第十話
「待て待て待て」
手元から顔を上げたエリアス様は、焦ったように口を開いた。
「俺の部屋までカーテンを替えるなんて聞いてないぞ!?」
よく見ると、彼が持っている紙、もとい私が提出したカーテンの色と配置図を示した企画書を持つ手が震えている。
それを見て、仕方がない人ね、と笑いながら私は答えた。
「ご心配なく。エリアス様のお部屋には、私は一切見ても入ってもおりません。
よって、そちらに記載した企画案の殆どは、邸の者達の意見を参考に作成させて頂きました」
「!? いつの間にそんなに使用人達と仲良くなっているんだ……」
「カーテンを一斉に取り替えたいと伝えたところ、皆さん快く協力して下さいました。きっと思っていたんですよ。
『黒カーテンしかこのお邸にはないのか』と」
盛大な嫌味にはさすがに気が付いたらしい。
彼は眉間に皺を寄せると言った。
「……あまり調子に乗ると、この話は反故にするぞ」
「あら、良いんですの? 私は私の分をお金で購入出来ますが、一度決めた約束を破った場合、使用人達からの信頼はだだ下がり、そして永遠にこのお邸は“幽霊屋敷”という不名誉な名前で呼ばれ続けるのですよ?」
「……!」
刹那、彼は鋭い瞳で私を睨みつけた。
そんな彼に向かって、一つため息を吐くと口にした。
「そんなに黒カーテンに愛着があるというのでしたら、ご自身のお部屋は無理に替えられなくても構いません。ですが」
「!」
私はそこで言葉を切ると、丁度彼の執務机の近くにあった窓を覆っている黒カーテンを、シャッと勢いよく開ける。
すると、隠れていた窓から眩いばかりの太陽の光が、どこか薄暗かった部屋を温かく照らし出す。
そして振り返ると、その光景を見て眩しそうに目を細めていた彼に向かい、笑みを浮かべて言った。
「私は是非、替えることをおすすめ致します。
こんなに明るく輝いている光があるというのに、目を背けてしまったら勿体ないと思いますもの」
「……!」
そう言ってカーテンをそのままに扉の前まで移動し、「失礼します」と淑女の礼をしてから部屋の外に出ると。
「いかがでしたか……!?」
待機していた侍女のララの期待するような瞳と声に、思わずクスッと笑ってしまいながらも、廊下を歩き始めながら答えた。
「私達のカーテンは替えてもらえそうよ」
「やったー!」
「ただ、エリアス様の部屋のカーテンをどうするかは、彼次第でしょうけど」
「えー、絶対替えた方がよろしいですよね!
どう見ても、邸中全てこんな黒カーテンだなんて悪趣味にも程がありますって」
「ほー、侍女が堂々と主の悪口か?」
「わ!?」
後ろから声をかけられたララが飛び上がって驚く。
そして現れたエリアス様を見て、慌てたようにお辞儀をした。
そんな彼女を横目に、エリアス様に向かって口を開く。
「いきなり現れて驚かさないでくださいませ」
「侍女と、俺の悪口に花を咲かせていた割に、君は全然驚いていないがな」
「だって、悪口ではなく真実を語っていただけですもの」
「……あ?」
「何か文句でも?」
私の言葉に、彼が黒い笑みを浮かべて返す。
「あぁ、君に言いたいことは山ほどある」
「はい、何でしょう?」
「はっきり言わせてもらうが、君は一体何なんだ! 俺に対して遠慮がなさすぎるだろう!?」
「あら、これでも遠慮しておりますのよ?」
「ど・こ・が・だ!!」
「……ふふふっ」
不意に笑い声が聞こえてきてその方向を見れば、ララがクスクスと笑っていた。
そんな彼女を見て、エリアス様がムスッとしながら尋ねる。
「何がおかしい」
「いえ、本当に仲がよろしいなと思って」
「「どこが!」」
「そういうところです」
ララの言葉に互いに顔を見合わせ、同時にふんっとそっぽを向く。
更にララは言葉を続けた。
「本当ですよ。公爵様が邸の者以外に素を見せているところを初めて見ました」
そんな彼女の言葉に、私はわざと彼に向かって尋ねる。
「そうなんですか?」
「! ……っ、そんなことはない!」
尋ねた私に対し、彼はそう言って踵を返して行ってしまう。
(……結局何をしに来たの?)
執務室へと戻っていく彼の背中を見ていたら、急に彼がバッと効果音でもつきそうなくらいの勢いでこちらを振り返る。
そしてなぜかまた戻ってくると、私の前で立ち止まった。
「まだ何か?」
思わず身構える私に対し、彼は少し逡巡した後口を開いた。
「……“幽霊屋敷”」
「は?」
突然何を言い出したのか分からず、怪訝な顔をして首を傾げる私に対し、彼は意を決したように口を開いた。
「君に言われて初めて知った。邸の評判は、領民にも社交の場にも関わる。だから、その……」
ありがとう。
ほんの小さく呟かれた言葉に、私は僅かに目を見開いた後、言葉を返した。
「お礼を言われるほどのことではありません」
「え?」
視線を彷徨わせていた彼がこちらを見る。
そんな彼に向かって言った。
「だって、私が住みやすいようにという配慮があってこその提案ですもの。
……黒いカーテンにガーゴイルではちょっと、ねぇ?」
そう言いながら頬に手を当て悪戯っぽく笑ってみせれば、彼は案の定言い返してくる。
「よく分かった。君はいちいち根に持つタイプだということを」
「そんな私を(契約)妻に迎えようとしているのは貴方でしょう?」
そう返し睨み合うと、互いにふんっと顔を背けた。
そして今度こそ、別れて歩き出す。
「……ふふっ」
思わず笑みを溢した私を見て、ララが驚いたように尋ねた。
「いかがなさいましたか?」
「いえ、何でもないわ」
本当は少しだけ、彼と話している間に思ってしまったのだ。
小説の中の“アリス”も、こんな風な関係を……、何でも言い合える仲になりたかったのではないかと。
けれど、“アリス”は分からないなりに頑張って、その方向性を間違えて空回って、そして上手くいかなくて絶望した。
(“アリス”は失敗した。けれど、私は間違えない)
必要以上に彼に心を許す気はない、許してはいけない。
そんなことを考えながら歩いていると、ララが口を開いた。
「私、アリス様にお礼を申し上げたかったのです」
「えっ?」
ララの予期せぬ言葉に驚く私に、彼女は笑みを浮かべて言った。
「先程も申し上げた通り、公爵様が素をお見せになるのは邸の者の前だけでした。
それも、殆ど見せないことが多くて。
だから、あんなに表情を変えられるのを見たのは今日が初めてなので、とても驚いております」
その言葉に小説の設定を思い出す。
(確かに、女性嫌いで同性の友人も少ない無表情の塊、さらには氷魔法を使えるということもあって、“氷公爵”とかいうそのままな感じで呼ばれているのだっけ)
そんなことを思い出している間にも、ララの話は続く。
「もう既にご存知かと思いますが、公爵様の生い立ちはそれはもう複雑なんです。
その上、実のご両親である前公爵ご夫妻を、何の前触れもなく突然亡くされていらっしゃるのですから」
エリアス様のご両親。彼らは小説中、事故で亡くなったという描写があった。
(確かあれは、彼が公爵家を継ぐきっかけとなった話で、魔法学園を卒業後すぐのことだったから……、彼が19歳くらいの時だったかしら)
ララは視線を落として続ける。
「公爵様が爵位を継がれた時、それは痛ましいほどでした。公爵様は何もかも忘れ去ろうとしているかのように、ご公務に没頭されていらっしゃったのですから」
そうなってしまったもう一つの原因を、私は知っている。
それが他でもない、“ヴィオラ・ノルディーン”……、ヒロインに失恋して失望していた時期と重なってしまったからだ。
小説の内容とララの話を頭の中で照らし合わせながら、黙って聞く私に対し、「ですが」とララは笑みを浮かべて言葉を発した。
「今日お二人の会話をお聞きして確信しました。
……これは絶対に、運命の出会いなのだと!!」
「は?」
思わぬ話の展開に、目が点になる。
ララはそんな私を置いてけぼりにしたまま、嬉々とした表情で話し出す。
「だってあの公爵様がですよ!? あれほど女性も結婚に対しても頑なに拒否していたお方が、まさか結婚だなんて!
今から本当にお二人の結婚式が楽しみだと、邸中の者が歓喜しております!」
(……何てこった)
私、そこまで期待されているの……?
ララがその後もハイテンションで何か話しているが、私の耳には全く届かない。
そんなことよりも、真っ先に思ったのは。
(契約結婚だなんて安易に引き受けなければ良かった!!)
こうして契約期間一日目は、早くも後悔の念と、これから更に面倒ごとに巻き込まれていくであろう予感に、げんなりとした気分になったのだった。