立派な冒険者のシア
ヴォーカス公爵令嬢、ルシアナ・マクラスは十三歳になった。
幼さが少し残るものの美しく成長した彼女は、現在――
「マリア、あなたは何度同じことを言えば気が済むのかしら? 私は新鮮なパースィの実が食べたいと言ったのですよ。何故その程度用意できないのですか?」
「しかし、お嬢様。パースィの実は秋の果物で、春には手に入らないのです。干した物ならあるのですが」
「まぁ、見習いの分際で口答えをするの?」
立派に悪役令嬢をしていた。
ルシアナが八歳になる少し前に、侍従長であったステラが退職したころから、ルシアナは徐々にその悪役令嬢っぷりを開花させていった。
とはいえ、彼女が暴言を吐くのはマリアに対してのみ。
マリアを虐める演技をすることで、他の使用人たちに精神的苦痛がいかないよう、最大限心がけている。
具体的には、ルシアナ手作りのリラックスできるスコーンを、誰が作っているのかは内緒で控室に常備配置。交代で使用人旅行の実施等、福利厚生に力を入れた。もちろん、それによりルシアナの評判を高めないように、全て父であるアーノルが指示しているかのように偽装して。
ただ、それでも問題は起こる。
「あなた、お嬢様に随分と嫌われているみたいじゃない。私もあなたを虐めたら、お嬢様に喜ばれるかしら?」
最近入ったばかりのとある商家の娘だった侍従が、そう言ってマリアに微笑み掛けていた。
虐められている対象を見つけたら、自分も虐めても構わないという人間である。
ステラに教育されていた使用人たちはまずそんなことをしないのだが、ステラがいなくなった後に新しく入ってきた使用人のうち、だいたい二割くらいはこういうタイプの女性だった。
だが、そういう者がいるとわかると、キールからルシアナに連絡が入り、ルシアナは急ぎ駆けつけてこういうのだ。
「あら、あなた、私の玩具を壊そうと言うの? 別に壊しても構わないけれど、そうなったら次はあなたが私の玩具になってくださいね」
それはもう満面の笑みで。
こうすると、絶対に虐めは起こらない。むしろ、積極的にマリアのフォローをするようになる。
この新しい侍従も恐怖で首を振り、
「いえ、私はそのようなことは……し、失礼いたします!」
そそくさと立ち去る。
「優雅さに欠けますわね――公爵家の使用人として教育を施すように侍従長に言わなければいけません」
と言うと、ルシアナは周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、
「マリア、大丈夫でした?」
と小声で尋ねる。
その顔には、先ほどまでの悪役令嬢の顔は一切なく、万人を慈しむ聖女のような姿であった。
マリアは呆れた声で言う。
「お嬢様、自室以外で素を出さないでください。誰かに見られたらどうするのですか」
「……ごめんなさい……ごほん。マリア、口答えするつもりなの! いいわ、私の部屋にいらっしゃい!」
ルシアナはそう言い放ち、マリアを部屋へと連れて行く。
マリアを部屋に連れ込む前に、「誰も入ったらダメよ!」と言い放ち、中に入る。
「本当に大丈夫ですよ、お嬢様。最近は、私を虐めたらお嬢様の新しいターゲットにされるという噂が広まっていて、情報に疎い新人しかあのようなことはしません。それに、そういうことをする可能性の高い者が雇われた時は、キールさんがしっかり見張っていてくれますから」
「そうですか――ねぇ、マリア。もしもあなたが辛くなったら――」
「やめてください、お嬢様。私は今の生活が結構気に入っているんです。こうしてお嬢様の部屋にいる間は、自分のしたいこともできますし」
とマリアはそう言って、棚から本を一冊抜き、栞の挟んでいるページを開く。
「今日はお出かけの日ですよね? 私はここにいますから」
「ありがとう、マリア。じゃあ、出かけてくるわね」
ルシアナはそう言うと、化粧を落とし、修道服に着替える。
そして、最近ようやく腕に嵌められるようになった髪の色を変える腕輪を装着し、マリアが本を取るときに偶然発見した本棚の後ろの隠し通路から外に出る。
冒険者修道女、シアとして。
ステラがいた頃は、彼女の許可を得て出かけていたが、彼女が退職してからは、こうして皆に黙って出掛ける。
「お嬢様、いってらっしゃいませ」
白髪が混じり始めたトーマスは、年齢のため戦闘業務を引退し、いまは馬の世話と庭の手入れを任されていた。
トーマスに見送られ、裏庭からこっそり屋敷を出たルシアナは、少し速足で王都を歩く。
(ファル様、今日はいらっしゃってるでしょうか?)
そんなことを考えながら、大通りを進んでいると、そういえば、バルシファルが美味しい紅茶の茶葉を売っている店があると言っていたことを思い出した。ちょうどこの近くだった。
どうせなら、そこの茶葉を買って行こうかなと、ルシアナは通りを脇に逸れる。
そして、店を探して歩いていると――ふと視界の端、路地裏にいた二人の男の姿が目に入り、足を止めた。
「あの、何をなさっているのですか? もしかして、恐喝でしょうか?」
男の内一人はナイフを持って、もう一人は財布を出している。
恐喝現場にしか見えないが、もしかしたら借金を踏み倒そうとしている男に、金を貸している男がキレただけかもしれない。
念のため、ルシアナはそう尋ねた。
「ちっ、余計な目撃者が増えちまいやがった。おい、騒ぐなよ。騒げばぶっ殺すからな」
「ナイフで刺されて殺されるのは嫌ですね。痛いですし苦しいです」
経験者は語る。
そして、ルシアナは男の手を見た。
「その手、怪我をしているんですか?」
「ん? あぁ、さっき路地に入るときに出ていた釘に引っかかって――って、余計なことを喋るんじゃねぇ」
「待ってください、今回復魔法を掛けますから」
ルシアナはにっこりと微笑んで近付くと、男は多少警戒するも何も言わない。
そして、ルシアナは男の手に回復魔法をかけた。
「ペインヒーリング」
すると、男の手の傷が綺麗に塞がっていく。
「お、おぉ、なんだ、すげぇじゃねぇか」
「失礼します――えいっ」
ルシアナはそう言うと、男の手を強く抓った。
すると――
「ギャァァァァァァっ!」
男は大声を上げてその場に倒れ――さらに、
「ガァァァァァァアっ!」
泡を吹いて気絶した。
鎮痛魔法の応用で、痛みを増幅させる魔法を使ったのだ。
男は現在、普通の痛覚の五十倍の痛みを感じるようになっている。倒れた時に背中を強打した時の痛みに耐えきれなかったようだ。ちなみに、この痛みの増加魔法の効果時間は最大六時間まで調整できるが、現在は既に効果が切れている。
「ありがとうございます、助かりました」
「いえ、困っている人を助けるのは冒険者の責務ですから。それより、彼が目を覚ます前に、衛兵を呼んできてもらえますか? 証言もしてもらえると助かります」
「わかりました」
被害者の男は急いで衛兵を呼びに行くと、ルシアナは倒れている男の後頭部や背中、尾骶骨部分などを確認し、倒れたときに後遺症の残るような怪我をしていなかったか確認する。幸い、それらは無事のようだ。
「全く、大した手際の良さだな、お嬢様は」
「見ていたなら助けてくれてもよかったんですよ、キールさん」
「別に、この程度なら助けは必要ないだろうと思ってな。正解だっただろ?」
いつの間にか現れた護衛のキールが、持っていた縄で男を縛っていき、「この男、凶悪犯につき」と書かれた木札をぶら下げる。一体、どんな目的で用意していたのか。
「じゃあ、お嬢様は――と、失礼!」
突然、キールは何かに気付き、姿を消した。
すると――
「え? シア?」
「ファル様っ!?」
そう言って現れたのはバルシファルだった。
何故、バルシファルがここにいるのか? という疑問には、直ぐに彼が答える。
「凄い叫び声が聞こえて駆け付けたんだけど――」
バルシファルの視線の先には、「この男、凶悪犯につき」と書かれた木札と共に縛られた男が。
(あ、もしかして、これ、私が一人でやっつけたと思われていません? 狂暴なのは男よりもむしろシアの方じゃないか? とか思われる可能性がありませんかっ!?)
きっとバルシファルは、たまたま通りがかっただけと判断してくれる――そんな淡い期待を胸に抱いたが。
「これ、シアが一人でやっつけたのかい?」
直ぐに胸から零れ落ちた。
「えっと、私がやっつけたのではなく、倒れて痛みで気絶しただけというか……」
「背中を打っただけにしては泡を吹いた痕もあるようだけど」
「それは――えっと、その……」
ルシアナはなんとか誤魔化そうとするが、実際に一人で倒している。
正直に話そうかと思ったときだった。
「修道女様! 衛兵さんを連れてきました! 衛兵さん、彼女が僕を助けてくれた修道女です。あっという間に男をやっつけて」
「話には聞いたが、君が指先一つで男を気絶させたという修道女かっ!? とてもそうには見えないが」
「本当ですよ。彼女に腕を捻られただけで男は悶絶したんですから。凄い怪力の持ち主なんですよ」
こんなところをバルシファルに聞かれるなんて――
ルシアナは恥ずかしくて死にたくなった。
この後、一緒に冒険者ギルドに行くとして、一体どんな顔でいたらいいのかわからない。
もう、今日は帰ってしまおうか――そう思ったときだった。
「君、淑女に対してそういうのは失礼だよ。彼女も恥ずかしがってるじゃないか」
バルシファルが被害者の男に言い、倒れている男の様子を見る。
「見たところ外傷もないようだし、シア、魔法を使ったのかい?」
「はい……痛みを増幅させる魔法を――」
「ということです。衛兵殿、街中での攻撃魔法は禁止ですが、緊急時における防衛及び自衛の手段であり、周囲に被害の出ない無放出魔法であったこともあり、彼女の魔法の使用は適当だったと思われますがいかがでしょうか?」
「あぁ、君の言う通りだ。シア殿、犯人の捕縛感謝します」
「では、我々は王都南部の冒険者ギルドに行きます。必要ないとは思いますが、何か事情聴取に必要な案件がございましたら、冒険者ギルドにご連絡下さい」
バルシファルがそう言って冒険者カードを見せると、衛兵は敬礼し、「はい、協力感謝します」とすんなり二人にこの場から離れる許可を与えてくれた。
バルシファルの手際の良さに、ルシアナの汚名(?)を一瞬にして晴らしてくれたことに、そして何より、ルシアナのことをちゃんと理解してくれていることに感動した。
「ファル様、ありがとうございます」
「いや、礼を言われるのは私じゃない、君の方だろ? 振り返ってごらん?」
「え?」
ルシアナが振り返ると、先ほど助けた男が、深く頭を下げていた。
「困っている人を助ける――シアは立派な冒険者だよ」
「はいっ!」
ルシアナは思っていた。
バルシファルが捜している金の貴公子だったら、どんなに幸せかと。
でも、最近はこうも思うようになってきた。
たとえ、バルシファルが金の貴公子でなかったとしても、彼と一緒に冒険者を続けていきたいと。そして、その思いは日を追うごとに段々と強くなっていく。
「ところで、シア。前に話していた茶葉の店、この近くだったから買ってみたんだけど、冒険者ギルドで一緒に飲もうか」
「はい、是非!」