事件の黒幕
スラム街での人身売買組織の摘発の情報は、その日のうちにクッツフォルト子爵家の当主、ガンパ・クッツフォルトの耳にも入ってきた。
その組織には、ガンパも目を掛けており、利用させてもらった。
トラリア王国では奴隷の所持及び売買は禁止されているが、西のファンバルド王国では今も多くの者が奴隷として働いている。
ガンパは領地を持たない宮廷貴族であり、外交を担当している。
その権力を利用し、交易用の馬車の中に捕らえた人を詰め込み、ファンバルド王国の中で売りさばいた。
ファンバルド王国は魔力の適性のある人間がトラリア王国より少ないため、魔力の適性のある人間は非常に高く売る事ができる。
他にも、様々な貴族の子弟に声を掛けては、その者に話を持ち掛け、契約魔法で裏切らないように縛っては裏オークションに連れ出した。
行く行くは、それで儲けた金と、人脈を使い、先代のクッツフォルト子爵の悲願であった伯爵位と領地を得ようとしていたところだった。
「ちっ、まぁいい。手駒はまだまだある。それに、奴らは絶対に儂のところには辿り着かん」
ガンパは忌々し気な顔をしたと思ったら、そう言って余裕を見せた。
組織との指示や顧客には暗号を使って送っている。
その暗号の解読法は組織のトップにしか教えておらず、契約魔法により誰にも喋ってはいけないという魔法の他、無理やり情報を吐かされそうになったり、契約魔法を解除されそうになったら死ぬように呪いも掛けていた。
この呪いはトラリラ王国ではまだ知られていない、ファンバルフォ王国の呪術であり、それを解呪できる人間はこの世にはいない。また、暗号の聖典を使った解読法も普通の人間にはまず解読できるものではない。
解読できるとすれば、それこそ呪術の解呪法が確立されてからの話だ。
とはいえ、手駒の一つが潰されたことに腹が立たないわけがない。
こういう時は、地下にいる奴隷共を躾けするのが一番だとガンパが重い体を持ち上げ、椅子から降りて足を床に着いたその時だった。
なにやら足音がドタドタドタと近付いてくる。
「旦那様っ! 失礼します!」
「なんだ、騒々しい」
家令が珍しくノックもせずに執務室に入ってきたと思ったときだった。
彼の後ろからなだれ込んでくる騎士達の姿に、ガンパは何が起こったのか理解できなかった。
「貴様ら、ここを誰の屋敷だと思っている!」
「クッツフォルト子爵。国家人身売買法及び、安全保障輸出管理法、関税法、移民法、組織犯罪処罰法に違反している容疑が掛けられています。ご同行願えますでしょうか?」
「な、なんだとっ!?」
そこで、ガンパはようやく理解した。
どうやったかは知らないが、自分が関わっていることがバレてしまったらしいと。
だが、前述の通り、暗号が解読されたとは思えない。
「なんのことだ! 儂は知らん! 何のことを言っている?」
「スラム街において、人身売買組織が摘発されました。そこに、子爵が関わっている嫌疑が掛けられている」
「猶更知らん! 人身売買組織? そんなものに関わってはいない。証拠があったら持ってこい!」
ガンパはそう言い切った。
いくら騎士であろうとも、証拠も無しに子爵である自分を捕縛はできない。
そう思ったのだが――
「往生際が悪いですね、クッツフォルト子爵」
凛とした女性の声が聞こえてきた。
その声を聞いたとたん、ガンパの身体の震えが止まらなくなる。
(な、なんだ、この声は! 聞いたことがある! 一体誰が――)
その声に呼応するように、一人の女性が現れる。
騎士の鎧を身に包んだ薄紅色の髪の女性。
だが、騎士ではない、騎士にこのような高貴なオーラを出すことはできない。
一体、誰なのかとガンパは混乱し――
「あら、まだ気付かないのかしら?」
そう言って微笑む彼女の顔を見て、正体に気付いた。
「フレイヤ王妃っ!」
ガンパは慌ててその場に跪く。
「それで、子爵。何か言い訳があればここで聞きますよ?」
「はっ、言い訳もなにも、私には何が何やら……全く心当たりがないのです」
「バッサ・ロッテリートに掛けられていた契約魔法なら既に解除して、あなたから裏オークションに誘われていたことも聞いているけれど?」
ガンパの顔色が悪くなる。
だが、これだけならまだ大丈夫だと思った。
「はっ、確かに私は裏オークションに参加したことがあります。確かにバッサ・ロッテリートを誘ったこともあります。だが、そこで落札したことはありません。確かに組織販売処罰法に抵触する可能性はありますが、国家人身売買法? 安全保障輸出管理法? そんなものに関与しているとは言えません」
これは事実である。何故なら、ガンパは裏オークションを開催する側であり、落札する意味がないからだ。
バッサ・ロッテリートには、そのことは伏せている。彼もガンパが裏オークションの開催者であることは知らない。
そのため、バッサの証言のみではせいぜい罰金刑だけで済まされるだろう。
「まだシラを切るつもりですか? それなら、これはどうでしょうか?」
フレイヤは紙束を捨てるようにして跪くガンパに見せた。
そこに書かれていたのは、人身売買組織の顧客名簿――しかも解読されているものだった。
「なっ!? 一体、何故?」
「何故、解読されているのかって顔をしてるわね? この書類を見た人が三秒で解読したそうよ? 聖典を丸暗記していたんですって」
「そ……そんな……何かの間違い……」
聖典を丸暗記しているとしても解けるような暗号ではない。
「それと、組織のトップに掛けられていた呪術だったかしら? 既にその修道女によって解呪されたわ。減刑を条件に、ペラペラあなたの悪事を話してくれたわよ。本当に人徳がないわね」
「ぐっ――」
ガンパはわけがわからない。
一体、何者なのだ、その冒険者というのは?
誰にも解けないと思っていた暗号を一瞬で解読し、さらにはこの国の人間には解けないような呪いを解いてしまうなんて。
まさか――
(聖女が既にこの国に――っ!?)
ガンパの中で一つの結論が出た。
聖女であれば、天啓により解読法を授かっていても、解けるはずのない呪いを解いていても不思議ではあるが納得できる。
急ぎ、このことをあの方に伝えなければ――と思うが、目の前の王妃の隙を作る事ができるかどうか。
「あら、もう降参? あなたの罪を考えれば、もっと足掻いてくれてもよかったのですけど」
そう言ってフレイヤは、蔑むような目で彼を見下ろした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
騎士達に連行されていくガンパを見送ったフレイヤは、さっきまでガンパが座っていた椅子に座り、一人残った騎士に声を掛ける。
「これでよかったかしら?」
「ええ、助かりました。感謝します」
そう言われた騎士は兜を脱ぐ。
「本当にカッコよくなったわね、バルシファル。あなた、そのまま私の親衛隊に入らない?」
「丁重にお断りします、フレイヤ王妃」
「私の誘いを断るなんて、陛下とあなたくらいね。公の場じゃないんだから、私の事は姉上って呼んでいいのよ?」
「誰が聞いているかわかりませんから」
バルシファルはそう言って肩を竦めた。
「あら、残念」とフレイヤは言うけれど、本当に親衛隊に入ったり、姉上と呼ばれることを期待していたわけではない。
「ところで、教えてくれるかしら? 一体、どうやって呪いを解いたの? 暗号文を解読してわかったけれど、あの呪いは簡単に解けるものではないわよ?」
「それが、一体なんのことやら。誰が解いたかは心当たりはあるのですが、呪いを解いたことには全然気付かなかったもので。おそらく、気絶している支配人に、応急処置のついでに呪いを解いたのでしょう」
「その人は、暗号を解いた人と同一人物なのかしら?」
「ええ、とても面白い人ですよ」
バルシファルが含み笑いをすると、フレイヤもつられて笑う。
「あなたがそこまで言うなんて珍しいわね。もしも女の子だったら、是非結婚して私の義妹になってもらいたいぐらいだわ」
「おや、シャルド殿下の妻に――とは言わないのですか?」
「流石に、あの子の妻に平民は難しいわよ。それに、あの子は既に好きになっている子がいるみたいだしね。妾としても難しいわ」
シャルドのルシアナへの気持ちは明らかだ。
彼女には決していい噂はないが、シャルドが気に入っているのであればそれでいいとフレイヤは思っていた。
(それに、少しやんちゃな子の方が、調教のやり甲斐があるものね……ふふふ)
不敵な笑みを浮かべるフレイヤに、バルシファルは一言「ほどほどに」と呟くのだった。