第九話
「……うん、大丈夫そうね」
最後の点検を終えると、大きく伸びをする。
時計を見れば、もうすぐ日付が変わる時間帯となっていた。
「もうこんな時間!」
私は慌てて部屋を出て廊下を足早に歩き、自室……ではなく、隣の部屋の扉の前に立つ。
そして息を吸うと、意を決して扉をノックした。
中から返事はなく、もう寝てしまったかなと残念に思いながらも踵を返そうとしたその時、ガチャリと目の前の扉が開き、顔を出したのは。
「アリス?」
驚いたような顔をするエリアスの姿があって。
私は笑みを浮かべると、口を開いた。
「夜分遅くにごめんなさい。どうしても、一言だけ伝えたいことがあって」
「伝えたいこと?」
首を傾げるエリアスに向かって息を吸うと……。
「お誕生日おめでとう」
そう噛み締めるように口にして微笑めば、彼はポカンと口を開けたまま固まってしまう。
「……エリアス?」
さすがに沈黙が長すぎると、恐る恐る顔を覗き込んだ私に、ようやく彼の瞳に光が灯ったと思ったら。
「きゃっ!?」
ガバッと彼に抱きつかれ、驚いてしまう。
そうしたことで、彼の肩が震えていることに気が付いた私は、その背中に手を回してポンポンと叩きながら口を開く。
「この後寝て朝起きたら貴方に会えるし、夜は皆を招いてのお誕生日パーティーもある。そう思ったのだけど……、私が一番に貴方に伝えたかったの。驚いた?」
その言葉に、彼は涙声で口にすると。
「あぁ、とても……」
「嬉しく、ない?」
「まさか。君から祝ってもらえるだけでも嬉しいのに、まさか、一番最初に君から祝ってもらえるなんて最高の誕生日だ」
「……っ」
急に饒舌になった彼に頬が熱くなる。
この体制もとても恥ずかしいけれど、顔を見られなくて良かったかも、なんて思いながら呟いた。
「……良かった」
そう口にしてから、彼の体温に身を委ねるように瞼を閉じて言葉を紡ぐ。
「私も、お誕生日はいつも一人だったから、花祭りの日、エリアスや皆にお祝いしてもらえたことが本当に嬉しかった。
だから、少しでもお返しをして、それで喜んでくれたら嬉しいなと思って」
「……そんなの、いつももらっている」
「え……」
思わぬ言葉に顔を上げれば、彼は涙に濡れた睫毛をそのままに、微笑みを浮かべて言った。
「君が俺のそばにいてくれること。
それ以上に、幸せなことなどない」
「……!」
私が、そばにいることが彼にとっての幸せ……。
「アリス?」
今度は私の方が息を呑んでしまっていると、エリアスに顔を覗き込まれる。
その瞳に私が映っているのを見て思わず泣いてしまう。
「ア、アリス!? どうして泣いているんだ!?」
「違うの……」
貴方の優しさが、胸に沁みて。
こんなに心を震わせるのは、いつだって貴方だけだと。
(エリアスに幸せをもらっているのは、いつも私の方)
だから。
「……エリアス」
私は涙を拭ってから、顔を上げて彼の瞳と視線を合わせて告げた。
「お誕生日パーティーの時に貴方に話したいことがあるの。聞いてくれる?」
エリアスは少しだけ目を見開いた後、やがて微笑みを浮かべて頷く。
「あぁ。君の話なら、いくらでも」
エリアスと別れ、自室へと戻った私は、机の引き出しを開ける。
そこから取り出したもの……エリアスへの誕生日プレゼントをそっとなぞりながら口を開いた。
「……喜んでくれるかな」
「喜ぶに決まってるだろ」
「!」
少し開いた窓の枠にチョコンと座っていたのは。
「ソール……」
黒猫の姿をした彼の姿で。
彼は私の手元……エリアスへの誕生日プレゼントをじっと見つめながら言う。
「あいつにあげるんだろ? あいつなら、何でも喜ぶに決まってる。
というか、お前から贈られるんだから喜ばないなんてありえねぇ」
「……ふふっ」
久しぶりに聞くソールの軽口に思わず笑ってしまうと。
「大丈夫なのか」
「え?」
不意に尋ねられ、首を傾げれば、ソールは窓の外に広がる空と同じ色をその瞳に宿し、じっと私を見つめて続けた。
「お前の決断は、それで本当に大丈夫なのか。引き返すなら今のうちだぞ」
ソールに指摘された意味を何となく悟った私は、ソールから視線を外し、代わりに夜空を見上げて口にする。
「……分からないわ」
「え?」
「もしかしたら私が出す決断は、最善かもしれないし、最悪かもしれない。
でも、これだけは言える」
私はソールに目を向けると、小さく笑ってはっきりと言った。
「もし私の下す決断が最悪だったとして、それによってどんな未来が待ち受けていたとしても、私は後悔しない」
その言葉に、ソールが黙り込む。
しばしの沈黙の後、彼はため息交じりに口にした。
「……ったく。お前は本当に、救いようのないバカというかお人好しというか」
「……ごめんなさい。貴方にも迷惑をかけてばかりだものね」
エリアスと出会えたのは、他でもないソールのおかげだ。
ソールが私を転生させてくれたから、私はここにいる。
口は悪いけれど、私のことを気にかけ、助けてくれる。
そんなソールに、私は甘えてばかりだと目を伏せると。
「ばーか」
「っ、いだっ!?」
いつの間にか人間の姿になった彼に、額にデコピンされる。
咄嗟に文句を言おうと顔を上げて……、月明かりに照らし出された彼の表情を見たら、言えなかった。
そうして固まってしまう私をよそに、ソールは小さく笑い、ギリギリ聞こえるくらい小さな声で言葉を発した。
「……今度こそ、幸せになれよ」
「……!」
そう言い残し、黒猫の姿に戻ってヒラリと窓の外へ飛び立っていく。
そんな言葉と彼に向けられた表情に、胸がギュッと苦しくなり、目からは涙がこぼれ落ちる。
そして、胸の前で両手を握りしめ、そっと紡いだ。
「ありがとう」
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次話よりいよいよ、二人の関係性が大きく動くエリアス誕生日パーティー編が始まります!
アリスとエリアスをこれからも見守っていただけたら幸いです。
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『一度人生を諦めた悪役令嬢ですが、目が覚めたので気弱な自分とおさらばいたします!』
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