第四十九話
「あなた方が既に知っている歴史と実際にあった歴史とに相違はあまりない。
けれど、人間が自分達の都合の良いように、勝手に創り出してしまった“歴史”というものは、確かに存在する」
「「勝手に創り出してしまった?」」
思わず口にした言葉は、エリアスと重なって。
女神様は「本当に仲が良いのね」と上品に笑ったのと同時に、地面から蔓に絡まった書物が現れる。
奇想天外な魔法に思わず凝視してしまった私の隣で、エリアスが呟いた。
「記録書……」
エリアスの呟きに、以前王城で私の魔法を初めてエドワール殿下とヴィオラ様にお話しした時に説明を受けた、書物の存在を思い出す。
女神様はエリアスの言葉に頷くと、絡まっていた蔓が解けた記録書を手にして言った。
「そう、確かにあなた方の世界ではそう呼ぶのよね。
けれど私達は、この書物を“創世記”と呼んでいる。
そして、あなた方が持つ“記録書”と大きく違う点は、この書物は世界が創り出されたところから今まで紡いできた何千年もの歴史を、書物にかけられた魔法によって今もなお絶え間なく刻み続けているということ……」
「「!」」
刹那、創世記が宙に浮き、ひとりでにパラパラとページがめくられる。
そして、私達に見せるようにして書物が開くと、淡い桃色と緑色の光を纏った女神様がその箇所を誦じた―――
嘗て世界は、人と人ならざる者が共存していた。人はまだ魔物が棲家とする魔界の存在を知らない世界。
ある日、人々の周りで異変が起き始める。
それは、大きな災害となって人々に襲いかかった。
人々はいつしか、その天災を機に人と人とが争うように、終いには、魔物の所為にし始める。
魔物は悲しみ、人間を恨みながらも嫌いにはなれず、いつしかその存在を魔界へと移し、人々の前から忽然と姿を消した。
だが人間を憎んだ一部の魔物は、魔界から人間界へ度々訪れ、悪さをするようになった。
そんな魔物達を恐れ慄いた人間達を見かねた神々は、二つの力を特別な人間に授けた。
一つ目が魔術。魔物を魔界へ返す役割を担うことが出来る力を授けた。
二つ目が祝福。妖精や神の目によって選ばれた、人間と魔物を繋ぐ役割を担う見込みがある者だけに授けられる。
そこまで口にした女神様の周りから、光が消える。
同時に、書物はそのページを開いたまま、ふわりと机の上に音もなく着地した。
その光景に、内容に驚いている私達に向かって、女神様は説明した。
「簡単に言うと、かつて……二千年ほど前は、人間と魔物は共に暮らしていた。
けれど、天災や人災が度重なったことで、人々はそれが不思議な力を持っていた“魔物”のせいではないかと疑うようになり、疑われた魔物達は元々の居場所だった“魔界”へと還った。
しかし、それを受け入れられなかった魔物達が人間を攻撃したことで、見かねた神々が魔物達から身を守る術として、勇敢で正義感の強い人間に“魔術”を、そして、種族関係なく渡り合うことが出来ると判断した者には“祝福”を与えることにした。
これが、あなた方の言う“魔法使い”の始まり」
女神様の説明に息を呑む。
エリアスは顎に手を当てながら尋ねた。
「……つまり、俺達が習っていた歴史で魔物を“悪”としていたのは、元は天災や人災を人が魔物のせいだと勝手に決めつけたところから始まり、全てを魔物のせいにして魔物の追放を正当化した、人間が勝手に創り出してしまった歴史、ということになるのですか」
「えぇ、そういうことになるわね」
女神様の言葉に、繋いでいない方の手で拳を握る。
(やはり、魔物は“悪”などではなかった……)
そんな私に気付いた女神様は、首を横に振る。
「きっとそれは、仕方がないことだった。……誰しも、嫌なことが起きれば何かのせいにしたくなる。
魔法という概念がない世界で、近くにいた魔物達が不思議な力を使っているのを目の当たりにしていれば、人間が疑うのも不思議ではなかった。
だからこそ、埋まらない溝は、神々が同様の力を分け与えることで手を貸すほかなかった」
「……一つ、お尋ねしても良いですか」
エリアスの発言に、女神様は「えぇ」とその先を促す。
エリアスは私を見やってから、女神様に向かって尋ねた。
「魔物が魔法使いを特別に憎む理由は分かりました。
ですが、その中でもどうしてアリスだけが……、正確に言えば、アリスが持つ“癒しの力”の使い手だけが特別に敵視されているのですか」
エリアスの質問に女神様が私を真っすぐと見つめ、少し逡巡してから口火を切った。
「……魔物が悪さをすることを見かね、神々が人間に魔力を分け与えたと言ったわよね。
その指示を出したのが、二代前の花の女神であり、あなた方の言う“創世の女神”。
その名の通り、この世界の創造神である神が私のおばあさまであり、アリス、あなたにとっては曽祖母にあたる神こそが、二千年も前に魔物を諌め、人間から引き離した全ての元凶となった。
だからこそ、魔物達がその血を受け継ぐあなたを特別に憎んでいるの」
「創世の女神……」
以前エリアスが話していた“創世の女神”という名称を聞いて呟いてみたけれど、自分のことを説明されているのに、ほとんど何も頭に入ってこない。
まるで自分ではない誰かの話をされているような、そんな感覚を覚える私に気付いたソールが、頬杖をつきながら尋ねた。
「……大丈夫かよ?」
「大丈夫、ではないかも……」
(だってあまりにも、事が大きすぎて……)
頭を抑える私に、女神様は尋ねる。
「……“癒しの花畑”に連れてきて英気を養ったとはいえ、こんな話を急にされても混乱してしまうわよね。
やはり一度しっかりと休んだ方が良いかしら」
女神様の言葉にハッとし、慌てて首を横に振る。
「い、いえ、大丈夫です。話を続けないと時間が……、そうだ、人間界にいる皆は? 魔物はどうなったのですか!?」
何よりも大事なことを忘れていたと青褪め、立ち上がった私をソールは「落ち着け」と制して言った。
「大丈夫だ。人間界の時間は止まっている」
「止まっている……!?」
呆然と呟く私に、女神様が捕捉してくれる。
「そう。ソールに時間を止めてもらっているの。
“運命”の力を使ってね。
……神々の間では時を操るのは禁忌とされているけれど、まあ、神々があなたにしたことに比べれば可愛いものよ」
「私に、したこと……?」
また新たな情報が出てきたところで、ソールが割って入る。
「あーやめだやめだ。一度に詰め込んだって訳わかんなくなるだけだろ。
やっぱりお前、一回休め。話はそれからだ」
ソールの言葉に首を横に振ると答える。
「ありがとう。でも、こうしている今もソールに“時を止める”という大掛かりな魔法を使わせてしまっているのは、ソールにとっても皆にとっても良くないことだと思うの。
だから、今私にできることは、この状況を早く理解して、その上で今後魔物との関わり方も含めてどうすべきか検討したい。
私に出来ることを、模索したいの」
「……アリス」
ソールは目を丸くしてからフッと笑って言った。
「本当、お前は変わんねぇな。……まっすぐすぎて危なっかしいところとか、何も変わんねぇ」
ソールがまるで、懐かしむように遠い目をして微笑む。
いつもは見せない柔らかな色を湛えた深い青色の瞳の奥で何を考えているのか。
知りたくて尋ねようとするよりも先に、女神様が言葉を発した。
「分かったわ。あなたの意見を尊重しましょう。
……勇敢で、どんな困難にも立ち向かえるあなたを咎める者など、もはやどこにもいない。
だってあなたは、その小さな身体で、神々にさえ成し遂げられなかった無理難題を解決すべく、自らを犠牲にしてまで奔走したのだから」
「無理難題……?」
首を傾げた私に、女神様は息を吐き長いまつ毛を伏せると続けた。
「あなた一人に全てを背負せてしまった私にできることの一つは、あなたにその経緯の全てを教えること。
なぜあなたを生んだにもかかわらず、ずっと一人きりにさせてしまったのかを……」
女神様は長いまつ毛を伏せ、悲しげに、静かに言葉を紡ぎ始めたのだった。