第十八話
「って、本当にこのまま外に出るのですか!? 薄着ですけれど!」
玄関ホールの方に迷いなく歩いて行く彼に向かってそう口にすると、彼は笑みを浮かべて言った。
「大丈夫だ。見ていれば直に分かる」
「……先程からそればかりですね」
しらけた目で見ているというのに、彼は楽しそうに笑う。
何でそんなに楽しそうなんだ、と横目で見ながら、それに、と他に目を向けて思った。
(……皆に見られてるんですけど!)
廊下をすれ違う侍従達の視線の先、それは間違いなく私達の手だ。
そう、繋がれた手を間違いなく温かい目で見られている。
(違いますよ、私達の間に恋愛感情なんて皆無ですからねーーー)
と言いたくなる衝動を何とか堪え、私自身も繋がれた手には意識を向けないよう前だけを見て歩き、ようやく玄関に辿り着いたところで、外は寒いだろうなと身構えたけれど……。
「あれ?」
室内の温度と変わらない。
え? と思い、数度瞬きをすれば、それを見ていた彼がクスクスと笑って言った。
「よく目を凝らして、自分の周りを見てみると良い」
「周り? ……あっ」
エリアス様の言葉に身体の周りを見て気付く。
私の身体に沿って銀色の光がキラキラと、まるで私を守るように舞っていた。
それを見て、ポツリと呟く。
「……風属性の魔法?」
「ご名答」
ドッキリが成功したというような彼の悪戯っぽい笑みに、もう一度自分の腕に視線を落とす。
「綺麗……」
「風除けをしているんだ。風さえなければ、この季節は過ごしやすいからな」
「魔法でこんなことも出来るのですね! 凄い! それに、とても綺麗……」
手を月にかざし、キラキラと輝く銀色の光が舞う様を見て自然と笑みを浮かべると、コホンという咳払いが聞こえてきた。
それによって彼を見上げると、エリアス様は私を見ずに言った。
「驚くのはまだ早いぞ」
「え?」
そう口にすると、彼は目を閉じる。
そして、繋いでいない方の掌を伸ばし、地面に向けると言葉を発した。
「……陣」
その言葉に、私達を中心として、地面に複雑な模様をした円形の光が現れる。
(これって……!)
私が小説の設定を思い出すよりも先に、彼は私に向かって言った。
「“魔法陣”。主に同時に二つ以上の魔法を使うときに発動させる」
「二つ? それって……、きゃ!?」
音もなく私達の周りの視界が変わる。
突如身体に違和感を感じ、ギュッと目を瞑った私は何かに縋り付く。
そして、少しした後頭上から声がした。
「目を開けて良いぞ」
「え」
パチッと目を開けた私の視界に飛び込んできたのは。
「……わぁ!!」
眼下に広がったのは、アルドワン王国の景色だった。
「空中散歩。これも立派な散歩だろう?」
そう言って笑う彼に、私は興奮気味に口にした。
「凄い! お城や城下も見える! あ、あれがロディン公爵邸ね!? 夜景なんて素敵!」
「ふ、あははは」
「!?」
彼がお腹を抱えて笑っている。
私も自分がはしゃぎすぎたことに気が付き、頬に熱が集中するのが分かり、俯き口にする。
「ご、ごめんなさい」
「いや、あまりにも君が可愛らしくて、つい」
「……は!?」
何言っているの!? と反射的に彼に目を向けた私は、その距離が近いことに気付く。
それにより、先程しがみついたのは彼の身体だったことにも気付き、より一層顔が赤くなるのを感じて、気付かれないようにそっと距離を置く。
そんな私に彼は言った。
「君は年齢の割に、随分大人びているからな。
君より年上なはずの俺でも、驚くことが多くて」
「……生意気に映りますよね」
咄嗟に口にした言葉にハッとするけど、彼は顎に手を当て言った。
「まあ、最初はそう思っていたな。
ただ、君の言い方は些かキツイ気もするが、正しくもあり、新鮮でもあり。
この邸に新しい風を吹かせてくれている救世主でもあると思う」
「え……」
思ってもみない言葉に、私は目を見開く。
彼もまた、柔らかな表情を湛えて続けた。
「そんな君に救われているのは、ララやクレール、侍従達だけではない。
俺も君に感謝しているんだ」
その言葉に、私はぶんぶんと首を横に振る。
「い、いえ、私が感謝されるようなことは何も。
それよりも我儘の方が多いと思いますが」
「……なるほど。これがクレールの言っていた“自覚がないのが良いところ”なのか」
「!? そ、そんなことまでご存知なのですか!?」
私の言葉に、彼は笑って言った。
「当たり前だ。侍従達から君の評判は耳にしている。
まさか、あの気難しいクレールのことまで懐柔するとは思ってもみなかったが」
「い、言い方……」
黙っていられず思わず突っ込めば、彼は微笑みを浮かべて言った。
「いや、本当にクレールだけではなく、皆が君に来てくれて良かったと思っている。もちろん俺も。
ありがとう、アリス」
「……!」
その言葉に、胸の奥がジンと熱くなる。
そんな彼から目を離せなくなってしまう私を見た彼が、逆にギョッとしたように目を見開いて言った。
「な、泣いているのか!?」
「え……」
頬に手をやれば、確かに滴が指に付いて。
そこで初めて泣いていることに気が付いた瞬間、決壊したように涙がとめどなく溢れ出てくる。
「あ、あれ? おかしいな……」
「だ、大丈夫か?」
私より彼の方が慌てていることに気が付き、思わず笑ってしまう。
すると、彼は少し怒ったように言った。
「なぜ笑う」
「だって、私より慌てているんですもの」
「……こら」
彼がコツンと私の頭を軽く小突く。
それでも涙も笑みも止まらなくて、気が付けば本音を吐露していた。
「初めてなんです。私が誰かの役に立つことなんて」
「え……」
私は遠くの景色に視線を映し、昔を思い出すように口にした。
「私はこの通り、能力もない無力な人間なんです。
それでも、一人で生きていかなければと必死で頑張りました」
思い起こされるのは、前世を生きていた私。
この世界にいるアリスと同じように、私もまた、無力な人間だった。
仕事では残業、怒られる毎日。
息もつけないほど忙しい日々に、ただ一人耐えて、感情を殺して。それがいつしか麻痺していって、当たり前のようになっていた。
それに気付き我に帰った時、怖くて逃げるように仕事をやめて、ようやく少し楽になった気がした。
……けれど。
「今ここに来て、初めて息を吸えている気がするのです。
あぁ私、生きているんだなあって」
「……アリス」
エリアス様の声に、私は彼に向かって笑みを浮かべて言う。
「だから私、夢を叶えたいんです。花の仕事をするという私の夢。
自分のために、自分の力でこれからは生きていきたいんです」
私の言葉に、エリアス様は何も言わなかった。
(……なんて、こんな話を聞かされても困るだけよね)
そう思い、口を開こうとしたそのとき、ポツリと彼は呟いた。
「頑張ったんだな」
「え……」
パッと顔を上げると、刹那私の頭に手が載って。
驚く私に、彼は見たことのない柔らかな笑みを浮かべて言った。
「でも少し安心した。君は一人でも強くて、気高いと思っていたから。
年相応の顔が見られて良かった」
「……それ、どういう意味です?」
「気を悪くしたなら謝る。
だが、君はもう一人じゃない。俺や邸の者達がいる」
「!」
その言葉に、目を見開く。
彼は言葉を続けた。
「契約が終わったら、君の夢を応援する。
君はこれからは、君の思うように自由に生きたら良い」
「……っ」
その言葉で、肩の荷が下りたような、そんな気がして。
エリアス様が見ているというのに、今度は声をあげて泣いてしまう。
それでも彼は何も言わず、ただ繋いだ手に力を込めて。
またその手を、私も握り返したのだった。