第二十五話
契約に関わること。
そう言われ、首を傾げた私に向かって彼は告げた。
「結婚式の予定だった今日、無事に婚姻届が受理された」
「え……」
エリアス様の言葉に、私は目を見開き口にする。
「確かに、結婚式がエリアス様の御公務のため中止になったのは分かりますが、確か婚姻届は、私がこちらへ来る際に提出したはずでは」
そんな私の言葉に、彼が言葉を濁す。
「いや……、フリュデン侯爵がな」
その言葉にこめかみを押さえ、口にする。
「……つまり、お父様が認めてくださらなかったと」
「そういうことになるな」
その言葉に盛大にため息を吐き、吐き捨てた。
「いくら娘のことが嫌いだからと、最後まで娘の幸せを考えず、希望を聞かないなんて。
相変わらずお父様は性根が腐っていらっしゃいますね」
「そういうことではないと思うがな……」
「どういう意味ですか?」
私が尋ねると、彼は「いや、何でも」と口にし、話を変える。
「というわけで、今日付で君と夫婦になったということを心に留め置いてほしい」
「分かりました」
その言葉に、契約期間中はエリアス様の契約妻、つまりロディン公爵夫人となったことを自覚し、口にする。
「必ず公爵夫人として、貴方のお飾りの妻として、精一杯努めさせて頂きますわ」
「ありがとう。宜しく頼む」
彼はそう言って頷くと、「それと」と言葉を続けた。
「今日中にどうしても、君に渡したい物があってここへ来てもらったんだ」
「え? ……!」
そう言って彼の手にあった物に、私は思わず目を瞠る。
その手にあった物、そこには。
「俺達の結婚指輪だ」
そう言って差し出されたその箱の中には、二つの大小違う指輪が収まっている。
大きい方は至ってシンプルなのだけど、小さい方には……。
「お花の形……」
「気に入ってもらえたか?」
エリアス様の言葉にハッとし、彼を見やる。
そして、口を開いた。
「エリアス様がお選びになったのですか?」
「選んだ、というよりは俺がデザインした。
……君は何でも良いと言っていたが、俺としては君が少しでも気にいってくれる物が良いと思って」
「つまり、私のためにこれを?」
その言葉に、彼は少し息を呑んだようだけど、すぐに真剣な表情で頷いた。
「あぁ。君をイメージして……、君ならこういうものが好きなのではないかと思いながら作ったんだ」
彼の言葉に、再度彼の手の中にある箱に目を落とす。
小さな指輪には、花の形をした枠の中に大粒の桃色の宝石が埋め込まれている。
そして、リング部分には、よく見ると何かが大小共に刻まれているのが分かり、私は彼に尋ねた。
「リング部分にあるこれは……?」
「それは茎と葉をイメージしてデザインした。なんでも、異国では茎や葉が“絆”という意味のある種類の植物が存在するらしい」
「よくご存知なのですね」
私の言葉に、彼は少し顔を赤らめ頬をかきながら言った。
「いや、これはただ単に指輪を作ってもらった職人の受け売りだ。
俺はただ、君が花で俺はそれを支えられるようになりたいと、そう願って対になるデザインにしたんだ」
「……」
その言葉に、私は驚き言葉を失ってしまう。
(確か私は、どんなデザインが良いかをエリアス様から尋ねられた時、“エリアス様がお決めになった物で良い”と突っぱねてしまった)
ただ単純に、面倒くさかったから。
どうせ期間限定のお飾り妻だから、結婚指輪も一年後にお返しすることになるだろうからと思っていた、けれど。
「……可愛い」
「え?」
私の呟きは、彼の耳には届かなかったらしい。
私はお礼を言おうと、彼の顔を真っ直ぐと見つめ笑みを浮かべて言った。
「ありがとうございます。大切に致しますわ」
「……!」
彼が目を見開く。そんな彼の言葉を待っていると、彼は少しの間の後訴えるように言った。
「一つ、提案があるのだが」
「何でしょう?」
提案とは一体何かと首を傾げると、彼はゆっくりと口を開いた。
「指輪を、互いにつけ合わないか」
「え……」
彼は申し訳なさそうに口にする。
「本来ならば、今日結婚式を挙げる予定だったのにも関わらず、それを反故にしておいて言うのも何だが。
君との結婚は契約といえど、その誓いも兼ねて指輪を交換したいと思ったんだ。
……駄目、だろうか」
恐る恐ると言ったふうに告げる彼を見て、私は笑みを溢すと言った。
「もちろん、良いですよ」
「本当か!?」
「えぇ。……こんなに素敵な物を頂いておいて見合ったお返しが出来ないのが申し訳ないですけれど」
「君に見返りなんて求めていない! むしろ、指輪を気に入ってくれていたら、それで十分だ」
そんなことを言ってもらえるとは思わず、私は心からの笑みを浮かべ、「ありがとうございます」と礼を述べる。
そんな私に対し、彼は頷いてくれた。
それから互いに指輪を箱から取り出し、最初に彼から私にお花の宝石が施された小さな指輪を、そして、私からも彼に茎と葉の模様があしらわれた一回り大きな指輪を、互いの左手の薬指につけた。
二人して互いの薬指につける時、何とも言えない緊張感から手が震えてしまって、顔を見合わせて笑ってしまった。
そんな穏やかな時間の中で、私はふと思ってしまう。
(結婚式でなくて、二人でこうしている空間の方が、余程良かった気がするわ)
これは契約結婚。
でも、誰かとこんなに穏やかで温かな時間を過ごすのは、この先もきっとないだろうと予感した。
そして、手元で光る結婚指輪を見て、ふと我に帰り、疑問に思っていたことを尋ねる。
「私がここへ来てから17日が経過しようとしておりますが、契約内容の一年というのは、もしかして婚姻が受理された今日から、ということになるのでしょうか?」
「……!」
その言葉に、エリアス様が目を見開く。
そういえばそうだった、というような表情をするけれど、私としては答えをきちんと知っておきたい。
そう思い、じっと彼の瞳を見つめれば、エリアス様は「そうだな」と呟くように言った。
「いや、それだと契約不履行になってしまうから、君がここへ来た日から一年、ということにしよう」
「ありがとうございます」
その返答に安堵した私を、エリアス様がじっと見つめてきた。
「……あの、何か?」
少々いたたまれなくなった私がそう尋ねると、彼はハッとしたように「いや」と首を横に振り言った。
「何でもない。ただ、夜分遅くにすまなかった。
どうしても今日中に知らせたかったというのと、指輪を渡したかったんだ」
「いえ、こちらこそお手数おかけいたしました。
おかげさまで間違いなく、今日のことは一生の思い出になりましたわ」
「ほ、本当か?」
「はい」
私は結婚指輪にそっと触れ頷くと、彼は心から嬉しそうに笑ったのだった。
「……今夜のことは、まるで夢のような出来事だったわ」
まさか結婚願望皆無の私が、結婚指輪を頂く日が来るなんて。
「転生したり、契約結婚したり。人生って分からないものね……」
でも、エリアス様がまさか、わざわざ私のために結婚指輪を一からデザインして作ってくれるとは思ってもみなかった。
『君をイメージして……、君ならこういうものが好きかと思いながら作ったんだ』
『俺はただ、君が花で俺はそれを支えられるようになりたいと、そう願って対になるデザインにしたんだ』
誰かにこんなに想われたことは、前世を含めて生まれて初めてかもしれない。
しかも私が素直に喜べば、彼もまた嬉しそうに笑ってくれた。
「私、ここへ来て良かった」
そう呟き、幸せな心地の微睡みの中でそっと瞳を閉じたのだった。