見る輩がいるのが腹立たしいからな」
「い、一秒!?」
何言っているのこの人は! というか、本当にどうしてしまったの、今日は!
と驚きを隠せないでいる私達の元へ、ミーナ様とファビアン様が後ろから現れた。
「ふふ、本当に仲良しだこと」
「今日は俺達もいるんだってこと、忘れないでくれよ?」
そうニヤニヤと笑う二人に対し、エリアスが怒ったように一歩踏み出したのを見て、慌ててそんな彼を押さえてから言った。
「ミーナ様、耳に着けているのは向日葵の花ですよね!」
その言葉に、ミーナ様が花に手をやりはにかむ。
「そうですわ。ファビアンが今買ってくれた物なのですの」
「まあ、ファビアン様が! 素敵ですね」
そう言って笑みを浮かべれば、ミーナ様は照れたように笑う。
その笑顔を見て漠然と思った。
(これが本当に、その人のことを好きだという表情なのね……)
何だかキラキラとしていて幸せそうで。
恋や愛というものが未だに分からない私には、ただただ眩しく感じられたのだった。
その後は街の中を散策し、そして城へと辿り着いた時には人がひしめき合っていた。
「あれ、ミーナ様は?」
何とか人混みを掻き分け、城へと辿り着いた私達だったけれど、ミーナ様とファビアン様の姿が見つからなかった。
エリアスも私に言われてから気付いたようで、前髪を掻き上げて言った。
「この人だかりじゃ無闇に探しても今度は俺達が逸れてしまうだけだ。
とりあえず、エドワール達の挨拶が終わるまではここにいよう」
「それもそうね」
エリアスの言葉に頷き、彼らがバルコニーに姿を現すのを待っていると、少ししてから先にエドワール殿下が現れた。
そのままエドワール殿下が挨拶を始めたことから、ヴィオラ様は後からの登場らしい。
それにしても。
「エドワール殿下、今日も素敵ね」
ヴィオラ様だけではなく、エドワール殿下の御衣装も“プチット・フェ”のものだということは知っている。
彼の装いは、白地の正装に花祭りにちなんでか色とりどりの花の刺繍が施され、肩には金の飾緒が下がっている。
そんな彼の挨拶を聞いていると、不意に手を繋がれた。
それに驚いた私は、反射的に顔をあげエリアスを見る。
「ど、どうしたの?」
「逸れないように」
「は、逸れるも何もないわよね?」
そう返したけれど、それに対しての返答はなく、ふいっと顔を背けられてしまう。
今日のエリアスの様子が変なことについては考えることをやめにした私は、もう一度視線をバルコニーの方に向けると、殿下の話題が移る。
「節約をお願いしていた“光”についてですが、その“光”がこの節目を持って、今新たな兆しが見えてきました」
その言葉に、私は驚きエリアスの顔を見上げる。
「兆しって、もしかして」
そんな私の問いかけに、彼は笑みを浮かべて頷いた。
「あぁ。君の案が採用され、今作業に取り掛かっているところだ」
「も、もう!? 私がお話ししたのは半月前のことよね?」
「君の意見は画期的だったからな。すぐに採用されて、今に至る」
「そ、そうなの……」
まあ、今のところ私が発案者だとバレていないようだから良いか、と結論づけたところで、ここで光の一族のノルディーン家を代表して、加えて、殿下の婚約者としてのお披露目を兼ねてヴィオラ様が姿を現す。
その光景を見て、私は思わず息を呑んだ。
「……っ」
エドワール殿下と対になる衣装は、どこから見ても神々しく、この世のものとは思えない美しさを放っていた。
そんな姿を目にした聴衆からは、わっと歓声が上がる。
そして、彼女の儚げな印象は、やがて民に向けられた凛とした瞳と声によって、その印象を覆す。
正直、そんな彼女の挨拶は頭に入ってこなかった。
なぜなら、私もその美しさに魅入られたうちの一人だったからだ。
小説のヒロインという言葉で片付けて良いのかと思うほどの、圧倒的な存在感。
そして、そっと盗み見た先にいた、彼女を見つめるエリアスの姿にどうしようもなく胸が苦しくなって。
舞台に立つ、ヒーローとヒロイン。
そしてそれを見上げる、ヒロインを一途に想っていた当て馬とお飾りの妻。
その差は一向に埋まることのない深い溝のように思えてならなかったのだった。