第五話
「君はどうして、そんなに結婚をしたくないんだ?」
「え?」
「独身の女性の立場はそう高くないと知っているだろう?」
彼の言う通りである。
一夫多妻制も認められているこの国で、独身を選ぶ人は少ない。
特に貴族は“魔術”を受け継ぐということもあり、血を絶やさぬよう結婚をするのが暗黙の了解となっている。
けれど。
「たとえどんな選択をしたとしても、自由ではないですか?」
そう口にした私に対し、彼が驚いたように目を見開く。
私は言葉を続けた。
「誰かに命じられたから結婚、というのは幸せではない気がします」
もちろん、政略結婚もあるのだから、そんな我儘が通用しないことは分かっている。でも。
「それで上手くいく保証がないでしょう? 私にはどうも、結婚という言葉に縛られるのははっきり言って面倒だと思うのです」
「め、面倒??」
「自由に結婚をするかどうか決めて良いのなら、迷うことなく独身を選びます。
貴方も、殿下にご命令されなければそうしていたのでしょう?」
「……そうだな」
彼は短く息を吐くと、「では」と口を開いた。
「君は独身を貫くとしたら、どうやって生きていくつもりなんだ?」
「……公爵様は、先程から質問ばかりですね」
「っ、すまない。君の話が興味深いものだから」
「!」
そんなことを、まさか彼の口から聞くことになるとは思わず、反応に一拍遅れてから返した。
「……笑わないと、誓って頂けますか?」
「え?」
「貴族令嬢としては突拍子もない話だと思いますので」
そう保険をかけ尋ねれば、彼は黙って頷いた。
私は息を吸うと、意を決して口にする。
「街に出て仕事がしたいのです」
「街で、仕事?」
「えぇ」
「それは、またどうして、あ、いや、これ以上尋ねるのも質問ばかりになってしまうな……」
そう言って困ったように焦り出す彼を見て、
「ふふっ」
「!?」
自然と笑みを溢してしまえば、彼は驚いたようにこちらを凝視する。
(失礼だったかしら)
私は軽く咳払いしてから言った。
「申し訳ありません。公爵様がお気を遣って下さるとは思わず、つい。
どうして仕事がしたいかですよね。それは、私には夢があるからです」
「夢?」
「はい」
私は彼を見つめて口にする。
「花に関わる職に就きたいのです」
「花?」
「花に囲まれて仕事をすることが、昔からの夢だったのです」
前世、私は花が大好きだった。
ガーデニングは時間に余裕がなくて断念していたけれど、花畑や庭園に行くことが、憩いの時間でもあった。
その夢を追って転職しようとした矢先に転生してしまった。だから。
「長年の夢を叶えたいんです」
前世からの“花にまつわる職に就きたい”という夢を叶えるために。
精一杯この世界で生きていくと、そう決めたの。
「……ふふっ」
「!?」
耳に届いた小さな笑い声に、向かいに座っていた彼を睨みつければ、彼は「すまない」と謝罪してから言った。
「君は本当に、花が好きなんだと思って。
先程俺と話していた時の仏頂面が、まるで嘘のように瞳を輝かせて語るものだから」
「!」
「話してくれてありがとう、フリュデン嬢」
「……っ」
なぜだかそう言った彼の顔を直視することが出来ず俯けば、彼は「そうだな」と指先を組んで言った。
「君のその思いの強さは伝わった。
だが、今のままでは現実的に考えて厳しいのではないかと思う。
そこで、提案なのだが」
彼は言葉を切ると、私の瞳を覗き込むようにして言った。
「俺と一年間、契約結婚をしてお飾りの妻になってくれないか」
「……はい?」
理解が追いつかず、首を傾げてから状況をようやく飲み込み、叫ぶようにして返した。
「どうしてそうなるの!?」
(それを受け入れてしまったら、小説と同じ展開になってしまうではないの!)
怒りのあまりワナワナと震える私に気が付いたのだろう、彼は慌てたように口を開いた。
「ただでとは言わない。一年君を公爵家に縛りつけてしまうんだ、その分の慰謝料を出そう」
「い、慰謝料?」
「あぁ。それと、その後君が興す事業の斡旋もする」
「!?」
「一年後に離縁するとなると、君の経歴に傷をつけてしまうことになるが、白い結婚であるということも約束しよう」
(……それって、かなり美味しい話では)
一年間お飾りの妻を演じるだけで、私の夢を叶える手助けをしてくれるなんて。
でも、それで良いのかと思う自分もいる。
あの結末と同じにはならないだろうか、と。
迷っている私に、彼は突然頭を下げた。
「!? な、何をなさっているのですか! 顔をお上げください!」
「一年だけ、妻になってくれないか。本当に、一年だけで良いんだ」
「どうしてそこまでして私に固執するのですか!? やはり、私には魔力がないから」
「違う」
「!」
私の言葉を遮り、彼はきっぱりと告げた。
そして顔を上げ、私から目を逸らすことなく言葉を発する。
「君の話を聞いて、君となら良い関係を築けると思ったんだ。それが男女、とかではなく、互いに支え合える仲間として」
その言葉に私は驚き目を見開く。
(言っていることは勝手だけど)
「……公爵様は、それでよろしいのですか?」
「え?」
「たったの一年で離縁、だなんて」
私の言葉に、彼もまた驚いたように目を見開いてから言った。
「……君は優しいな」
「!?」
「俺のことは心配いらない。跡継ぎにはまだ幼いが従弟もいるし、一瞬でも結婚すれば命令を聞いたことになるだろう。後は君の気持ち次第だ」
そんな彼の言動に、一度落ち着いて自分の心に尋ねようと目を閉じれば、脳裏であの結末が過ぎる。
(同じ選択をして、あの悲劇は起こらない?)
そう自問自答してから決意する。
(そうよ、決めたじゃない。悪役令嬢らしく、自分の幸せは自身の手で掴み取ってみせるって)
そう、これは愛のいらない契約結婚。
アリスのように、愛情を、期待を持たなければ、恐れることなどないんだわ。
(だって私は、嫌われ者の悪女なのだから)
次に目を見開いた時には、覚悟は決まっていた。
私はスッと右手を差し出し、彼の薄い青の瞳を見据え、微笑みを湛えて言った。
「その契約結婚、受け入れさせて頂きますわ」
彼はそれに対し、僅かに目を見開いた後、差し出した手に己の手を重ねて言った。
「宜しく頼む、フリュデン……、いや、アリス嬢」
その声音も、重ねられた手も。どちらも温かいと感じるのだった。
「公爵様」
別れ際、馬車に乗り込もうとする彼を呼び止め、こちらを振り返った彼の耳に顔を寄せて言った。
「先程の“夢”のお話、大丈夫だとは思いますがどなたにもお話ししないで下さいませ」
「なぜだ?」
「花が好きなことさえも、家族にすら話していないのです。
……貴方にお話ししたのが初めてなので」
「!? そ、そうなのか?」
なぜか彼の声が上擦ったのを疑問に感じながらも頷くと、彼は「そうか」と呟き頷いた。
「分かった。俺と君との秘密、ということだな」
「!」
秘密。
その単語に目を瞬かせれば、彼は「では、また」とこちらに向かって手を挙げ、今度こそ馬車に乗り込む。
そして、静かに発車した馬車を見届けていると。
「アリス様」
不意に、そう名を呼んできたお父様の従者の顔を見て、一気に現実に引き戻されたのだった。
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