第五十一話
そうして笑い合ってから、女神様は「さて」と立ち上がってから言った。
「まだまだ問題は山積みね。今まで母として何もしてあげられなかった分、アリスのために一肌脱ぎましょう」
「一肌脱ぐ、とは……?」
尋ねた私に、女神様は人差し指を立てて説明してくれる。
「あなたが目指す平和のために、私も尽力しようと思うの。
魔物と人間との壁をより大きくしてしまったのは、他でもない創世の女神をはじめとした神々の責任でもあるのだから、蒔いてしまった種は私達も回収しないと。
そこでだけれど」
女神様は人差し指を立てていた手を解き、手のひらを上に向け私にその手を伸ばすと、女神様はにこやかに言葉を発した。
「アリスの身体を少しの間私に預けてくれないかしら?」
「……えっ!?」
「大丈夫、悪いようにはしないから! 貴女の“願い”を叶えるために必要なことなの。
あ、エリアスさんの身体は彼……、シュヴァに貸してあげてくれるかしら。
“創世の女神”に仕え、ロディン家に氷属性の祝福を与えた騎士の末裔よ」
そう紹介された氷の騎士神は、拳を握り胸に手を当て初めて口を開いた。
「お初にお目にかかる」
「は、はい、こちらこそ。エリアス・ロディンと申します」
自分から名乗りながら、珍しくエリアスが緊張した面持ちのなのも無理はない。だって。
(氷の騎士神というだけあって迫力が凄い……、というか大きい)
多分身長は2メートルくらいあるだろうその大きさと人間離れした美貌。どこかエリアスと似た雰囲気を感じるのは、祝福されたことと関係があるのだろうかと、神々に身体を貸すというあまりにも壮大な話に現実逃避してしまっていると、女神様はソールに向けて言葉を発した。
「ソール、あなたにはここで留守を頼むわ。
“彼”を連れてくるから待っていて」
「留守番かよ。ったく、相変わらず人使いが荒ぇ」
「どっちみち今から行く場所には選ばれし神以外は本来立ち入り禁止なのだし、これもアリスのためだと思えば大人しく待てる良い子でしょう?
……では、早速身体を貸していただくわね」
「え……!?」
軽い口調でそう口にしたかと思えば、女神様が私の手を握って……、刹那、目の前から女神様の姿が消えたかと思えば、温かく包み込まれるような心地が訪れる。
「無事に成功ね。身体の動きは私の制御下に入るけれど、話は普通に出来るわ。
正確に言えば、アリスとエリアスさんの言葉はテレパシーとなるけれど、神々には通じるから大丈夫。さあ、行きましょうか」
『い、行くってどこへ?』
怒涛の説明の合間になんとか尋ねた私に、女神様は騎士神を伴い歩き出しながら言う。
「あなたの望みを叶えるために必要な場所よ」
女神様の言葉にエリアスの『まさか』という呟きが聞こえる。
その“まさか”が何なのか、お花畑の地面からポッカリと空いた穴の存在を見たところで血の気が引いた。
『そのまさか、ですよね……?』
「うふふ、残念ながらあちらへ行くにはこれしか道がないから……、行くわよ!」
女神様と騎士神が同時に地を蹴る。
『『きゃーーー!?/わーーー!?』』
身体を貸してしまっている私達には躊躇する隙も与えず、頭から真っ逆さまへ、空中に投げ出され落ちていく。
あまりの恐怖に一言も言葉を発することが出来ないでいる内に、あっという間に地面が近付いてきて……。
(っ、ぶつかる!!)
咄嗟に目を閉じようとしたけれど閉じられない私の視界に映ったのは、伸ばされた私の手に見たことのない豪奢な金色の杖が握られている光景で。
女神様はその杖を手に、言葉を発した。
「異界の門よ、開きなさい!」
そう命じると地面に扉が現れ、私達は開いた扉の先、真っ暗な空間へさらに落ちていって……。
『っ、ここは……』
私の言葉を引き継いだ女神様は、頷き答えた。
「ここは魔界。魔物達が棲む世界よ」
『魔界……』
「えぇ。天界はずっと日が登っているけれど、ここは夜の世界。太陽の代わりに月が出ているの」
『……綺麗』
思わずポツリと呟いた言葉に、女神様も同意するように頷く。
“魔界”と言われると、もっと暗くて怖い世界を想像していたけれど、今私が見ている世界は人間界の月夜と何ら変わらない……、それどころか美しく幻想的な光景が広がっていた。
(……やっぱり偏見は良くないわよね)
改めてそんなことを考えていると、女神様はキョロキョロと辺りを見回してから「いたわ」と呟き、急降下を始める。
(い、いたって何!?)
説明を求めようとしたけれど、急降下したことで女神様が言っていた“彼”の姿を視界に捉える。
その人は、私達に気が付くことなく月が幻想的に映し出された湖の畔で眠っていた。
「……やはりね」
女神様の独り言に怒気が孕んでいるのを感じ取ったのも束の間、女神様は不意に杖を振りかぶる。
『め、女神様!?』
『な、何を……!?』
私とエリアスが同時に声を発したけど、女神様は迷うことなく杖を振り上げたままその人目掛けてグングンと下降し、そして……。
「起きなさああああああああい!!!!」
「へぶぅ!?」
見事その杖は、眠っていたその人のお腹に命中したのだった…………。
「お、帰って来た」
呑気な口調でそう言ったソールの言葉に、返す気力もなく身体を返してもらった私達はその場で膝をついた。
「目がチカチカする……」
「あ、頭も痛い……」
私とエリアスの言葉に、頭上から「情けねぇなあ」というソールの声が降ってくる。
(だって、天界から飛び降りて地上どころか魔界へ真っ逆さま、そして帰りはその逆戻りよ!?
目を瞑ろうにも瞑れないから生きた心地がしなかったわ……!)
という反論も口に出せずにいる私の身体が温かい光に包まれ、みるみるうちに体力が回復していく。
見上げると、女神様が杖から私とエリアスに魔法をかけてくれていた。
「ごめんなさいね、尽力すると言いながら無理をさせてしまって。女王である私とその騎士であるシュヴァは、神を統べる者として行動を制限されているから、天界の外への行き来が自由に出来ない。
だから、身体だけ貸してもらって乗り移れば、まあギリギリ許されるだろうと思って」
「そ、そうなんですね……」
「気分はどう?」
「はい、おかげさまで治りました」
エリアスも「ありがとうございます」とお礼を言いながら立ち上がると、私の手を引いて起こしてくれてから、違う方に目を向けて言った。
「それで、魔界から連れてきたその方は一体……?」
おずおずと尋ねたエリアスに向かって、ソールが「はあ!?」と女神様に声を上げる。
「まだ説明してなかったのかよ!?」
「あら、私としたことがごめんなさいね。怒りでつい、我を忘れてしまったわ」
「そういう問題なのか……?」
「まあまあ、気を取り直して」
女神様はパチンと手を叩くと、“彼”を指し示して言った。
「この人が、魔界を統べる闇を司る神であり、魔物を支配する責任者のノアよ。
別名“魔王”と呼ばれているわ」
「「……え」」
またもや同時に声を上げた私とエリアスは顔を見合わせ、思わず固唾を飲んでから“魔王”と呼ばれたその人を見やる。
そして、先ほど女神様に物理的に叩き起こされたその人は、紫がかった黒髪と同色の瞳をまだ眠そうに細めて言った。
「ボクは闇の神、ノア。魔王、とも呼ばれてるよぉ……」
そう言って闇の神であるノア様は、ふにゃりと魔王らしからぬ笑みを見せたのだった。