第二十七話
フェリシー様が待つ応接室の扉を開けると、彼女がハッとしたようにこちらに目を向け、立ち上がった。
それによって、先程とは違い、貸し出したドレスに身を包む彼女の姿を真正面から見て、違和感を覚える。
(夜会で喧嘩を売ってきた時に比べて、雰囲気が変わった……?)
先程は土下座をしていたから気が付かなかったのか、前回お会いした時は如何にも悪女!風だった彼女の風貌とは打って変わり慎ましく、どちらかというと普通の伯爵令嬢に見える。
そんな彼女に向かって問いかけた。
「私とお話がしたいとお聞きしましたが、内容はどんな?」
その問いかけに、彼女はチラリとララを見やっておずおずと口にした。
「……申し訳ございません、本当に不躾なお願いだとは分かっております。あんなことをしておいて信用されるはずがないと。
ですが、ほんの一瞬で良いのです。少しだけ、二人きりでお話しするお時間を頂けませんか」
そんな彼女の態度から、悪意は微塵も感じ取れない。
(そこまでして二人きりで話したいこととは何?)
その答えを聞くには、二人きりになるしかない。
私はその言葉に頷くと、ララに向かって口を開いた。
「ララ、少し下がっていてちょうだい。何かあったらすぐ呼ぶから」
「かしこまりました」
優秀な彼女は、この部屋に案内するまでに見せていた不安げな表情をおくびにも出さず、部屋を後にする。
そんな彼女を見届けてから、少し警戒した口調で問いかけた。
「さて、フェリシー様。お望み通り二人きりになりましたが、人払いをしてまでお話ししたいこととは一体何でしょう?」
「!」
今のフェリシー様はおどおどとしていて無害そうな顔をしているけれど、彼女には前科がある。それを簡単に許す気はないという意味を込めて牽制すると、彼女は静かに口を開いた。
「……私がしたことは決して許されることではないと、分かっております。ですが、先程申しました通り、あの時の私は私でないというか……、そもそも意識を魔物に乗っ取られていたようです。その影響で、気が付いたことがありました」
「気が付いたこと?」
首をかしげる私に、彼女は逡巡したような表情をすると……、たった一言、言葉を発した。
「“とわまほ”」
「……!?」
その単語に、思わず息を呑む。
それは、私の聞き間違いでなければ間違いなく、前世日本で流行った小説であり、この世界観そのものの名前だった。
まさかその名が出てくるとは思わず、驚きに固まってしまう私の反応を、彼女は肯定と捉えたようで小さく呟いた。
「……やっぱり」
その言葉を聞いた瞬間、サッと血の気が引く。
(知らないフリを……、せめて無表情を貫けば良かったわ!)
そう後悔しても後の祭り。
ドクドクと心臓が脈を打つ音が、静かな部屋の中で余計に聞こえてしまって。
息を詰めて彼女の言葉を待っていると。
「……よ」
「よ?」
そう言って震え出した彼女の言葉に思わず首を傾げてしまった途端。
「良かったああああ!!」
「!?!?」
刹那、彼女が私に抱きついてきたのだ。
「フェ、フェリシー様!?」
驚いてそんな彼女の肩に手を置き引き離そうと顔を見ると。
(な、泣いてる!?)
何が何だか分かっていない私に対し、彼女はわんわんと声を上げて口にする。
「良かったですぅううう! 転生者が他にもいてぇえええ! アリス様に喧嘩を売った挙句魔法をぶっ放してしまった時、アリス様をお守りするエリアス様のお姿を見て、あーこれって原作と違うなーと思ったんです! あれ、原作? って。
気付いた時には、気を失ってしまって。それから夢を見て、私が転生していることに気が付いたんです!」
「な、なるほど……?」
「それでもしかしたら、アリス様も転生者かもしれない、とりあえずお会いして謝ろうとしたんですけど、お屋敷にすら通してもらえなくて。そりゃそうだと思ってたら、まさかのアリス様からのお茶会への招待状が届いて。こんな展開小説ではありえない、やっぱりアリス様は転生者だ! ってそう思ったら、居ても立っても居られなくて……、どうにか謝って話がしたいと思ったら、余計に騒ぎになってしまい、結果的にアリス様に飛んだご迷惑をおかけいたしました。本当に申し訳ございません!!!」
「……なるほど、分かりました」
その言葉に、泣き叫んでいて彼女が顔を上げる。
それを見た私は、にこりと笑みを浮かべると口を開いた。
「フェリシー様。とりあえずもう一度、一から分かるように説明して頂けるかしら?」
そんな私の言葉に、彼女は幾分冷静さを取り戻したらしい。
少し顔を赤らめて、「はい……」と小さく頷く。
そして立ち話もなんだからと、とりあえず椅子に座らせて水を淹れると、彼女はその水を一口飲んでから少しずつ説明を始めた。
「私の前世は、日本で平凡な高校生でした」
「……ちょっと待って、高校生!?」
「はい」
一言目から引っかかってしまう。
(だってフェリシー様ってエリアスより2つ下だから25歳よね? それでも中身は高校生ってこと?)
驚く私に、彼女は苦笑交じりに言う。
「前世では高3で18歳だったので、フェリシーの歳を考えるとおかしいですよね。そこからして私も信じられなかったんですけど……、とにかく、前世ではごく平凡な高校生でした」
その後の彼女の話をまとめると、彼女はいわゆる“オタク”と呼ばれる部類の高校生で、“とわまほ”が大好きな女子高生だったらしい。
そんな彼女の転生のきっかけは、私と同様に交通事故で、気が付けばモブであるフェリシーになっていたという。
「しかも転生したと気付いた時には、既にアリス様をいじめた後で……」
「そ、それは、色々と詰んでるわね……」
思わず同情してしまう私に、彼女は小さく頷き口を開いた。
「何とかして同じ転生者かもしれないアリス様とお話がしたいと、その前にまずは謝らなければと思ったのですが、エリアス様がそれを許してはくれなくて。その断りの返事を見て、やっぱりアリス様は転生者なのだと思って」
「……そうね、小説内ではエリアスがアリスを庇うなんてことは信じられないものね」
「はい」
彼女は頷き、ギュッと拳を握った。
「右を見ても左を見ても、分からないことだらけで。
確かに、フェリシーとしての記憶はあるんです。それでも、いきなり異世界に……、確かに大好きな小説の世界ではあるけれど、まさか転生するなんて思ってもみなくて。前世で生きていた自分の記憶の方がどうしても強くて、お母さんやお父さん、友人は皆元気かなぁとふと考えては、あぁ私死んじゃったんだな、なんて……」
「……悲しいのね」
「!」
彼女の橙色の瞳が大きく見開かれる。
刹那、彼女の瞳から止まっていた涙がまた流れ出す。
その涙を一生懸命拭いながら、彼女は口にした。
「っ、はい、悲しいです。皆に、お別れも、出来なかったから……っ」
「……」
そう言って涙を溢す彼女を見て、私は思う。
(人を簡単に信用してはいけないと思っているけれど、今目の前にいる彼女は、確かに幸せに育ってきた普通の高校生のように見える。……そんな幸せを一瞬にして失い、たった一人でこちらに転生してしまったことに気が付いた時は、一体どう思ったのだろう)
脳裏に、例の夜会の時にエリアスが止めに入った時の、呆然とした様子の彼女の姿が思い起こされる。
その時に彼女は、自分が転生してしまったことに気が付いたのだろう。
そう思うと、咄嗟に身体が動いていた。
「っ、え……」
彼女の隣の席に移動すると、そんな彼女の頭をそっと撫でる。
そして、柔らかく微笑み口にした。
「それは本当に大変だったわね。まずは私の元まで勇気を出して来てくれてありがとう」
「!」
きっと、この茶会に来ることを彼女は迷ったに違いない。
エリアス、そして私の手前、自ら喧嘩を売ったという後ろめたさもあるだろうし、私が本当に転生者かどうかも分からないのだから。
それに、心はまだ高校生の時で止まっているのだから、なおさら怖かっただろう。
そんな私が、今彼女にかけるべき言葉は。
「これからは、私も味方になるわ。だから、元気を出して。……確かに前世の未練は消えてはくれないかもしれないけれど、貴女がこうしてまた新たに人生を歩んで、前を向いて生きていることが出来ていればきっと、前世の貴女のご両親も安心するに違いないわ」
「っ、アリス様……」
「大丈夫。貴女は一人ではない。私もいるわ」
「……お」
「お?」
「お姉様ぁあああっ!!」
「!?」
今度はそう呼ばれ、思いきりよく抱きつかれる。
驚いて身をよじろうと思ったけれど、縋り付くようにまた泣いてしまう彼女を見たら、そんなことは出来なくて。
私は彼女の悲しみが少しでも和らぐようそう願って、そっと彼女の頭を再度撫でたのだった。
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