第二話
『永遠の愛を、魔法に込めて』、通称『とわまほ』。
それは前世、若い女性の間で流行った人気恋愛小説である。
私が高校生の時に一巻が出版され、その後私が生きている間だけでも十巻という長連載がされていた、人気を博したシリーズだった。
残念ながら、私は丁度アリス・フリュデン……悪役令嬢が亡くなるであろう七巻の中盤までしか読んでおらず、今ここにいるわけなのだけど。
「何が『決まってるだろ』よ」
「!」
私は目の前にいる黒猫の両脇を掴み、持ち上げると言った。
「どうして私が、転生しているの!?」
誰も転生なんて、ましてや悪役令嬢になんてなりたくないのに。
「貴方が勝手に魔法を使って転生させたってこと!?」
「そうだ。でなかったらお前、死んでたんだぞ」
「……っ」
「とりあえず下ろせ」
その言葉に渋々彼(?)を下ろせば、毛繕いを始めながら彼は続けた。
「そもそもお前、どうして俺を助けた?」
「それは、勝手に身体が動いたから」
「なぜ?」
彼は毛繕いをやめ、私をじっと見つめる。
その視線を受け、少しの間の後答えた。
「なぜと言われても分からないわよ。それとも、助けない方が良かったかしら?」
「……そうは言ってねぇ」
彼はそう口にして目を伏せる。
(何が言いたいのよ)
よくわからない現状に苛立ちを隠さず問い質す。
「つまり? 貴方を助けたはずの私が貴方の魔法?によって助けられた。その結果、『とわまほ』の世界の悪役令嬢に転生した……」
「そういうこと」
「それで納得出来るワケがないでしょう!?」
拳を握り近くにあった机に向かって振り下ろす。それによって生じたドンッという音に彼は顔を顰め、口にした。
「仕方ねぇだろ? お前の魂が適合したのが“アリス・フリュデン”だったんだから。俺の力では、魂の行き先を決めることが出来ない……つまり、他ならぬお前自身が選んで“アリス・フリュデン”の身体を器としたんだからな」
「そんな!」
信じられない。
私が……、私の魂が自ら“アリス・フリュデン”を選ぶだなんて!
頬を押さえ愕然としてしまう私をよそに、彼はヒラリと窓枠に飛び乗り、振り返ると言った。
「じゃあ、説明は済んだから俺はこれで」
「ちょっと待って!」
どこかへ去ろうとする黒猫に向かって制止するよう声を上げると、黒猫は背景の空と同じ夜空色の瞳をこちらに向け尋ねる。
「……何だよ」
「貴方は、誰なの?」
彼が一体何者なのか。ただこんなことが出来るのは、一概に“魔法”と言って片付けられるものではない気がしてそう尋ねると、彼は、あぁと口にして言った。
「そういえば、まだ名乗ってなかったな」
彼はその場で私に向き直ると言った。
「俺はソール。こう見えて、“運命”を司る神だ」
「神って」
「一応礼は言っておく。ありがとう、俺を助けてくれて。
お前のお陰で、クソみたいな人間もまだ捨てたもんじゃねぇと思えたわ」
「何を言って」
「お前が紡ぐ物語、楽しみにしてる。せいぜい楽しませてくれよ? じゃあな、“アリス”」
「っ、待っ……!」
今度こそ、彼……ソールは窓の外へ消えて行ってしまった。
「……神を助けて、神に助けられたって」
そんなことがある!?
『とわまほ』はその名の通り、魔法で成り立っている世界設定であり、魔法の種類は二つに分かれている。
一つ目が“魔術”。魔術を使えるのは、代々その血を受け継いでいる貴族のみが所有し、平民はそれの恩恵に与って暮らしているのが特徴である。
二つ目が“祝福”。魔法が先天的なものに対し、こちらは後天的なもので、貴族・平民問わず妖精の加護を受けた者だけが使える。それが、“祝福”としての魔法の力だ。
魔術は血筋だが、祝福はほんの一握りの人にしか使えない。
何故なら、妖精に出会うこと自体が稀だからだ。
それなのに。
「私が出会ったのは、妖精達の更に上である“神”にあたる人物なんて」
“神”。
それは、この世界を統べる最高位にいる存在。
その神の中にいるのであろう“ソール”と名乗った黒猫……、口が悪い自称俺様神様を、私は前世で助けて転生してしまうだなんて。
「そもそも、助けなくても自力で何とか出来たのではないかしら……」
そんないらない行動をとった末、呆気なく死んでしまい、悪役令嬢に転生してしまったとか。
「本っ当にありえないわ……」
自分の置かれている現状に思わず頭を抱えてしまう。
(しかも、魔法至上主義のこの世界で、アリス・フリュデンは)
その時、扉をノックをする音が聞こえてきた。
漏れ出そうになったため息をグッと堪え、「はい」と返事をすれば、ガチャリと扉が開き、数名の侍女が現れる。
「アリス様、おはようございます」
「……おはよう」
「早速ですが、本日はご朝食の席に旦那様がいらっしゃいますので、お支度を整えさせて頂きます」
一発で好意的でないと分かる侍女から告げられた言葉に、心の底から不快な感情が汲み上げてくるのを我慢し、それをため息に代えて口を開く。
「……お願いするわ」
いつもとは様子の違う私に気付いたのだろう、侍女は怪訝そうな顔をしたものの、「かしこまりました」と口にした後、テキパキと仕事をこなしていく。
(さすが、侯爵家の侍女ね)
小説では全く描かれていない描写をこうして目の当たりにすることで、改めて私が“アリス・フリュデン”に転生してしまったことを自覚する。
(旦那様と言っていたわね)
つまり、朝食の席でフリュデン侯爵……お父様から話があるということだ。正直、とんでもなく気が重い。
だってフリュデン侯爵は、実の父親でありながらアリスのことを嫌っているのだから。
そう、アリスはフリュデン侯爵やその彼女の二つ年上である兄にさえ愛されることはなかった。
それこそが、アリスの性格を捻じ曲げてしまった根本的な要因なのだ。
(そのために、アリスは何とかして自分の方に振り向いてもらおうと、我儘を言って周りを振り回したり、思い通りにならないと癇癪を起こしてみたりした。その結果、“悪女”のレッテルを貼られることになった)
つまり、アリス・フリュデンは可哀想な悪役令嬢なのだ。
(でも、今は違う)
私は彼女として転生したけど、彼女とは決定的に違うことがある。
それは、たとえ愛情を向けられなくとも寂しいと感じることはない、ということ。
(それが私と彼女の大きな違いね)
だから、私は。
「アリス様、お支度が整いました」
その言葉に、閉じていた瞳をゆっくりと開けると、長い桃色の髪は後ろにすっきりとまとめられ、化粧を施されて更に……、いや、派手になった“私”の姿が鏡に映し出された。
(なるほど。転生する前のアリスは、この顔が好きだったと)
はっきり言って……。
「趣味が悪いわね」
「は?」
私の言葉に唖然としている化粧を施した侍女に向かって、笑みを浮かべて言った。
「やり直して頂ける?」
「!」
私は、“彼女”のようにはならない。
そうね、私が悪役令嬢というのなら。
(悪役令嬢らしく立ち振る舞って、自分自身の手で幸せを掴み取ってみせますわ)