第六話
沢山執筆をして、皆様にお届け出来ますように!
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます…!
また面倒臭いことになった。
(こんな予定ではなかったのだけど……、決めてしまったものは仕方がないわよね)
そう腹を括った私に対し、目の前に座っているお父様が重苦しく口を開いた。
「本当なのか。エリアス・ロディン公爵との婚姻話を受けるというのは」
「えぇ、本当ですわ」
そう頷けば、お父様の横にいたお兄様が声を上げる。
「どんな心境の変化なんだ。あんなに頑なに断っていたというのに」
「言葉通り気が変わったのです。
公爵様にもご承諾頂けましたし、何よりお父様方にとって私という目の上の瘤が消えるのですから、双方にとって利点の方が多いはずです」
「……目の上の瘤、だと?」
「何か間違ったことでも?」
私の言葉に反応したお父様に対し、冷ややかな視線を返せば、お父様は低い声音で言った。
「……私はお前を、そんなふうに思ったことは一度だってない」
(嘘おっしゃい)
魔法を使えない私を邪魔者扱いして、デビュタント以外の夜会は全て断っていたくせに。
小説でも、アリスはエリアスと結婚するまで夜会に出ることはなかったという描写があったもの。
(歴史だけは長い侯爵家の恥であり、お父様の面子の丸潰れだものね)
良いわ、今更話したところで分かり合えるはずがないもの。早く話を終わらせましょう。
「公爵様から追って必要な書類を送って下さるそうです」
その時に、お父様には正式な婚姻を進めるための同意書が、そして私には契約書……、一年間お飾りの妻を演じることについての決め事を書いたものが送られてくることになっている。
「もし分からないことがありましたら、遠慮なく伺って良いそうなので、話は全てそちらへどうぞ。では、私はこれで」
「アリス!」
淑女の礼をしたところで大きな声で名を呼ばれ、顔を上げれば、お父様が怖い顔をして口を開いた。
「……本当に、幸せになれるのか?」
その言葉に、私は目を瞠る。
そして、拳をギュッと握り笑って言った。
「えぇ。このままここへいるよりは、遥かに幸せになれると思います」
「「!?」」
「失礼致します」
今度こそ踵を返すと、部屋の扉を閉める。
(今更、何よ)
幸せになれるのか、ですって?
「……笑わせないで」
貴方達のことは、私にとって赤の他人も同然。
家族なんて、私には前世にだってここにだっていないのだから。
それから三日後、公爵様の言う通り私の手元には契約書類が届いた。
(後で面倒なことになるから、きちんと全てに目を通さないと)
そう思いながら封を切り、中身を確認したところで、思わず顔を顰めた。
「うわ……」
封筒の中には、分厚い紙の束が。
(封を開ける前から嫌な予感はしていたのよ。重かったもの……)
紙の束一枚一枚には、それはもうびっしりと流麗な字で契約内容が書かれていた。
「忘れていたわ。あの人の設定」
エリアス・ロディンは怖いほど几帳面だったんだわ。
今更ながら、後悔が押し寄せる。
「私、本当に一年間とはいえあの人とやっていけるのかしら?」
分厚い書類を前に、決意は一瞬で崩れ去り、心配だけが心を支配しそうになった自分を何とか鼓舞し、紙の束……というより冊子を自分の手元に引き寄せた。
(とりあえず、読まないことには始まらないわよね。えーっと?)
「うわ、面倒くせぇ」
「きゃ!?」
突如、横から低い声と共に現れた影を見て、短く悲鳴を上げ思わず椅子から立ち上がる。
現れたその姿を見て、私は怒鳴った。
「ちょっと! 驚かさないで!」
そんな私の声に、黒猫の神様……ソールは顔を顰めて言った。
「うるせぇな。相変わらず声がでけぇ」
「当たり前でしょう!? 淑女の部屋に断りもなく入ってくるだなんて、ありえないわ!」
「ありえないもくそも、俺がいつ来ようが関係ねぇだろ?
俺はお前を助けた神なんだからな」
「助けてもらったのはお互い様でしょう!
それから、神様である以前に貴方は男性なのでしょう!? せめてノックくらいしてちょうだい!」
「はいはい」
ふわっと欠伸をするソールをひと睨みしたものの、彼は全く気にも止めない。
私は息を吐いて椅子に座り直し、書類に目を移す。
「でも、意外だったな。お前、エリアスとかいうやつと絶対関わらねぇって態度だったのに、絆されんの早すぎねぇ?」
「人聞きの悪いことを言うのはやめて。絆されたんじゃなくて、利害の一致よ。
私は将来彼からお金と職の援助をしてもらうために、一年間彼の女避けとして契約結婚するだけ」
「……聞いてる分には面白ぇけど、人間って意味分かんねぇな。俺だったらそんな面倒くせぇこと、いくら頼まれたってごめんだわ」
「自分のために、生きると決めたからよ」
私は書類に目を通しながらそう答える。
(そう、絆されたんじゃなく、私達の関係はあくまで互いに利用するだけの関係。自分の思うように動かすための……、それだけの関係)
「それだけじゃねぇと思うけどな、俺は」
「は?」
「あいつ、お前のこと気に入ってるぞ。よかったな」
「っ、ふざけないで!!」
その日一番の大きな声が出る。
これにはさすがに、ソールも驚いたように目を瞠る。
私はハッとして書類に視線を戻しながら口を開いた。
「私は、契約以上に彼と仲良くするつもりはない。
知らないんでしょう? 彼がアリスにどれほど興味がなかったか。
私は、彼女と同じ愚かな真似をして身を滅ぼしたくないの」
「知ってるぞ」
「え?」
ソールの言葉に、私は顔を上げて彼の方を見る。
するとソールは、じっと私を見つめ返して言った。
「アリスがどう描かれているか、俺も知ってる。
だから、今日はお前に忠告しにきたんだ」
「!」
私が驚いていると、彼はその夜空色の瞳を逸らさずに言った。
「あいつに気を許すな。何があっても。
あの結末のように、苦しい思いをしたくないんだったら」
その言葉に思わず息を呑んでいる間に、彼は立ち上がり伸びをしてから言った。
「じゃあな」
「ちょっと、待っ!」
彼は机からスルッと降りると、窓枠に飛び乗り窓の外へと消える。
「……そんなこと」
彼が出て行った窓の外、雲ひとつない空を見上げ、呟いた。
「言われなくても、分かっているわよ」
パチンと頬を叩くと、踵を返して書類が置かれた机に戻る。
(でも、ソールのお陰で目が覚めたわ。
私と彼の関係は、あくまで契約者同士。一年が経ったら赤の他人に戻る)
『君の話がとても興味深いものだから』
『君となら良い関係を築けると思ったんだ』
だから、そう口にした彼の言葉にも惑わされない。
彼は私を、契約結婚のお飾り妻として利用している。
それなら私は。
(悪女らしく、私も彼を利用してやるわ)
全ては私の、私だけの新たな第二の人生を歩むために。
決して間違えないと、そう改めて誓ったのだった。