第八話
契約結婚から一ヶ月と三週間程が経過する今日。
「う〜ん……」
「アリス様?」
今日もクレールに頂いて花瓶に生けた花……、赤い枝のサンゴミズキ三本とピンクの薔薇二本を前に一人唸っていると、休憩にと紅茶を淹れてくれていたララがポットを片手に首を傾げた。
「いかがなさいましたか?」
「いえ、もっと道具があれば、色々な生け方が出来るのにと思って」
「色々な生け方とはつまり、花瓶に生けるだけがいけばなではないということですか?」
「えぇ」
私は頷くと、ララに向かって説明した。
「いけばなには基本の生け方の種類も沢山あって、時と場合などで用いる道具を変えるの。
たとえば同じ花瓶でも、大きさが違うことはもちろん、模様が一つ変わるだけで見栄えが変わる。
それと同様に、花器にも種類があって、花瓶ではなく色々な形をしたお皿に剣山と言う物を用いて、それに花を立てて生けるの」
「お皿? 剣山??」
「口で説明すると分かりにくいわよね」
私はそう口にすると、近くにあった紙とペンを使い、彼女に図解して説明する。
「お皿の形は、一番分かりやすいものだと菱形かしら。他にももっと沢山種類があるのだけど、菱形の場合はその中心に扇形の剣山を置いて……」
私が一番最初に習った基本の生け方をララに図解しながら説明すると、彼女は熱心に頷きながら口にした。
「なるほど、いけばなというものがどれほど奥が深いかは伝わってきました」
「……それ、分かっていないということよね?」
「実際に生けていただいたところを見ないと想像が出来なくて」
「「「なにやってるのー?」」」
ララと話していた私の元に、ポンポンと妖精達が光の中から姿を現す。
もはや見慣れた光景と化しているその妖精達を前に、ララは説明した。
「アリス様が普段花瓶に生けられている“いけばな”には、他にも種類があるというお話をされていたんです」
「ほかにもあるの!?」
「みたい!」
「みせたーい!」
そう口々に騒ぎ出し、最後に聞こえたその言葉にララが首を傾げる。
「見せたい?」
「あ、あぁ、クレールにね! ほら、妖精さん達が祝福しているクレールにも見せたいのだって」
「そ、そうなんですね?」
ララの言葉に、私は「そうよ〜」と作り笑いを浮かべるが、内心焦っていた。
(危ない危ない、危うく妖精より上の存在がいることを知られるところだった……!)
初めていけばなを生けた日の翌日、いけばなが無くなり騒動になった。
幸いすぐに犯人が名乗り出たのだけど。
(その犯人というのが妖精で、さらに理由は神であるソールのことをよく知る人物に見せるためだったんだもの!)
きっと、ソールに聞けばその人物の答えが分かるだろうけれど……。
(聞いてしまったら更に面倒な予感になる気しかしない)
だから、何が何でも隠し通さなければならないのである。
とはいえクレールも、エリアスは特に、私がいくつも隠し事をしていることに気が付いているようだった。
(エリアスは話してくれるまで待つと言っていた。だけど、彼に話す日が来るとは思えない)
たった一年の契約結婚、その上私には小説の記憶がある。
今のエリアスは小説中と比べて完全に別人だけれど、いつまた小説と同様に冷たい言葉や表情を向けられるかと、心の中で恐れる自分がいる。
(アリスと同じ結末だけは迎えたくない)
だから私は、夢のため……いけばなをすることに生きると決めた。
「……よし」
「アリス様?」
私は決意を新たに固めると、笑みを浮かべて言った。
「こうなったら直談判よ」
「いけばなで使う道具を増やしたい?」
「えぇ」
夕方。今日は彼も夕食を共にすることになっていたため、直接お願いしてみようといけばなの話を持ちかけると、彼は腕を組み言った。
「それはつまり、花瓶を増やしたいということか?」
「いえ、いけばなには花瓶だけでなく、様々な形のお皿や剣山……お花を支えるのに使うのだけれど、それらに生けることもまたいけばなと言うの」
「皿に花を生けるのか?」
「えぇ」
私が頷くと、彼は首を傾げて言った。
「本当に君は、よく物を知っているな。ちなみにそのいけばなというのは、どこで知ったんだ?」
「それは……、遠い異国の文化にあるのを本で知ったのよ」
嘘は言っていないけれど、この国でいけばな関連の書物が見つかるかは分からない。
そう思った私が一瞬言葉に詰まったのを見過ごさなかった彼は、ため息交じりに口にした。
「なるほど、それも秘密ということか」
「……ごめんなさい」
「いや、良い。逆に皆が知らないことをやっているというのもまた新鮮だからな。
出来ることがあれば応援するとしよう」
「っ、本当!?」
「あぁ」
私はやった、と笑みを浮かべる。
(これでもっと沢山花を生けることが出来るわ!)
「皿の方は馴染みの職人がいるから任せるとして、剣山がな……」
「難しいかしら?」
「あぁ。少なくともこの国にはない物だろう? ちなみにどんな原材料で作られているか分かるか?」
「……金属製? でした、確か」
「曖昧なのは仕方がない。そうだな」
彼は少し考えてから、あ、と思い当たったようで口にした。
「俺の後輩に発明の祝福を持つ、何とも珍妙なやつがいたような。実際に作っているところは見たことがないが、少々変わっているという認識はしている」
「か、変わっている?」
「あぁ。先輩の俺にぐいぐいと話しかけ、空を飛ぶにはどんな原理が必要だとか聞いてきたな。原理ではなく魔法なんだが。そんなことは置いておいて、他に聞いたのは、気になった物は見よう見まねで作ってしまうとか」
「……あ」
それを聞いて私は思い出した。
(そういえば小説中で、チラッとそんな子がいたような)
確か、魔物を討伐する際に魔法を充填できる魔道具が欲しいとエドワールが依頼し、その物が完成した時に届けにきた、年下で好奇心旺盛な印象を受けた子がいたような。
(小説で言うとモブキャラ? 名前は出てきていなかった気がする)
「アリス?」
あ、と口に出してから固まってしまっていた私を見たエリアスが、首を傾げている。
私は慌てて口を開いた。
「あ、いえ、貴方って顔が広いんだなあって」
「え?」
「ご友人が少ないのかなと思っていたけれど、意外とお知り合いが多くてちょっと安心したわ」
「……ちょくちょく失礼なことを言っていないか?」
「あら、気のせいよ」
私が笑ってしまうと、彼はコホンと軽く咳払いしてから言った。
「第一、なぜ君が俺に知り合いや友人がいたくらいで安心する?」
「夜会の時にも言ったけれど、味方は多いに越したことはないわ。ある程度の人付き合いは必要よ。
ファビアン様といいミーナ様といい、貴方のことを信頼してくれているのが分かる方々もいらっしゃるのだから」
「……君も知っての通り、俺は自ら話しかけるタイプではなかったからな。人付き合いは苦手だ」
「あら、決めつけるのは良くないんじゃない?」
私の言葉に、視線を落としていたエリアスが顔を上げる。
私はそんな彼に向かって笑みを浮かべると口を開いた。
「ミーナ様から伺ったけれど、ファビアン様が何度も貴方に話しかけに行ったのは、貴方にそれだけの魅力があるという証拠。公爵家という肩書き目当てに来る方々の選別はその目で見極めるとしても、ファビアン様のような方は、公爵家という見方で貴方とお友達になったという感じはしないじゃない?」
「……それは、確かに」
「だから、人付き合いが苦手だと思う必要はない。貴方自身が少しだけ心を開いて目の前の人のことを見てあげればきっと、もっと沢山ご友人が出来るはずよ」
「! ……心を、開く」
「えぇ」
私がにこりと笑い頷けば、彼は顎に手を当て言った。
「確かに、君の言う通り俺は人に心を開くということがあまりなかったかもしれない」
「そんな感じはするわ」
「……それなら」
彼はこちらに目を向け、何か吹っ切れたように柔らかく笑って言った。
「これからは、目の前にいる人に、心を開いて向き合ってみることにしよう」
「……!」
そう彼は口にすると、席を立ち上がって言う。
「とりあえず、発明家だと言っていた彼に連絡をしてみる。その返事が来るまで待っていてくれ」
「は、はい、お願いします」
「はは、なぜそこは敬語なんだ」
彼はそう言って小さく笑ってから、部屋を後にする。
(……何だか、先ほどの言葉は)
「アリス様、お顔が赤いですよ?」
「っ、だ、大丈夫よ!」
ララに指摘され、私は慌てて視線を手元に移す。
『目の前にいる人に、心を開いて向き合ってみることにしよう』
そう言った彼の言葉は、まるで私に向けられているようなそんな気がしたのは私の思い過ごしだと、料理を食べ進めながら自分に言い聞かせたのだった。