第三話
夜。
日付が変わる時間帯に共同寝室の扉を開ければ、いつものように既にエリアスの姿があった。
「アリス、眠くないか?」
「えぇ」
そう頷きを返しながら、内心驚いてしまう。
(いつも通りだわ)
正直、昼のこともあって顔を合わせるのが気まずいと思っていたけれど、彼はいつも通りだった。
(きっと、配慮してくれているのだろうけど)
そんな私をよそに、彼は「今日は」と口を開いた。
「俺は外で攻撃魔法の特訓をしようと思う」
「外で?」
驚く私に、彼は頷き肩を竦めて言った。
「この部屋では狭いし、攻撃魔法で君を傷付けてしまったら大変だからな」
「!」
それはごもっともだけれど、何だか私のことだけを配慮しているというような物言いに、少し気を取られているうちに、彼は言った。
「だが、それだと君の魔法の手伝いが出来ないだろう? そこで提案がある」
「提案?」
首を傾げた私に対し、彼は頷くと、私の指輪を指差して言った。
「その指輪と俺の指輪を媒介に、俺達が話せるようにしないか」
「それって、電話……?」
「でんわ?」
「あ、いえ、何でもないわ」
(そうよね、この世界では電話なんてものはないわよね)
そんな私の言動に疑問を抱いたと思ったようで、丁寧に説明をしてくれる。
「元々、その指輪は魔道具として作らせているんだ。
ただし、まだ魔力は込められていないから、互いの魔力を付与することで魔道具としての効果を発揮するようになっている」
「そうだったのね」
そう言われ、薬指で光る指輪に視線を落としてから言った。
「それで、その魔力を付与するにはどうやってやるの?」
「その指輪を着けている状態で、君の指輪に俺の魔法を、俺の指輪に君の魔法を付与する。
そうすれば、指輪を身につけている間は互いに連絡を取ることも、もし身に危険が迫った時は検知することも出来るようになっているんだ」
「身につけている間?」
「あぁ。君の魔法と俺の魔法を認識しないと、術は発動しないようになっているからな」
「なるほど……。とても便利ね」
凄い、と驚く私に対し、彼は「ただし」と真剣な表情をして言った。
「この魔法は、“親愛魔法”と言う。そのため、付与方法にもう一つ変わった条件があるんだ」
「変わった条件?」
「あぁ。その条件というのが口付けなんだ」
「…………口付け!?」
何を言われているのだか一瞬分からなかった私が、たっぷり間を取ってそう反応すると、彼は視線を逸らして言った。
「“親愛魔法”だからな。簡単には付与出来ないということだ」
「そ、そういうことなのね……」
そう呟いた私に対し、彼からの返答はなく、私達の間に暫しの沈黙が流れる。
(“親愛魔法”の付与方法は口付け……、ということはつまり、普通は夫婦や家族、恋人同士が行うということよね?)
契約結婚の間柄でいるものなのかしら、と思う反面、エリアスとの連絡手段があるという点では便利なのではないかと思う。
そんなことを思案している間に、彼は言った。
「もちろん、君が嫌なら無理強いはしない。
が、何かと便利だと言われている。特に、危険を察知した時に知らせてくれるという点とか」
「……なるほど」
つまり、エリアスは私を心配してくれているのかもしれない。
(魔物が近付いてくるということも、“癒しの魔法”の祝福を受けていることにも)
それだとしたら。
「……確かに、“親愛魔法”があった方が安心ね」
「あぁ」
エリアスの頷きに、私も頷き返すと口を開いた。
「分かったわ。では、まずはお手本を見せてくれるかしら?」
「!」
そう言って左手を差し出せば、彼は驚いたように目を見開く。
そんな彼に向かって問いかけた。
「貴方が言い出したことなのにどうして驚くの?」
「いや、この提案をしたら君は断るだろうと思っていたから」
「互いに便利なのなら、使えた方が良いじゃない? 本当にこの指輪を通して話せるのだとしたら、用がある時にいちいち貴方の仕事中に部屋を訪れなくても良いということでしょう?」
「っ、それは考えていなかった……」
「え?」
彼が何を言ったのか聞こえず首を傾げると、彼は慌てたように「いや」と首を横に振ってから言った。
「そうだな、君の手が空いていない時や俺が屋敷にいない間はこの魔法を使ってくれたら良い。
それ以外は、直接顔を見て話し合った方が早いこともあるだろうし、その場合はいつものように執務室に遠慮なく来てくれ」
「え、でも貴方は忙しいでしょう?」
「君なら大丈夫だ」
「……っ」
さらりとそんなことを言うものだから、何だか気後れしてしまう。
そうして気が動転している内に、彼は私の手をするりと取ると、指輪に口付けを落とした。
「!」
すると、指輪だけでなく手全体を覆うように眩い光に包まれ、やがてその光は指輪の中に収まるように消えた。
その速さに驚く私に、彼は顔を上げて私の手を離すと、口を開いた。
「これで俺からの付与は完了だ」
「もう!?」
「あぁ」
彼の頷きを見て、もう一度自分の手元に視線を落とす。
(確かに付与されている間は光り輝いていたけれど、こんなに一瞬で終わるものだとは)
そう思っている間に、彼の手が私に向かって差し出される。
そして、彼は言葉を発した。
「次は君の番だ」
「ど、どうやって行えば良いの?」
エリアスは簡単に付与していたけれど、そういえば私が魔法付与なんて出来るのかを失念していたという思いで尋ねれば、彼は笑って言った。
「先程と俺がしたことと同じように、君も俺の指輪に口付けをすれば良い。
その時に、“親愛魔法”と心の中で念じれば、呼応してくれるはずだ」
「そ、そんなに簡単なの?」
「あぁ。この魔法は、微力しか魔法を使えなくても付与できるようになっているからな」
なるほど、と頷きつつ、差し出された彼の手に視線を落としてから口を開く。
「えっと……、では、付与するわね」
「あぁ」
そう断りを入れてから、彼の手を取る。
(……うっ)
分かってはいたことだけれど、指輪とはいえ自ら口付けるだなんて緊張する……、と顔と手を近付けながら思う私の目に、彼の手が小刻みに震えているのが分かる。
それを見て緊張はどこへやら、ムッとして顔を上げれば、案の定エリアスは肩を震わせて笑っていた。
「っ、すまない」
「だから何でも謝って済むと思ったら大間違いだと言っているでしょう!?」
「必死な形相をしているものだから、つい」
「口付けなんてしたことがないのだから当たり前よ!」
「……え?」
エリアスの反応に、自分が何を口走ったかに気付きハッとする。
そして、熱が集中していく頬を誤魔化すように、“親愛魔法!”と念じながら、勢いのまま彼の指輪に口付けた。
すると。
「「!」」
先程とは違い、ぽわっと指輪だけが淡く光ったかと思うと、その光は一瞬で消えてしまった。
それを見て、エリアスは言った。
「これで“親愛魔法”は成立した」
「こ、これで良かったの? 貴方が施してくれた時の光と比べて、随分違ったけれど……」
エリアスが私の指輪に口付けた時、強く比較的長く発光していたのに反し、私が口付けた時は、ほんの一瞬小さく淡く光っただけだった。
そう比較し、私は口にする。
「こ、これも魔力量の差、なのかしら……」
「まあ、光れば大丈夫だから気にしなくて良い。
これで無事に、俺と君は指輪をつけている限りはいつでも連絡を取り合うことが出来るようになったし、安否を確認することも出来るようになった」
「そういえば、連絡とはどうやって取り合うの?」
「まずは名前を呼び、後は念じれば良いだけだ。……こんなふうに」
そう言って、彼は唇を引き結ぶ。すると。
『アリス』
「!?」
一切彼は言葉を発していないのに、頭の中で彼が私の名を呼ぶ声が響いた。
それはいつか、ソールを知る女性の声が頭に響いた時と同じ感覚を覚える。
驚く私に、笑みを浮かべている彼の声が頭に届く。
『言葉を発しなくても意思疎通が取れるようになっている。君もやってみると良い』
『……エリアス』
そう名を呼べば、彼は嬉しそうに笑みを浮かべる。
そして、そのまま頭に彼の言葉が届いた。
『これで、君との繋がりがまた一つ増えた』
「……!?」
そう言って彼が心から嬉しそうに笑うものだから、私は何と返せば良いか分からず、声を詰まらせてしまうのだった。