第十五話
契約結婚から一週間。
「城下に買い物、ですか?」
私の言葉に、エリアス様は頷き言った。
「あぁ。もうすぐ夜会があるんだ」
「夜会……」
小説中、アリスが結婚してから初めて夜会へ訪れた時の、ヒロイン・ヴィオラとの出会いを思い出す。
(そういえば彼女は、自ら喧嘩を吹っかけに行っていたわね……)
思わず苦笑いを浮かべたところで、彼は恐る恐るといった風に口にした。
「そうか、君はあまり夜会には出たことがないと聞いていたな」
「あ、はい、そうですが、気乗りするしないの問題ではありませんものね。
エリアス様と契約しているんですから、仕事だと思って伺います」
「……すまない」
「貴方がお謝りになることではありません。それで、どなたが主催を?」
「……エドワール・アルドワン。つまり王太子殿下だ」
(やっぱり)
聞かなくてもそんな予感はしていたけど、と心の中でため息を吐いた。
エドワール・アルドワン。
アルドワン王国第一王子として生まれ、現在はエリアス様と同じ歳の27歳。
アルドワン王国全体を覆う“結界”、つまり魔物から国民を守る魔法を有する。そして。
(小説中ではヴィオラと婚約者になった、正真正銘の小説内におけるメインヒーロー)
ということはつまり。
(今回の夜会の主催者ということは、婚約者であるヴィオラとの接触は避けられない……!)
なるべく……なるべく関わらないようにしようと決意したところで、彼は続ける。
「君も察している通り、王家主催と言われたら断るわけにはいかない」
「ですが、逆によろしいのではないですか? 私達が契約結婚をしたのは、元はといえば殿下のご命令によるものなのでしょう?
どちらにせよ、契約期間中に私達は殿下にお会いしなければいけませんし。それに……」
「?」
チラッと彼を見て、私はわざと口角を上げて言った。
「貴方は愛しのヴィオラ様にお会い出来るんですものね」
「!?」
何も飲んでいないというのに、なぜか彼は咽せる。
(……本当に分かりやすい方)
そんな彼が否定しようと声を上げる前に口を開く。
「それで、その夜会に行くための準備をしなければならないということで、城下に行くと」
「そ、そうだが勝手に話を進めるな! 俺はヴィオラのことは」
「はいはい。では、私だけではなく、貴方もヴィオラ様に格好良いと思って頂けるような衣装を見繕わなければなりませんね」
「駄目だ、完全に無視される……」
「良いでしょう。私もその装いに合わせますわ。
それで、夜会はいつなのでしょう?」
私の問いかけに、彼は深いため息を吐きながら言った。
「ようやく話が回って来た……。そうだな、夜会は一ヶ月後だ」
「あら、まだ時間がありますのね」
「王家主催の催しだから、早めに予定が出るんだ。
そう考えると、五日後くらいに城下へ行くのはどうだろうか」
「分かりました。私はエリアス様のご予定に合わせますわ」
「助かる」
エリアス様の言葉に頷き、執務室を後にする。
待機していたララと共に歩きながら、頭の中で小説と現在を照らし合わせていた。
(エリアス様は否定していたけれど、本当の気持ちはどうなのかしらね)
そもそも今気付いたけれど、この契約結婚を一年という約束にしたのって、もしかしなくてもエドワールとヴィオラが結ばれるまでということではないかしら。
彼らの結婚は、小説中では確かヴィオラが26歳の誕生日を迎えた日に、という話をしていた。
また、即位も同時期に行うと。
(とはいえ小説をそこまで読めていないから、どうなったかは分からないけれど。でも、一年間という契約内容には当てはまるのよね)
きっとエリアス様の耳には情報が入っているだろうから、それを計算した上で契約話を持ちかけてきたのだろう。
エドワールだって、エリアスの恋心に気付いているからこそ、エリアスに結婚するよう促した。それが、エドワールとヴィオラはまだ婚約者同士だからという牽制なのだとしたら。
「……面倒くさい」
「え?」
私の呟きを聞き返して来たララに向かって答える。
「いえ、何でもないわ」
答えるために少しだけ振り返った後、また前を向いて息を吐いた。
(“恋愛”なんて、面倒くさそう)
恋をしたことがないから分からないけど。
そう結論付けたのだった。
「良い香り……。やはりここにいるのが一番落ち着くわね」
気分転換にも花が一番、と許可を得た日から欠かさず毎日来ている庭園へと訪れた。
(あれからクレールに会っていないわね)
ララは元々神出鬼没だと言っていたけれど、一日に一時間以上はいるというのに一度も会わないということは、やはり嫌われているのではと思う。
「まあ、これだけ広大だと会うことがないのも無理はないかしら」
ロディン公爵家の庭園は、五つのエリアに分かれている。
うち二エリアは季節の花、一エリアは毎年花が咲く多年草、もう一エリアは温室、そして。
「素敵ね……」
うっとりとしながら、感嘆の声を上げる。
そこは、色とりどりのバラだけが咲く薔薇園だった。
そう、ここが。
(アリスが飛び降りた場所……)
そこから上を見上げれば、アリスが過ごしていたのだろう邸の角部屋が見える。
アリスは公爵夫人の部屋には最初から通されず、嫁いだ時からその部屋に通されたと描かれていた。
(その点から、エリアスが完全にアリスと仲良くする気がないというのが分かるわよね)
だから、私がここへ来てまさか夫人の部屋に通されるとは思わなかったから驚いたわ。
(それだけ今の私が信頼されているってことかしら?)
顔を合わせれば喧嘩ばかりだけど、案外こんな生活も悪くないかもしれない。
「面倒くさいのはごめんだけど!」
そう独り言を呟き、花を観察しながら薔薇のアーチを歩いていると。
「……アリス様」
「うわっ!?」
本気で驚いて前に飛び退き振り返れば、そこにはクレールの姿があって。
「クレール、貴方いつからそこに」
「ずっといました」
「ずっと!?」
私凄い独り言を喋っていなかったかしら? 恥ずかしい……と頬を押さえる私をよそに、クレールが言った。
「……本当に、花がお好きなんですね」
「え?」
「毎日、来ているから」
彼の言葉に、私は笑って頷く。
「えぇ。だっていくら見ても飽きないもの!
ここは本当に素敵なところね。まるで天国のようだわ」
「……天国」
「もちろん、見たことはないけれどね?」
そう言って笑えば、彼は不意にしゃがむと、バラの花を一輪一輪確かめるように見ながら口を開いた。
「貴方は、魔法使いですね」
「……え?」
私のこと? 魔法も何も持っていないんだけど、と目が点になる私に、クレールは花に目を向けたまま口にする。
「邸のカーテン、替えられたんですね」
「? そ、そうね」
突然何の話かと首を傾げる私に、彼は言葉を続ける。
「それから、侍女を守った」
「し、知っているの?」
「皆が噂しています」
彼はそこで言葉を切ると、私を見上げて言った。
「皆が喜んでいました。……エリアス様も」
「!」
そう言って立ち上がったクレールの手には、一輪の真紅のバラがあって。
彼はそれを見て言った。
「貴女は、人を笑顔にする魔法使い」
そう言いながら、私に花を差し出した。
これには、私も驚いてしまいながらも言葉を返す。
「初めて言われたわ、そんなこと」
「自覚がないのが貴女の良いところ、です」
クレールの言葉に私は目を見開く。
そして、バラを指差して尋ねた。
「それ、頂いても良いの?」
「……茎が、折れてしまっていたので」
そんなクレールの言葉に、私はクスッと笑うとバラを両手で受け取ってから言った。
「ありがとう。凄く嬉しいわ」
私が礼を述べると、彼は頷いてくれる。
そんなクレールに向かって告げた。
「早速部屋に戻って飾るわね」
「はい」
私は軽く手を振ると、邸へと向かって歩き出す。
手の中にある一輪のバラを見つめ、私は心の中で喜びを噛み締めるのだった。
そんな私を見送っていたクレールの元に、小さな光が集まってくる。
その光に向かってクレールは答えた。
「そうだね。彼女自身も、まるで花みたいだ」