第十九話
魔物は結界関係なくどこからでも現れる。
そんな王太子殿下の言葉に衝撃を受け、私とエリアスが言葉を失ってしまっていると、王太子殿下が息を吐き説明を続ける。
「私達が学園時代に魔界を封印した際は、学園の上空の結界そのものが破られたため、魔物が学園に侵入してきた。
つまり、侵入してきた魔物を殲滅し、破られたその結界を張り直すだけで済んだ」
「ですが、それでも苦戦を強いられたとお聞きしております」
思わず口にした私に、王太子殿下は頷く。
「そう、それでも十分私達は苦戦を強いられた。
ヴィオラの光属性で魔物を弱らせ、リオネルに依頼した魔剣に魔法を宿し、エリアスを筆頭に生徒が一丸となって魔物を殲滅、その間に私が結界を張り直したんだ」
その内容は、小説中でも描かれていたため知っている。
学園編の終盤の第五巻、私が読んだ中では少なくとも『とわまほ』で一番のメインイベントといっても過言ではないだろう。
だけど。
(こうして小説ではなく、目の前でその人自身に語られていると思うと、一気に現実味が増して背筋が凍る……)
しかも、今私達が置かれている現状は。
「それとは比べられないほどに今、国に危機が迫っている。
魔物がいつどこに現れるか予測不能であり、日に日に強さが増しているとの報告も受けている」
暗い表情でそう口にした王太子殿下に向かって、意を決して尋ねる。
「だから私を……、魔物が私の前に現れやすいからご招待なさったのですよね」
そう臆することなく口にすれば、王太子殿下は驚いたように言う。
「……気付いていたんだね」
「はい。この状況ですから」
私の言葉に、エリアスが隣から口を挟む。
「現状が思わしくないことは分かった。だが、お前のやり方は姑息だ。
アリスを囮にし、人の妻を危険に晒すことがお前のやり方なのか」
「エリアス!」
慌ててエリアスを諌めようとする私に、王太子殿下は首を横に振った。
「いや、良いんだ。その通りなのだから。
……分かっている。私も、古くからの親友の奥さんに、こんなことを頼むべきではないと。
だからこそ素直に頼めば、きっとエリアスは断ってくるだろうと思った。
二人は、夫婦という言葉では表せないほど、強い絆で結ばれているように見えるから」
「「……!」」
思わぬ言葉に私達は顔を見合わせる。
(夫婦という言葉では表せない、強い絆……)
「二人の仲を引き裂こうだなんて微塵も思わない。
だけど、二人の協力が頼みの綱だった。
浅はかだと、自分でも思う。王太子として失格だと。
どうか、許してほしい」
そう言って頭を下げた王太子殿下を見て、私は悲鳴交じりに声を上げる。
「お、王太子殿下! お顔をお上げください! 私は怒ってなどおりません」
「いや、しっかりと反省しろ。たとえアリスが許しても、俺は心から許すことなど出来ないからな」
「エリアス……!」
「アリスに何かあったらどう責任を取るつもりだ。怪我は魔法で治すことが出来たとしても、一度死んだら魔法で蘇らせることは出来ない。そもそもアリスに一ミリでも怪我を負わせようものならお前を魔界に」
「わーわーわー!?」
王太子殿下相手にとんでもないことを言い出しかけたエリアスの口を慌てて塞げば。
「っ、ふ……」
目の前にいた王太子殿下が吹き出す。
それを聞いて眉間に皺を寄せたエリアスを見て、王太子殿下はもう一度謝ってから口にした。
「違う、おかしくて笑ったわけではないんだ。
ただ、エリアスのそんな姿を見られるようになったとは思わなくて」
「そんな姿とはなんだ。それにまだ話は終わって」
「そ、そんな姿って何ですかっ?」
とりあえずエリアスがまた何か言い出さないうちに話題を逸らそうと、私が王太子殿下の話を広げようと話を促したのが余程気に食わないのだろう。隣から、物凄い視線を感じるから。
その方向を見ないでいる私に、王太子殿下は言った。
「エリアスの幸せそうな顔だよ。幼い頃から一緒にいた私でも、そんな顔は見たことがない。
間違いなく、君のおかげなんだと思う。
ありがとう、アリス嬢……、はおかしいな、夫人というべきだろうか」
王太子殿下の言葉に慌てて首を横に振る。
「い、いえ! アリスとお呼びくださ」
「駄目に決まっているだろう」
「きゃ!?」
エリアスに不意に腰を抱かれ、その場から立たされる。
不満げにへの字に口を曲げ、私の腰を抱いたまま彼は王太子殿下に向かって言った。
「……今日だけだ。俺と共にいる」
「っ、それじゃあ」
「だが覚えておけ。アリスに万が一怪我を負わせたら本気でお前を魔界へ送還してやる。それと」
エリアスは更に私の腰を抱く腕を強めると、強い口調で言った。
「アリスの名を気安く呼ぶな」
「っ……!」
何を言っているんだこの人は! と開いた口が塞がらないでいる私の手を取ると、強い力で私の手を引いて部屋を後にする。
「……アリスもだ」
「えっ?」
驚き顔を上げれば、私に目を向けることなくエリアスが口にする。
「君が少しでも怪我をしたら一切魔物の件には関わらせず家に居てもらうからな」
「……嫌よ」
「は!?」
エリアスがようやくこちらを見やったことで目が合った私は、笑みを浮かべた。
「言ったでしょう? 魔物との新たな関係性を見出すためにも私と一緒に戦ってほしいと。
あなたが戦う時もそれは同じ。あなた一人で戦わせはしない。
エリアスがいるところに、私もいるわ」
「っ、アリス……」
エリアスが守ってくれるのは確かに心強いし、嬉しい。
だけど、守られているだけのお荷物になるのはいや。
この魔法を授けられたということは、私にも戦える武器を神様と妖精が与えてくれたのだ。
それに、ここまで状況が悪化している今、私の魔法が役に立つ、あるいは必要な時が来るかもしれない。
何より、本当に今夜魔物が私を襲ってきたとしたら。
間違いなく私は魔物と対峙しなければいけなくなる、そんな予感がする。
(この魔法の効果を隠し通せるのも、正直時間の問題だということも、王太子殿下とお話しして感じた)
だからもし、その時が来たら。
「一人で戦おうとしないで」
「……!」
分かっている。エリアスは優しい人だから、あんな憎まれ口を叩いても王太子殿下を見捨てはしない。
彼は王太子殿下と共に剣を取り、盾となるような人だから。
「私も、連れて行って」
私も魔法使いとなったことで、一緒に戦うことが出来るのだから。
視線を逸らすことなく真っ直ぐと彼を見上げ、繋いだ手に力を込める。
そうしてじっとエリアスの言葉を待てば。
「……はあーーー」
「!?」
エリアスは私の手を引き寄せ、私の頭に顎を乗せて盛大に息を吐く。
急なことに驚いていると、エリアスは私の頭の上で言った。
「いつも思うことだが、君は絶対に素直に守られてはくれないな」
「あら、今更気が付いた?」
「まさか。ずっと前から知っていた。俺は、そういう君を好きになったのだから」
そう告げてからエリアスは顎を乗せるのをやめると、代わりに私の顎を持ち上げ、視線を合わせると言った。
「それなら、俺がやるべきことは勇敢なお姫様を守る騎士の役目だな」
「! ……ふふ、あなたがいてくれれば無敵ね」
「あぁ。期待しておいてくれ」
その言葉に迷うことなく頷き、クスクスと笑う私にエリアスは「それと」と言葉を続ける。
「エドワール相手に謙遜しすぎだ。君は優しすぎる。もっと怒れ」
「王太子殿下お相手にそんなことが出来るのはあなたくらいだわ。
……それと、あなたはやっぱりやきもちを妬くのが些か早い気がするのだけど」
嬉しい反面、色々な意味で心臓に悪いと苦言を呈せば。
「そうだな。俺は、君に関しては独占欲が強い。
そして、君はそんな俺を好きになったのだから、良い加減諦めてくれ」
「……ひ、開き直った……!」
不意打ちの発言に頬が熱を帯びていくのを感じながらやっとの思いで反論した私に、エリアスは悪戯っぽくも幸せそうな笑い声を上げた。