第五話
「……俺は君のことになると、分からないことばかりだ」
彼の薄い唇から紡がれた言葉に、え、と驚き彼を見上げる。
そんな彼は、口元を押さえて言った。
「君は、俺のことを褒めてくれるが、君こそ自分がどれほどの魅力の持ち主か分かっていないだろう?」
「え……?」
魅力? 私に?
その言葉に呆けている私に、彼は口にする。
「色々と、察してほしい」
「何をです?」
「そういうところだ」
「だから何をです!?」
察しろと言われても分からないから聞いているのよ! と怒る私に、彼もまた苛立ったように、というよりはやけくそになったように言った。
「だから! 君は可愛すぎるってことをだ!!」
「!?」
その言葉に驚き言葉を失ってしまう私に、彼はどこか赤い顔をしながら言った。
「普段から可愛いのに、今日はまた一段と可愛らしさが増しているのに本人は無自覚。
その上甘い香りをさせているものだから、変な虫に付き纏われたらどうするんだ」
「変な虫」
「エドワールもエドワールだ。俺のことが心配だかなんだか知らないが、俺の結婚相手をジロジロと見るとは。不愉快極まりない。お前はヴィオラだけを見ていろ」
「な、何を仰っているのだかさっぱり分かりませんが……、とりあえず酔っていらっしゃいます?」
「酔っていない」
「絶対嘘ですよね?」
本当にどうしちゃったんだこの人、と白い目を向けていると、彼はやはりほんのり頬を赤く染めて呟いた。
「……本当に酔っているとしたら、君のせいだ」
「え……」
彼はそう言うと、私の方に手を伸ばし……、その手が私の手に触れる寸前で、ためらうように下ろされる。
そんな自分の手を見つめながら彼は言った。
「君が無自覚に人を寄せつけるから、俺は気が気でないんだ。
……君の魅力を知っているのは、俺だけで良い。君の魅力に誰も気付いてほしくない」
「あ、あの」
「独り占めしたい」
そう消えるように口にされた言葉は、涼やかな風に乗せられていって。
戸惑い、目を見開くことしか出来ない私に、彼は続ける。
「そう思ってしまうのはダメだと分かっている。今日だって、気のせいだと誤魔化そうとして酒を飲んでみたりしたが、無理だった。
この気持ちをもう、止められそうにない」
「……!?」
普段の彼からは考えられないほど、熱の籠った瞳と言葉を目の当たりにして、固まることしか出来ない。
そんな私に更に追い討ちをかけるように、彼は私に一歩近付いた。
「どうすれば良いか教えてくれないか。アリス」
そう名を呼ばれ、ハッとした私は、何とか絞り出すようにして言葉を発する。
「そ、そんなことを言われても、私にも分かりません。
貴方が何を考えているのか、私にも分からない」
首を横に振るばかりの私の心臓が、ドクドクと大きく脈打つ。
(彼の言っている意味は分からない。けれど、その先の答えを知ってはいけない気がする)
何と返事をするのが正解か分からず、ただ後ずさって反射的にその場から逃げようとした私に対し、彼は慌てたように私の手を掴み、口を開いた。
「ごめん。意地悪な質問をした。
君を困らせるだけだと分かっていたのに……、ごめん」
「!」
その瞳は、まるで悪いことをした幼子が謝るような切実な色を宿していて。
それを見て、知らない人のようだと思っていた彼に対する不安が消えていく。
エリアス様もまた戸惑っているようで、伏せ目がちに言った。
「君のことを思ったり、君を前にしたりすると変なんだ。
自分でも戸惑ってしまうような感情が、胸に宿る。
……こんな気持ちになるのは、生まれて初めてなんだ」
それが本心であることは、胸の辺りを押さえる彼の表情から痛いほど分かって。
(エリアス様自身もその気持ちが何なのか、答えを出しかねているんだ)
そんな彼から目が離せない私と彼は視線を合わせると、懇願するように言った。
「だから、確かめさせてほしい」
「ど、どうやって」
辛うじて口にした言葉に、彼は少しの間の後言った。
「今日エドワールと話してみて、俺は君のことを何も知らないのだということに気が付いた。君は俺のことをよく見てくれているのか、何でも知っていて見透かされているような、そんな気にさえなるというのに」
(それは小説があったから……)
そんな私をよそに、彼は必死な様子で言葉を続ける。
「俺は、君のことを知った気でいた。
だが、そうでないのだと気が付いたんだ。
俺が見ていた君は、あくまでほんの一部に過ぎないのだと。
……俺はもっと、君のことが知りたい」
「!」
そう告げると、彼は握っていた私の手を両手で包み込むように握ると、その先の言葉を紡ぐ。
「そして、君に対するこの気持ちが何なのか、知りたいんだ。駄目だろうか」
そう尋ねられては、私だって困ってしまう。
けれど彼の瞳に宿っているのは真剣な表情で。
私は、今の正直な自分の気持ちを吐露するように口を開く。
「……正直、面倒くさいです」
「うっ」
「私といたところで、その気持ちの答えが分かるとは思えませんし、私にも貴方の気持ちを分かってあげられていないので」
「……」
その言葉に、エリアス様は分かりやすく項垂れる。
私は息を吐くと口にした。
「けれど、契約結婚をする上でお互いのことをよく知るというのは大事なことであると、私も今日の夜会を通して思いました」
「!」
彼の瞳がまたもや分かりやすく輝く。
それを見て慌てて言った。
「勘違いなさらないでくださいね? あくまで私は、契約上で不都合が生じないように、という意味で言っているのです。分かりました?」
「! ははっ」
「……何がおかしいんですの」
突然今度は小さく吹き出してから笑い出す彼に向かって顔を顰めると、彼は笑って言った。
「いや、例えそれが契約上であったとしても、俺のことを知ろうとしてくれているのが素直に嬉しくて」
「んなっ……!」
「はは、可愛い」
「!?」
もう本当何を言っているんだこの酔っ払いは、ともう呆れを通り越して白目を剥く私に対し、彼はそれだけに止まらず口にした。
「ということで、一つ頼みがあるんだが」
「まだあるんですの?」
「そう言わないでくれ。簡単なことだから」
そう言うと、彼は上機嫌に笑って口にした。
「俺に対しても敬語を取ってほしい」
「それのどこが簡単だとお思いで!?」
「簡単じゃないのか?」
「当たり前でしょう!」
「クレールやカミーユにはタメ口じゃないか」
「使用人と公爵様とを一緒にしないで頂けます!?」
拗ねたように口にする彼は、一体どこに嫉妬しているのだろう。
もはや氷公爵なんていう名前はどこへ!? 状態の彼は氷色の瞳の中に私を映し、切実に訴えるように念押しをする。
「駄目か?」
「っ!?」
この人、これ素なの!? 本当に小説中の冷酷無慈悲のエリアスとか行方不明なんだけど!
と、その手を振り切ることも出来ず、顔を逸らして口にした。
「……ずるいですわ」
「っ、君の方こそ、それは反則だ」
どうしてか分からないけれど、彼はいちいち私の言動で表情を変える。
それが何だか面白くて、私はつい笑ってしまった。
「ふふふ」
「なぜ笑うんだ」
「だって、おかしくて」
小説中では、あんなに無表情で無口だった彼に、まさかこんな一面があるとは思わなくて。
(しかもそれを見ているのは、私だけなんて)
堪えきれなくなった私は、今思っていることを口にする。
「エリアスって、可愛いのね」
「……っ!?!?」
「私のことを言えないくらい、顔が赤くなっているわよ」
ふふ、と笑うと、彼は口元を押さえて狼狽え、呻くように言った。
「いや、待て、無理。やはり敬語にしておいてくれ。心臓がもたない」
「男に二言はないわよね?」
にこりと笑ってそう口にすると、彼はうぐっと喉を詰まらせた。
そんな彼を見てクスッと笑うと、私は彼の手を引いて言った。
「もうすぐ夜会もお開きの時間ね。帰りましょう? エリアス」
「っ!?」
驚く彼の手を取り、私はそう言って踵を返して歩き出す。
そんな私に連れられながら、彼は呟いた。
「とんだ小悪魔だ……」
そんな彼の心からの呟きが、私の耳に届くことはない。
こうして、私にとって小説のイベントである初めての夜会は、今までとはほんの少し違う空気が流れ始めるのを感じながら、幕を閉じたのだった。