第三十一話
「え? ロディン様と口を聞いていらっしゃらない?」
ミーナ様の言葉に私は頷く。
「えぇ。口を聞いていない、というよりエリアス様に避けられている気がしますわ」
そう言って紅茶を口に含む。
エリアス様からヴィオラ様とエドワール殿下のことを聞く事に失敗した日から早一週間、契約結婚してから一ヶ月を迎えようとしていた。
今日はミーナ様と初めてのお茶会をしているのだけど、話題はエリアス様のことで持ちきりだ。
「夜会までは後一週間ですので、そろそろお話ししたいと思うのですが、なかなか彼が忙しくて」
「まあ、それは大変ですわ! ……そうですわよね、ヴィオラ様については、ロディン様にとって触れられたくないことなのかもしれませんものね」
「……」
「あっ、違いますのよ!? アリス様のお気持ちはよく分かりますわ!
夫婦ですもの、知りたいことも知られたくないこともあるのが当然ですわ」
ミーナ様の言葉に、私は内心思う。
(……私の場合、夫婦間の問題ではなく、ただの契約上で必要な情報を仕入れるためなのだけど)
まあ、彼がヴィオラに長年の想いを伝えたと言うのに、その本人に“恋じゃない”と言われた後、エリアスはどん底まで落ち込んでいたという描写があったから、彼にとって余程辛い出来事だったのだろうということは分かる。
(そもそも私は恋愛すらしたことがないから、その失恋の痛みというものを全く分かってあげられないのだけど)
私だって、人様の恋愛事情を聞くというのが、デリカシーがないと言われても仕方がないということは分かっている。分かってはいるけれど、契約結婚をしている以上最低限は共有しておきたいこともある。
(だっていくら小説の内容を知っているといえど、逆に私が一方的に知っているというボロが出てしまったら、それはそれで面倒なことになるでしょう?)
なぜ知っているか、前世の説明からしないといけないのは面倒くさい、と現実逃避をするため花々を見やっていると、そんな私の視線に気付いたミーナ様が慌てたように言った。
「で、ですが以前も申し上げたように、ロディン様はヴィオラ様といる時よりアリス様といらっしゃった方が生き生きとして見えますわ」
「……そんなことは、ないと思いますが」
思わず漏れ出た私の言葉に、私自身もハッとしてしまう。
(だ、駄目じゃない! 契約上はラブラブアピールをしていないと!)
慌てて口を開こうとした私よりも先に、ミーナ様ははっきりと首を横に振り言う。
「いいえ、ロディン様はアリス様がいらっしゃってから目に見えて明るくなられました。
……ロディン様が“氷公爵”と呼ばれているのをご存知でしょう?」
その言葉に、私は黙って頷く。彼女は言葉を続けた。
「爵位を継がれる前から、ロディン様は女性から“氷の君”と呼ばれていらっしゃいましたが、男性や彼をよく思わない方々からは、“まるで性格まで氷のようだ”と陰口を叩かれていらっしゃいました。
大半が嫉妬や妬みの類だと、ロディン様も分かっておいでのようでしたから、彼は全く取り合わず気にしていらっしゃらないようでしたけど」
「ミーナ様とファビアン様は、どうしてご友人に?」
私は気になっていたことを投げかけると、彼女は「あぁ、それは」と笑って言った。
「ファビアンは噂など気にしない、我が道を行くタイプでしたから。最初はロディン様にかなりウザがられたみたいですけど、しつこくしたら仕方がなく一緒にいてくれるようになったと豪語しておりますの」
「そ、それは……」
「そして、私のことをデザインの妖精の祝福持ちであることを知っていたファビアンが、私に声をかけづらくて、ロディン様を無理矢理巻き込んだんですの。まさかそんな二人から声をかけられるとは思わず、何事かと思いましたけど」
ミーナ様の言葉に、だからエリアス様のことをキューピットと言っていたのねと納得すると、ミーナ様は笑って言った。
「ファビアンと話している時だって、ロディン様は絶対に笑わない方だったのですよ。小馬鹿にしたような笑い、とかはたまに出ていらっしゃいましたけど」
「……想像がつきます」
「ふふ、だからアリス様と会話をされる時や、アリス様を見ていらっしゃる時のロディン様は、“氷公爵”という呼び名は消え失せるほど……、そうですわね、一人の男性としての自然な表情をされていらっしゃるように思いますわ」
そんなまさか、と目を見開いてしまう。
だって私と彼は所詮契約結婚、一年後に離縁する関係。
それが恋だとは呼ばなくても、私にだけ特別な感情を抱くようには思えない。
それに私は。
(あの“アリス”なのよ?)
信じられない、とぐるぐる考え込む私に、ミーナ様は言った。
「……アリス様は、そのことに気付いていらっしゃらないようですが、私共から見たらそれは分かります」
「私共?」
その言葉に、お花の妖精たちと一緒にいたはずのデザインの妖精が、ミーナ様の隣に現れて口を開く。
「そうですわ。なんてもどかしいのでしょう」
「も、もどかしい?」
何のこと? と首を傾げる私に、ミーナ様は彼女達を窘める。
「ダメよ、彼女達には時間とお話し合いが必要なだけ。こういう時は見守っておくしかないわ。
……アリス様はきっと、ロディン様のことをお慕いしていらっしゃらないですわよね?」
「……!?」
思わぬ発言に、反応が遅れてしまう。
それを是と捉えたミーナ様は、笑って言った。
「大丈夫ですわ。政略結婚などではそういうことはありますもの。それに、あのロディン様が急に結婚だなんて、信じられませんでしょう?」
「……」
「私達はただ友人として、ロディン様がどんな方と結婚をしたのか、興味があったのです。
そうしたら、ロディン様が自ら私共の“プチット・フェ”にアリス様と共に来て下さったんですもの、驚きましたわ」
ミーナ様はそう言って、花の妖精と話しているデザインの妖精の姿を見て笑って言った。
「“プチット・フェ”は、ロディン様のお力添えがあってこそ、学園を卒業後開業することが出来たのですわ」
「えっ……」
初耳の情報に驚く私に、彼女は「やはりお話しされていなかったのですね」と笑い、言葉を続ける。
「話せば長くなるので説明は省きますけれど、私とファビアンはロディン様に沢山救われました。
……アリス様も嫁がれてお分かりになったと思うのですけれど、ロディン様は噂とは違い、割と面倒見が良かったり優しいところがおありな方ではないですか?」
その言葉に、私は少し考えた後頷き答えた。
「そうですね、エリアス様は不器用なだけで、驚いたり笑ったり、私のために怒ってくれるような、そんな方です」
小説中のエリアスは、嫁いできたアリスには見向きもしない、ヴィオラ至上主義の冷淡な人物という印象だった。
でも。
「ここへ来て、彼が温かい人だということを知りました。私の思うように、自由に生きて良いとそう言って頂けたことも、私を必要として下さったことも、全て初めてのことでした」
私が欲しかった言葉を、彼はくれる。
そのままの私で良いんだと、そう言ってくれる人がいるということが、どれだけ幸せなことかを彼は教えてくれた。
だから。
「私も、彼に救われています。
だから、そんな彼に精一杯恩返しがしたいのです」
この一年の間に、必ず。
(そうして私と彼が一年後、笑ってさようならが出来るように)
「俺だって、君にいつも救われている」
「!?」
不意に影が差して、驚き見上げれば、そこには彼の姿があって。
ふわりと柔らかく微笑む彼に見下ろされ、息を呑んでしまうと、それを見ていたミーナ様が頬を押さえて言った。
「新婚夫婦に当てられますわ……」
「エリアス様、やりすぎです。ミーナ様にはバレておりますわよ」
その言葉に、彼は気付いたらしい。
ギョッとしたように彼女を見て言った。
「な、なぜ?」
「女性の勘は鋭いんですのよ?」
「恐ろしい……」
エリアス様の顔に恐怖の色が滲んだところで、ミーナ様は笑って言った。
「大丈夫ですわ。私とファビアンは口が堅いことはよくご存知でしょう?
私達も、ロディン様に負けないくらい友人は少ないですし」
「やめてくれ……」
「そんなロディン様にアドバイスを差し上げますわ」
ミーナ様はそういうと、立ち上がり口を開いた。
「女性はきちんと言葉にしてくれないと、不安になりますのよ。特に、アリス様には色々と伝わっていらっしゃらないかと」
「……!?」
「それでは、私はこちらで失礼いたしますから、どうぞお二人でごゆっくりお過ごし下さいませ。
アリス様、また是非お茶会にお呼び下さいな」
「こちらこそ、是非。楽しかったです」
「私もですわ」
そう言って二人で笑みを交わすと、彼女は帰って行った。
そんな彼女の背中を見送り、呟く。
「……玄関までお見送りしなくて良かったかしら」
さて、と息を吐くと、私も立ち上がり、こちらをじっと見つめている彼に向かって声をかけた。
「私に何か御用ですか?」
「……君に、話したいことがあって」
その顔が強張っていることに気が付き、答える。
「学園でのことは、話したくなければ無理しなくて良いんですのよ。
人に触れられたくないことの一つや二つ、あるでしょうし。
私も、デリカシーのない質問をしてしまったと反省しておりますから、このお話しはなかったことにいたしましょう」
「……っ」
私はそう言って小さく笑みを溢すと、彼が仕事に戻れるように促す。
「ほら、ここで油を売られている暇はありませんでしょう?
早くお仕事に戻られて……っ」
私の言葉は途中で消える。
それは、不意に私の手を彼の大きな手に包み込まれるように取られたからだ。
え、と驚き手を見て、次に彼を見上げると、エリアス様はどこか懇願するように口にした。
「……聞いて欲しいんだ、君に」
「!」
その言葉に、こちらを見る瞳に含まれた切実さに気が付かないほど鈍感ではなくて。
当然断れるはずもなく、私は頷くことしか出来なかったのだった。