第三話
結局喧嘩をした後でお互い気まずい状況のまま夜会会場へと戻った私達は、貴族との交流、もといエリアス様に媚びる貴族の対応に追われていた。
幸いエリアス様が上手くあしらってくれたお陰で、喧嘩を売られることはなかったものの。
「……貴方の周りはいつもこんな感じですの?」
怒涛の挨拶ラッシュに気疲れした私は、冷たい水を一気飲みしたい衝動をグッと堪え、少しずつ飲みながら尋ねると、彼もまた目を細めて言った。
「これで分かっただろう? 笑顔の練習をしても何の役にも立たないと」
「まあ、気持ちは分かりますけれど……、それでもどこに有益な情報があるか、またいつ人とのコネクションも大事になるか分かりませんもの、出来れば八方美人になられた方がよろしいかと」
「今更か?」
「今更でもです」
確かに、彼の言い分も分からなくはないけれど、彼が少し笑みを見せただけで効果は絶大だった。
むしろ、効果がありすぎるのではと思うほど、破壊力は抜群だった。
「エリアス様の笑顔に見惚れていたご婦人や女性が沢山いらっしゃいました。良かったですわね」
「俺には君がいるんだが」
「女性を味方につけておくと良いことが多いですわ」
「……君は何とも思わないんだな」
「?」
言われている意味が分からず首を傾げた私に対し、彼は「何でもない」と口にすると、残っていたワインを一気に煽る。
「エリアス様、それはお酒ですわよ。一気飲みをされては」
「大丈夫だ。俺は酒には強いからな」
「それにしても身体に毒ですわ」
私の言葉に、彼は私をじっと見つめる。
「な、何ですか?」
そんな私から視線を逸らすと、彼は呟くように言う。
「……飲まないとやっていられないからな。行くぞ、アリス」
「え、えぇ」
飲まないとやっていられないってどういうこと?
まだ先程のことを怒ってでもいらっしゃるのかしら、と疑問は尽きないけれど、そんな疑問も吹き飛ぶほど、その後も挨拶に追われ、一段落してから足に痛みを感じ始めていた。
(……靴擦れが始まったかしら)
情けないわね、と内心ため息を吐く。
アリスとして転生してから、ダンスの練習以外は履きやすい靴を履いて過ごしていたため、高いヒールを履くことはなかった。
そういえば前世でのOL時代でも、ローヒールを履いていたというのによく靴擦れを起こしていたわね、なんて意識を飛ばしていたその時、休憩していた彼が私に向かって口を開く。
「アリス、そろそろダンスを踊るか?」
「あ……」
すっかり忘れていた。
まだ夜会の必須イベントであるダンスがあることを。
(そういえば事前に、一曲は必ず踊ろうと彼とも約束していたのだったわ)
「アリス?」
再度名を呼ばれ、私はすぐに返事をした。
「えぇ、そうね。そうしましょう」
そう言って歩き出そうとしたその時。
「探したよ、エリアス」
「……エドワール」
そこにいたのは、エドワール殿下とヴィオラ様だった。
(王太子とその婚約者様自ら探しに来たということは、私はお邪魔かしら)
丁度良い、と私は口を開く。
「エリアス様、私は少し席を外します」
「アリス?」
「大事なお話のようですから、私は休憩室でお待ちしておりますね」
「アリス!」
早々に立ち去ろうと、足早にその場を後にする。
その間にも足の痛みが増していくのが分かって。
(……彼らは何のお話をしているのだろう)
気になるけれど、私には関係のないこと。
(もしそれが仮に魔法や学園の話題だったとしたら、私は付いていけないし)
挨拶をしていて改めて気が付いた。
魔力を持たずに学園に通えなかったアリスが、どれだけ周囲から馬鹿にされているか。
エリアスもヴィオラに振られたという噂の的となった人物ではあるけれど、彼は学園内でも優秀だったし、公爵家という肩書きもある。
そんな彼がなぜ私を?という視線は、口に出さずとも伝わっていた。
(もしかしたら小説中のアリスも、描かれていないだけで私と同じような扱いを受けて、同じような感情を抱いたのかもしれない)
そして、そんなエリアスからさえも愛情を向けられなかった彼女は絶望し、その矛先をヴィオラに向けた結果、悪女呼ばわりをされたのだとしたら。
(彼女は本当に、可哀想な女性だわ)
そんな彼女のことを廊下を歩きながら考え、同情してしまっていると。
「アリス様」
「……」
後ろから名を呼ばれ、私は聞こえなかったフリをして通り過ぎようとしたのだけれど。
「無視ですの!?」
その言葉に、堪えきれなかったため息交じりに、私の前に立ちはだかった女性達を見やる。
その女性三人を見て、私はドン引きしてしまった。
(……うわ)
小説中のアリスに引けを取らない、ド派手な衣装に髪をグルングルンに巻いた、如何にも悪女!風な彼女達の姿に、思わず遠い目になる。
そして、彼女達は口を開いた。
「アリス様、少しお話がありますの」
「お時間よろしいかしら?」
「……」
遠い目を通り越して死んだ目をする私に向かって、彼女達はキーキーと高い声で怒り出す。
「何とか仰ったらどうなんですの!?」
その言葉に、エリアス様との約束を思い出す。
(“売られた喧嘩はほどほどに買って良い”、ですわよね?)
それなら買って差し上げましょう。
面倒くさいですけれど。
私はにっこりと笑うと、口を開いた。
「……確か貴女は、バシュレ伯爵家のフェリシー様ですわよね?」
その言葉に、彼女達はハッと目を見開き顔を見合わせる。
正解ね、と腕を組み口を開いた。
「そちらのお二人は名前を存じ上げませんので、名前をお伺いしても?」
「そ、そんなことはどうでも良いのですわ!」
何がどうでも良いのだろうか、開き直ってそう口にする彼女達の言動を、優しい私はとりあえず傍観して様子を見ることにシフトする。
そんな彼女達は、分かりやすく私を貶し始めた。
「一体どんな手を使ってエリアス様を騙したのですか?」
「魔法も使えない貴女が、エリアス様にとって何のメリットがあるというのでしょう?」
「“プチット・フェ”のドレスだって、エリアス様に強請って買わせたのでしょう」
そう言って勝手に盛り上がり、クスクスと笑みを溢す彼女達に向かって私は……、扇子を取り出すと、口元に当てて言った。
「その通りですが、何か?」
「「「え?」」」
この返しには驚いたのだろう、彼女達は一瞬怯んだようだったけれど、気を取り直したように言った。
「まあ、なんて酷いのでしょう!」
「性格までお悪いだなんて!」
「エリアス様は騙されているに違いありませんわ!」
その言葉に、カチンときた私は口にした。
「そうですわね、彼が騙されているということは、私にどんな魅力があったのでしょうね?」
そういうと、パチンッと扇子を閉じ、その扇子を騙されていると口にした女性に向かって指して言った。
「貴女、どんな手を使って私が彼を騙したと思う?
色仕掛け? 脅し?
……そんなことで、“氷公爵”の異名を持つ筆頭公爵家の彼を口説き落とせるとでも?」
「っ!」
その言葉に、その言葉を口にした彼女は一瞬で真っ赤に染まった。
(そう、彼女達が私への侮辱をするということは、そんな私を選んだエリアス様に対して侮辱しているのと等しくなる)
私は息を吐くと、笑みを浮かべて言った。
「なら、私とこの立場を変わられます?」
「「「え……」」」
「まあ、貴女方のようなこんな人気のない場所で、高位貴族である私に分を弁えない態度をするような方々なんて、彼が相手にするはずがありませんけれど」
そう言ってうふふと笑って見せれば、彼女達はふるふると肩を震わせたかと思うと……。
「っ、この無能女が!!」
「!?」
そう言ったフェリシー様が、こちらに手を翳す。
その手が光り輝いていることに気が付く。
(っ、こんな場所で魔法を!?)
逃げないと、と思った瞬間には、彼女の手から炎が放たれ、間に合わないとギュッと目を閉じたその時。
「誰の妻に手をあげている?」
「!!」
私の身体を包んだのは衝撃ではなく、知っている温かな体温だった。
目を見開き、見上げた先には、見たこともないほど冷たく彼女達を見据えているエリアス様の姿があったのだった。