第三話
(ところで)
私は一体、どの巻に転生してしまったんだろうか。
見たところ、歳は前世の私とさほど変わらなく見えるから、少なくとも学園編のその後……、巻数で言うと五巻、もしくはそれ以降ということになる。
(それに、フリュデン侯爵……お父様が朝食の席に顔を出すなんて)
嫌われ者のアリスに用がある、ということは。
(嫌な予感しかしないわね)
そして案の定、その嫌な予感というのは的中してしまうのだ。
「お前に婚姻の申し入れがあった」
その一言で、沈黙が流れていたその場の空気がより一層張り詰める。
私は食事をしていた手を止め、今日初めてお父様の方を見やった。
(こうして見ると、アリスはあまりお父様に似ていないのね)
唯一の共通点といえば、黄緑色の瞳、くらいかしら。そんな現実逃避はさておき。
(嫌な予感は当たってしまったようね)
私に婚姻の申し入れなど、聞かずとも分かっているけれど。
「お相手は、どなたでしょう?」
その言葉にお父様は息を吐くと、不機嫌さ全開で口にした。
「……エリアス・ロディン公爵だ」
(やっぱりね)
分かっていた名前を聞いた瞬間、ため息を吐きそうになってしまったけれど、何とか堪えた私をどうか褒めてほしい。
だってそれは、アリス・フリュデンと愛のない結婚をし、アリスを自殺に追い込んだ張本人の名前なのだから。
(まあ、アリスもアリスだし、どっちもどっちなのでしょうけど)
そう結論付け、落ち着くために紅茶を一口喉に流し込む。そんな私に対し、お父様は驚いたように口にした。
「喜ばないのか? エリアス・ロディン公爵だぞ?」
その言葉に、私は小説の内容を思い出す。
(そういえば、アリスは高位貴族且つ容姿端麗な方との婚約を望んでいたのだわ)
だから、エリアスから婚姻を申し込まれた時は、二つ返事で前のめりになってその話を受けた、なんて描写があったのだっけ。
(でもそれは、あくまで小説の中のアリスの話)
結末を知っているのに、二の舞になるだなんてごめんだわ。
だから、私が今下すべき決断は。
「お父様」
私は居住いを正すと、息を吸い……、ニコリと笑って言った。
「その婚姻、お断り頂けますか?」
「「何!?」」
お父様と一緒に、もう一人別の男性の声が交じる。
(あら、いたのね)
我ながら失礼だけど、気が付かなかったわ。
私の視線の先にいるのは、お父様譲りの赤髪を持つお兄様だった。そしてお兄様は信じられないというふうに声を上げる。
「一体どうしたんだ? 結婚したいとあれほど願っていたというのに」
「そのことですが」
私は今思っていることを、そのままぶちまけた。
「私は、どなたとも結婚するつもりはありません」
「「!?」」
あまりの驚きに、二人は言葉を失ってしまう。それを良いことに、私は言葉を続けた。
「夢を見つけたのです。そのためには、結婚は障害になります」
「ゆ、夢?」
お兄様の言葉に私は迷いなく頷くと、考えていたことを口にした。
「街で働きたいのです」
「しょ、正気かっ!?」
「はい」
私の言葉に、今度は二人揃って固まってしまった。そんな普段では考えられないほどに表情が変わる、二人の人間らしいところを見て意外に思うが、まぁ無理もないかと納得する。
(市井に出て働くなんて、貴族の女性がすることではないわよね)
ましてや、魔力持ちの貴族が、街中で堂々と働くなんてことはしないだろう。
でも、私は違う。
「私には、魔力がありません」
そう、アリスは貴族でありながらにして魔力……魔術を受け継げなかった。そのせいで周りから蔑まれ、『とわまほ』の舞台の一つである魔法学園に通うことが出来なかった。
アリスにとってそれはコンプレックスだったようだけど、私の夢を叶えるためにはそれは最大の武器だと思っている。だから。
「もし貴族だからと働くことが許されないのなら、私を勘当して下さって構いません」
「本気で言っているのか?」
お父様の声音が怒りから低くなったのが分かる。それでも視線を逸らすことなく答えた。
「はい。私は本気です。
ですので申し訳ないですが、エリアス・ロディン公爵様との婚姻のお話はお断り下さい。
それでは、私はこれで」
話は済んだと言わんばかりに、食事を途中で止め、席を立つ。
食べ物を粗末にしてしまうのは良くないけれど、それ以上に今は、小説と同じ生活になることを是が非でも回避しなければならないから、許してほしい。
(でも)
長い廊下を歩きながら先程のことを思い出し、今度こそため息交じりに呟いた。
「……断るのは難しそうね」
なぜなら、エリアス・ロディン公爵様は、フリュデン侯爵家より家格が上なんてものではなく、この国の筆頭公爵家の当主という立場にいるからだ。
つまり、エリアス・ロディン公爵様が承諾しない限り、この結婚は彼が望めば私に断る権利はないということになる。
(そもそも、どうして美貌の公爵様が私を選んだかよね)
考え始めて間もなく、すぐに答えは出てしまった。
(アリスが唯一、魔法を持たないことから学園に通わなかった貴族だからだわ)
それがどうして縁談に繋がるかというと、エリアスは幼馴染であるヒロインにこっぴどくフラれ、失恋したというのは学園では誰もが知る周知の事実。
同時に、エリアスはヒロイン以外の女性には冷たく当たっていたことから、そんな彼と結婚しようだなんていう女性はいなかったのだ。
(ふふ、そんな彼に、悪女であるアリスがはなから愛されるはずがないのに。なんて滑稽な話なんでしょう)
まあ、それを知っている今は全力で回避するのみだけど。
(さて、どうしましょうか)
幸い……というよりは意外にも、お父様とお兄様が強引に婚姻話を推し進めようとする素振りがなくて本当に良かったわ。
(家族といえど仲は冷え切っているということも分かったし)
アリスには母親がいない。アリスを産んですぐ、亡くなってしまっているからだ。
そのため、アリスと血が繋がっているのは、侯爵と二つ年上の兄のみで、家族とは名ばかりの関係といえる。
(まあ、私も前世で家族なんていなかったから分からないけれど)
そんなことよりも。
「今はこの場をどう乗り切るかが先決ね」
この世界は本の中の世界だけど、今は現実の世界でもある。
小説のように哀れな結末を、あんな男のせいで迎えるなんて二度とごめんだわ!
そう考えた私は、早速行動に移すことにしたのだけど。
「……やっぱり魔法が使えないと不便ね!」
私は今、魔石……魔法が込められた石を使った魔道具であるランタンの灯り一つを頼りに、夜の森を歩いている。もう片方の手には鞄を一つ持って。
どうしてそんなことをしているかというと、これは“家出”作戦だ。
(数日行方を眩ませば、私が結婚に対して乗り気でないと、十分伝わるでしょう)
アリスは、家から一歩も出ないお嬢様だった。家族と共にいる時間を作ろうと、媚を売り、愛されようと必死になっていたから。
(でも、そんなのは無意味よ)
むしろそんな暇があるなら、自分のために有意義に時間を使いたい。
だから私は、アリスとは真逆の行動を取ることにした。
悪女……悪役令嬢らしく強かに、自分の利に適うように。
(私は、一人で平気なのだから)
夜の森を迷うことなくまっすぐと歩いていた、その時。
―――ガルルルルルゥ
「!?」
低い唸り声に、ハッとし口元を押さえる。
(この声は……、狼!?)
いや、違う。
その声の主が、姿を現す。
光を纏うその姿を見て驚き、足が竦んだ。
(っ、魔物!?)
狼のようだけど、青白く光る魔法を放出しているその姿は、まさしく小説で読んだ魔物の特徴、だけど。
(どうしてこんなところに!? 魔物は、“学園編”で封印されたはずでは)
魔物は本来、魔界に棲む生き物だが、魔界と人間界の境界に歪みが出来た影響で、小説中の学園編で再封印され、また、何故だかは明かされていないが、魔物は決まって魔法使いを襲うというのだ。
それなのに、どうして。
(魔力なしの私に向かって威嚇しているの!?)
「ガルルルルゥ」
その狼は、その場で固まってしまっている私に狙いを定め、地を蹴ろうとした、その時。
「ッ、ガゥッ!?」
「え……」
目の前を青白い“何か”がすり抜け、狼の形をした魔物に刺さる。
それは氷柱のようで、魔物は短く悲鳴を上げ、光となって霧散した。
「あ……」
その氷柱は紛れもない、魔法の……。
「無事か」
「!?」
ハッと息を呑む。後ろにいるその声の主の方を、振り返ることは出来ない。
(……私、この声を知っているような気がする)
お父様でもお兄様でもない、その声は。
「無事かと聞いているんだ、家出小娘」
「なっ!」
反射的に顔を上げ、後悔した。
月明かりに照らされた、白銀の髪。
影になっているはずなのに、凍てつくような氷の色の瞳を持つ、その綺麗な顔立ちの男性は。
「……エリアス・ロディン」
その名を呟いた瞬間、私の意識は暗転してしまったのだった。