第二十三話
「おはよう、アリス」
魔法の特訓をしたその日の朝食の席で、エリアスが爽やかに笑みを浮かべていた。
深夜遅くに寝て疲れているはずなのに、その疲れを微塵も感じさせない笑みに、ララに引いてもらった椅子に座りながら言葉を返した。
「おはよう、エリアス。今日も元気そうね」
秘密裏に魔法の特訓をしているため、私達が深夜遅くまで起きているということを侍従達は知らない。
そのため、言葉の裏に“よく元気ね”という意味を含ませれば、彼は笑みを浮かべたまま言った。
「おかげさまで。その点君は、眠れていないようだが?」
「!」
まさか指摘されるとは思わず、驚いて目元に手をやれば、彼は口にした。
「目の下に隈が出来ている。茶会の準備もそこそこに、今日はゆっくり休むと良い」
「……お茶会の準備に手を抜くつもりはないわ。というより、どうして隈があると分かったの?」
ララに頼んで、化粧の下に完璧に隠してもらったのを鏡で確認したのに、と信じられない思いで尋ねれば、彼はまた、深夜にも見た笑みを湛えて言った。
「言っただろう? 君のことは何でも分かるようになりたいと」
「!?」
その言葉に、私は固まってしまう。
(……そうよ、眠れなかったのはエリアスのせいよ)
エリアスの一つ一つの言動が、なぜだか脳裏に焼き付いて消えてはくれなくて。
今日だって。
『俺も、君の隣に胸を張って立てる男になりたい。
だからどうか、そんな俺を隣で、一番側で見守っていてくれないだろうか』
「……っ」
「アリス?」
こんなに心が惑わされることは、今までになかった。
ここへ来て、彼と向かい合って。
それからの私は、明らかにおかしい。
「……自分が、自分でないみたい」
「え?」
「っ、何でもないわ!」
いつものことなのに、エリアスが向かいに座っているだけで落ち着かない気持ちになる。
もしかしたら風邪を引いてしまったのかもしれない、やはりお言葉に甘えて寝るために早くここから退散しよう、と朝食を食べすすめている私に、彼は言った。
「一つだけ、疲れているところ悪いが、確認してもらいたい物がある」
「確認してもらいたい物?」
「あぁ。君が依頼していた皿が出来上がった」
「! お皿が!」
その言葉に思わず手を叩けば、彼は声を上げて笑いながら言う。
「君は本当に、“いけばな”のことになると途端に目が輝き出して面白いな」
「……だから、面白いは褒め言葉ではないと言っているでしょう?」
私がそう怒ると、彼は「だって」と微笑みに代えて口にした。
「“可愛い”と言ったら、それはそれで怒るだろう?」
「っ!」
不意打ちだった。彼の言う通り、“可愛い”と言われたら、それはそれで馬鹿にされていると思い、いつもなら怒るところなのに。
「……ア、アリス? 顔が」
「それ以上言ったら一生口聞かない」
そう口にしてからハッとした。
(いや、一生口聞かないって何!?)
自分で口走った言葉に内心頭を抱えつつ、そっと向かいにいる彼を見やれば。
(え)
彼はショックを受けていた。それはもう、絵に描いたように。
(そ、そんなにこの言葉が効くの?)
エリアスってやっぱりよく分からない、と思いつつ、一応可哀想なほどその顔色も悪いため、恐る恐る口にした。
「……あの、冗談なのだけど」
私のせいなのかな? と思いつつ、そう口を開くと。
「……そうか、冗談」
「!」
そうボソッと呟いた彼の頬が、なぜか元に戻って……、いや上気していく。
「??」
いや、もう本当に分からない。
エリアスのことも、そして、そんな彼の一挙一動に戸惑い揺れる、私の心も。
「〜〜〜あぁ、もう!」
「ア、アリス?」
私は何とも言えない気持ちを断ち切るように声を出すと、エリアスに向かって勢いのまま口にした。
「とにかく! 今はお茶会のことに集中したいの! だからこれ以上惑わせないで!」
「……!」
そう言ってもう一度食事に手をつけ始めた私は、気が付いていなかった。
「……君を惑わせているのは、ひょっとしなくても俺のせいか?」
そう口にして、“氷公爵”という異名はどこへやら、春の訪れのように心からの笑みを浮かべ、私を見つめていたことを。
「凄いわね……!」
目の前に置かれた、色々な形や色をした皿を前に、私は感嘆の声を上げると、ララが口を開いた。
「いかがですか?」
「どれも思い描いていた通りよ! 欲張って沢山依頼してしまったから心配していたけれど、本当に職人には頭が上がらないわ」
注文した皿の数々というのも、どれも全て“いけばな”用に作成していただいたもの。
剣山はリオネルさんにお願いして、皿の方はエリアスが紹介してくれた職人にお願いしたのだ。
「これらを作成して下さった職人は、魔法使いではなく一般の方なのでしょう?」
「はい、そうです。なんでも、ロディン公爵家の皿は殆ど全てその方に作成をお願いしているのだとか」
「そうなのね、それは納得だわ」
そう言って一つ一つ手に取って順に見ていると、それを見てララが不思議そうに口にした。
「通常にはないこの皿の形が、“いけばな”に使われるのですね」
「えぇ。特殊な形をしているわよね」
「はい。見たことがない物ばかりなので、私共はアリス様がこれらをどう使われるのかで話題が持ちきりです」
「ふふ、そうよね。楽しみにしていて」
私の言葉に、「はい!」とララが返事をしてくれる。
そんな彼女に頷きを返してから、「さてと」と腰に手を当てて言った。
「これで“いけばな”の方の残りは、剣山の仕上がりを待つことと、花材を決めることね。
花材はクレールと相談することにして、後はもう一つくらい何か特別なことが出来れば良いのだけれど……」
王家主催の夜会を参考に、何かもう一捻り工夫が出来ないかを考えた矢先、私はふと思いつく。
「あ、あれなら……」
その日の夜。
「茶会に“癒しの力”を使いたい!?」
「難しいかしら……?」
驚くエリアスに向かって恐る恐る尋ねると、彼は眉間に皺を寄せて言った。
「また急にどうしてそんなことを? そもそも、“癒しの力”は秘匿にするはずではなかったのか」
「それもそうなのだけど……、でも、昨日のエリアスを見ていて思ったの。きっと皆様日頃からお疲れでしょうから、せっかくいけばなという非日常的な空間を演出するのだし、もっと一工夫できればと思ったの」
「だからって、その力は」
「も、もちろん策は練ってあるわ!」
私がそれを説明すると、彼は難しい顔をして言った。
「いや、確かにそれだと不自然ではないが……、どうしてそこまでその力にこだわるんだ」
「だって、何の変哲もないただのお茶会では、“氷公爵”の名も、“幽霊屋敷”の名だって払拭することも出来ないと思わない?」
「……」
「何?」
沈黙したエリアスに対し、首を傾げれば、彼もまた首を傾げて尋ねる。
「以前にも聞いたと思うが、君はどうしてそこまでしてこの屋敷のことや俺の不名誉な二つ名を払拭しようとしてくれるんだ?」
確かにその質問は以前、エリアスから尋ねられたことだった。
あの時は曖昧だったけれど、今ならその答えは分かる。それは。
「私が悔しいからだわ」
「悔しい? 君が? なぜ?」
彼の頭の中でいくつも飛び交っているであろう疑問符に対し、私は力説する。
「悔しいものは悔しいわ。だって、その二つ名はどちらも、真実であったけど今は違うし、そもそも誤解から生まれたものでしょう?」
「え……」
驚きに目を見開いた彼の方は見ず、私は説明を続ける。
「確かに“氷公爵”の異名を持つ貴方は、ヴィオラ様以外の女性や同性にでさえ冷たくあしらうような、決して社交的とは程遠い方だったし」
「うっ」
「“幽霊屋敷”だって、真っ黒カーテンからの室内ガーゴイルで悪夢を見そうなおどろおどろしい感じだったけれど」
「……痛い」
「でも、今は違う」
「!」
その言葉に息を呑むエリアスに対し、笑みを浮かべて言葉を続けた。
「貴方は“氷公爵”と呼ばれるほど冷たい方ではなく、むしろ心の温かい方だし」
「!?」
「“幽霊屋敷”は今では様変わりした上、侍従達だってその名を払拭しようと努力している。それも貴方のためなのよ」
「……っ」
エリアスが息を呑む。更にもう一押しと言葉を続けた。
「そんな彼らを応援したいし、私だって貴方のこともお屋敷のことも誤解されたままなのは悔しいと思うわ」
「……どうして」
ポツリと呟かれた言葉に、私は呆れた目を向けて言う。
「貴方、本当に質問が多いわね」
「っ、すまない。本当に、不思議で……」
視線を彷徨わせる彼に対し、クスッと笑うと口にした。
「まあ、その気持ちは分かるわ」
「え?」
「私も、よくこんなに面倒なことを自分でやっているなと思う時はあるから。でも、面倒なことと言っても、苦に感じないのよね。
多分それは、ここで生活をしていて居心地が良いと思っているからだわ」
「!」
(エリアスはもちろん、身の回りのお世話をしてくれるララに庭師のクレール、エリアスの側近であるカミーユにその他の侍従達)
「私が行うことの大半は、私なりの恩返しだと思って受け取ってほしい」
そう言って笑うと、彼は目を見開く。その返答を待たずに、私は付け足した。
「あ、でもお節介だとか、それはやめてくれだとか何かあったら言ってね? 私、結構独断と偏見で物事を行うタイプだから」
その言葉に、彼はより一層目を見開いた……と思ったら、不意に私の手を取った。
「!」
そんな私の両手を彼は大きな手で包み込むように握ると、優しく笑って言った。
「君の言う“お節介”に俺達は救われているし、感謝しているんだ。だから、君が思うように、俺も動くことにする」
「エ、エリアス?」
「ありがとう」
そう言った彼は、ふわりと極上の笑みを浮かべて。
あまりの色気に今度は私が当てられてしまって、「どういたしまして」と辛うじて返したその言葉は、彼に届いたか、届いていないか。
そんな私達と、そして、妖精達と共に過ごす夜は、穏やかで温かく、またあっと言う間に過ぎていくのだった。




