第六話
花祭り当日。
「アリス様、寝不足ですか?」
「えっ?」
朝、仕度をしてもらっている間にララに声をかけられ驚けば、彼女は自身の目元を指さして言った。
「目の下に隈が出来ていらっしゃいますよ」
「そ、そうね、今日が楽しみで眠れなかったせいかしら」
「何せWデートですもんね!」
「ち、違うわよ。私は花祭りが初めてだから、お花のお祭りってどんなものなのかなと……」
「ふふ」
そんな私の言葉など聞いてはいないという風に、ララは悪戯っぽく笑う。
本当に違うのに、と目元に手をやって小さく息を吐いた。
(眠れなかったのは、今日が“アリス”の命日だからよ)
どうしても、思い出してしまう。
彼女が飛び降りたあの場面のことを。
(あの場面だけは、エリアスとの会話でさえも一言一句覚えているのよね……)
それほど前世の私からしたら衝撃を受けたのだ。
挿絵は一枚だけだったけれど、文章表現によってその場面がまるで脳裏に鮮明に浮かび上がってくるような、そんな気までしてしまって……。
「アリス様、お支度が整いました」
「!」
そんなことを考えてしまっている間に、既に仕度は整えられていた。
「今日は凄く早いのね」
「お忍び用なので、髪型を凝ったものというよりは町娘のようにしてみました」
「髪色はこのままで良いの?」
「はい、それについてはエリアス様からご説明があるかと思います」
「説明?」
何だろう、と首を傾げつつ鏡に映った自分を見やれば、お忍びと言うには目立ってしまいそうな自分がいた。
その上、今日の洋服……、水色のパフスリーブのワンピースに小花の刺繍が施されたその洋服は、プチット・フェでは特別のお忍び用の服だというのだから、なおさら。
また、この洋服は、ミーナ様が“友人となった記念に”と称してプレゼントしていただいたものだ。
そして、彼女も今日これと色違いのものをお揃いで着ることになっている。
「着心地もデザイン性も良いわ。さすがね」
そうお洋服を眺めてから、ハッとして時計を見る。
「もうこんな時間なのね! エリアスとの約束の時間だわ!」
そう言って立ち上がると、慌てて肩にバッグを掛け、部屋を出る。
吹き抜けになっている玄関先には、既にエリアスの姿があった。
(彼もやはりラフな感じなのね。それでもキラキラとしたオーラは健在だもの、美形って凄いわねぇ)
そんなことを思わず考えてしまいながら、階段を降りる。
「エリアス」
「!」
こちらを見たエリアスは、いつものように固まってしまう。
それには慣れた私は笑みを浮かべて言った。
「このお洋服、とっても素敵よね。さすがミーナ様だわ。後で再度お礼を言わなければ」
「……か」
「か?」
「可愛い」
「……!?」
洋服ではなく、間違いなく私をじっと見つめて言う彼に、思わず息を呑んでしまうと、彼は私の髪を見て笑って言った。
「お忍び用の格好も、君の可愛らしさが際立っていて可愛い」
「!?」
「今日は花祭りだからな、君に変な虫が寄りつかないよう気を付けなければ」
「エ、エリアス、貴方変な物でも食べた!?」
「いや?」
首を横に振る彼をよそに、私は信じられないと頬に手を当てた。
(どうしてこんな……、恥ずかしいことを平気で言ってのけるの!? いつものエリアスではありえない!)
となぜか私が悲鳴をあげたくなる衝動に駆られていると。
「後、これ」
「……!?」
彼の手にあったものに、思わず驚きを隠せず彼の顔を見上げると。
「頼まれたんだ、君の祝福の妖精達に」
「は、花の妖精さんに……?」
そう尋ねてもう一度目を向ければ、その彼の手には美しく咲いている色とりどりの花で出来た花冠があった。
(さ、さすがにエリアスが作ったわけではないわよね)
今度こそどうかしてしまったのかと思ったけれど、そうではないようでホッと一息ついている間に、彼は私の頭に花冠を乗せて言った。
「うん、君にとてもよく似合っている」
「……は!?」
「花の妖精からの伝言で、今日が終わるまではずっと付けていてほしいと。それから、俺の手で飾ってあげたらきっと喜ぶだろうと言われたんだ」
「っ……」
なぜそんな恥ずかしげもなくそれを言ってのけるんだと、戸惑ってしまっている私に対し、彼は恐る恐る尋ねた。
「気に入ってくれただろうか?」
「〜〜〜お、お花は好きだもの、これを付けて歩くのは少し恥ずかしいけれど……、に、似合っていると貴方が言うのなら、終わるまで付けておくことにするわ」
「……!」
まさか花冠をこの歳になって着けることになるとは思わず驚いてしまったけれど、お花に罪はないし、お祭りだから良いだろう。
そう考え、彼の顔を見上げると。
「!?」
エリアスの顔は、真っ赤だった。
そんな私の視線に気付いた彼は、慌てたように私の目の前でひらひらと手を振り、「見るな」と言って片方の手で自分の顔を覆ってしまう。
その顔を見て、吹き出して言った。
「どうしてそんなことで赤くなるの。貴方が私に言っていたことの方が余程恥ずかしかったわ」
「い、言うな。……あーやっぱり俺には無理だ!」
「何が無理なの?」
思わず尋ねた私を一瞥してから、彼は「こちらの話だ!」と口に手を当て言う。
それを見て、もう一度笑ってしまいながら言った。
「やはり、無理をしていたのね。先程の貴方は、何と言うか……、気持ち悪かった」
「気持ち悪い!?」
「こ、言葉の綾よ。何だかいつもとは違っていて私が居心地が悪かったというか……、とにかく、余計な気を遣わないで。
折角のお祭りなんだもの、楽しみましょう?」
「!」
そう言って手を差し伸べれば、彼は苦笑いして言った。
「普通は逆じゃないか」
「普通も何も関係ないわよ。私達は私達らしく、でしょう?」
「!」
これは、私とエリアスの契約結婚なのだから。
「無理をしたって楽しくないもの。私に気を遣う必要はないのだし、貴方は貴方らしくいられればそれで良いんじゃない?」
「……本当に、君は」
そう言うと、彼は私の手を不意に取る。
その手の繋ぎ方は、エスコートをする時のものではなく。
「これで俺達も、夫婦に見えるだろうか?」
そう言って悪戯っぽく笑う彼に向かって、私は小声で反論する。
「偽の、ね!」
そう言って顔を見合わせて笑い合うと、二人並んで馬車に向かって歩き出す。
そして、馬車が城下に向かって走り出したところで、向かいに座っていたエリアスを見てふと疑問に思って問いかけた。
「そういえば私達、この髪色のままではまずいわよね?」
その言葉に、彼はあぁ、と頷き言った。
「お忍び用の魔法があるんだ。それを今からかける」
「え……、わ!」
彼の指先から私に向かって、キラキラと水色の光の粒が降り注ぎ、それはまたエリアスも同じようにかかって消えたのだけど……。
「……エリアス、何も変わっていないわよ?」
珍しく失敗してしまったのか、と驚き口にすれば、彼は笑って答えた。
「いや、俺達の目では変わっているようには見えないが、魔法使いでない者達が見たら、俺達のことは地味に見えているそうだ」
「魔法使いでない者達が見たら?」
「あぁ。……アリスも祝福を受けたことで、魔法使いとなった今は俺達が変わっているようには見えない。
ちなみに、これは学園で一番最初に教わる初級魔法だ。
今度使い方を教えるからやってみると良い」
「……魔法、使い」
思わず呟いた言葉に、エリアスが微笑み頷く。
(私、本当に魔法使いになったんだ)
そんなことを今更ながら改めて実感して、思わず自分の掌を見つめるのだった。
こうして私の、原作とは違う“花祭り”の一日が、始まりを迎えようとしていた。