第七話
「どうして待っていると言ったのに離れたんだ!」
場所を変え、先程座っていたところまで戻った私の目の前にいるのは、いつになく怒っているエリアスで。
そんな彼の表情を見て、私のことを心配してくれて怒っているのだということに気付き、素直に謝る。
「ごめんなさい……」
そう謝罪の言葉を口にしたというのに、彼はなぜだが黙ってしまったため、余程怒らせてしまったかと恐る恐る名前を呼ぶ。
「エリアス?」
「あ、いや……、君でも素直に謝ることがあるんだなと」
「どういう意味!?」
「な、何でもない。だが、気を付けてくれ。いくら指輪の力を借りて君がどこにいるのか分かると言っても、仔細な位置が分かるほど性能は良くないのだから。……それに」
「!」
彼が座っている私の前で跪く。
そして、見上げるようにじっと私を見つめて言った。
「先ほどのように君にもしものことがあったら、俺は自分を許せなくなるから……、だから、せめて俺を頼ってほしい。俺では、頼りにならないかもしれないが」
「そんなことはないわ!」
「!」
エリアスの自嘲めいた発言に声を上げるも、必死すぎて自分でも大きな声を出しすぎたことに気が付き、慌てて少し声を潜めて言う。
「あの時は必死で……、追いかけなければと思って身体が動いてしまっただけだから。
エリアスが頼りにならないとか、そういうことではないのよ」
「……アリス」
そう名を呼び、こちらを見つめるエリアスを見て何だか落ち着かない気持ちになっていると。
「わんっ!」
「「!」」
その声に弾かれたように二人で声を出した主の方を見る。
それは、紛れもない先ほどの子犬……光を纏った魔物の姿で。
「……まだいたのか」
エリアスの呟きに、魔物は首を傾げる。
そんな姿を見て、私は口を開いた。
「ねえ、エリアス。この子は初級魔物で間違い無いでしょう?」
「あぁ、間違いない。発している魔力量も微量だからな」
「どうして、こんな昼間から街中に?」
その言葉に、エリアスが逡巡した後口を開く。
「そうか、君はここ一ヶ月この国にはいなかったからな」
ここ一ヶ月。それは、私が天界へ行っていた時のことを指しているのだと分かり、戸惑いつつも続きを促せば、彼は子犬の姿をした魔物に視線を落として言った。
「君がいない間に、魔物がその数を増やしたんだ。時間を問わず、こうして街中にも姿を現すようになったことが多数目撃されている」
「!? 被害は」
「夜間に現れる魔物は、中級程度。上級魔物は君の前に現れた時以来出現していないから、被害は今のところ出ていない。だが、日が昇っている間の時間は初級魔物がよく街中で出没している。……この犬の見た目をした魔物のように」
その言葉に、恐る恐る魔物に目を向ける。
やはり円な瞳でこちらを見上げる子犬は、魔物特有の光が出ている以外は人間界にいる子犬と変わらない。
「……では、何のためにこの子はここにいるの?」
「分からない。封印したはずの魔物がなぜまた現れるようになったのかも、白昼堂々姿を現すようになったのかも……。ただ一つ分かることは、やはり魔物は太陽の光には弱いということだけだ。悪さをする魔物は夜間に出る中級魔物以上だけだから」
「初級魔物であるこの子は、やはり処分の対象、なの?」
「クゥーン?」
何の話をしているんだ、という顔をして首を傾げる子犬の姿に、この子まで対処しなければならないのかと戸惑う私に、エリアスもまた困ったような表情を浮かべて返す。
「……今のところ、魔法使いには初級魔物を排除するか否かは任されている。
が、意見は真っ二つに分かれているところだ。排除すべきという意見と、様子を見るべきという意見。
ちなみに、魔法を使えない者達には、安心させるために見つけ次第排除するという方向で説明している」
「どうりで、街の人達は皆事あるごとに魔物の存在を口にしていたというわけね。……では要するに、排除すべきという意見側としては、何かが起きる前に芽を摘んでおこうと?」
「そうなるな」
その言葉に、今日目の前で起こったことがぐるぐると頭を駆け巡る。
子供とそのお母さん、御者、そして、小さな身体で私を助けるために前に躍り出た魔物……。
「君は、どうしたい?」
「え……」
思いがけない言葉に顔を上げれば、エリアスがじっと私の言葉の続きを待っていて。
「私に、判断を委ねてくれるの?」
「あぁ。思うところがあるという顔をしているからな。
それに、この魔物を見つけたのは君だ。だから、君ならばどう対処する?」
「私は……」
相変わらずこちらを見上げる子犬の姿を見て、ギュッと拳を握った後、意を決して口を開いた。
「今すぐ排除すべき、ではないと思う」
この子は、私を助けてくれた。
「魔物全員が悪いわけではないと思うし、それに……、中級以上の魔物が魔法使いだけを狙ってきたり、初級魔物がこうして街中に現れたりするのにも、何か理由があると思うの」
甘いことではないと分かっている。けれど。
「私は、助けてくれたこの子を信じたい」
そこで顔を上げ、エリアスをじっと見て尋ねた。
「そんな私は、魔法使い失格、かしら」
そう尋ねた私に、エリアスは微笑み、口にした。
「……いや、俺もそう思っていた。現に、明確な敵意を表してこない魔物に、この一ヶ月の間で相当数出会っている。
最初に現れた時は、確かに排除すべきという思考が働いたが……、ふと我に返った時に、君ならばどうするかと思ったら身体が動かなかった」
「私?」
エリアスは頷くと、柔らかな笑みを湛えて言った。
「君と出会ってから、物事を広い目で見れるようになった。そして、今までの自分の視野がどれほど狭く、偏っていたかを思い知った。
だから、君と出会ったから俺は、変わることが出来た」
「……エリアス」
「ありがとう、アリス。俺は広い視野を持ち、冷静に判断することの出来る君の意見を尊重する」
その言葉に、胸にじんわりと広がるものがあって。
私はおずおずと口を開いた。
「……私、貴方にそう過大評価されるほど、優れてはいないわ」
「そんなことはない。ほら」
彼が視線を下に向ける。
すると、いつの間にか私の足元にその魔物はいて。
そうして私の足に戯れるように、その身体を擦り寄せてきた。
「……温かい」
勝手な偏見で魔物は冷たいと思っていたけれど、この子は確かに温かくて。
「魔物も、君が優しい人間だと分かっているのだろう。
……君は、人からも妖精からも、神や魔物にまで愛されるなんて凄いな」
そう呟くように口にしたエリアスの言葉に、私はどんな反応をすれば良いか分からず、ただすり寄ってきた魔物の頭をそっと撫でてみたのだった。