シアの薬屋さん(後編)
往診に行くならと、ルシアナは一時間ほど待ってもらい、便利で安価な魔法薬を何種類か作って、鞄に詰めた。
動くたびにガラスがぶつかり合う音がする。
バルシファルは結局、今日は来なかったらしい。
ルシアナも数日に一度しか来られないのと同じで、彼も毎日来るわけではないし、会う約束もしていない、というか、いつ屋敷から出られるかわからないので約束できないから、こういうことが多い。
最初に訪れたのは、冒険者ギルドからほど近い集合住宅の一室だった。
扉をノックすると、七十歳くらいのお婆さんが顔を出した。
「おや、ルーク坊。なんのようだい? こんな可愛い修道女様を連れて」
「ツングさんが腰を痛めたって聞いて、良い薬を持って来たんですよ。シアくん――」
「はい」
鞄から最下級ポーションと湿布用の布、包帯を取りだす。
「ルーク坊、いくらなんでも魔法薬なんて買えないよ」
「大丈夫です。このポーションは効果は低いですが、その分価格も控えめで――」
ルークが最下級ポーションの値段を伝えると、お婆さんは「その値段なら試してみても悪くないね」と笑って言った。
奥の部屋に通してもらうと、そこには、片腕のないお爺さんが椅子に座っていた。
「誰かと思ったら、ルーク坊だったか」
「こんにちは、ツングさん。腰はどうですか?」
「あぁ、オーガに腕を吹っ飛ばされたときに比べたら大したもんじゃねぇよ――いたたたたっ」
豪快に笑ったツングだったが、直ぐに腰を摩る。
相当悪化しているようだ。
「無理しないでください」
ルシアナが手を添えて言う。
「ん? なんだ、この小っこいのは。ルーク坊の嫁さんか?」
「んなっ!」
「ははは、そうだと嬉しいんですけど、残念ながら、シアくんには何回も振られているんですよ。これだけ頼んでも袖にされたのは生まれて初めてです」
とルークがその冗談に乗っかって笑って言う。
「振ったって、ギルド職員の勧誘の話ですから! 告白されていませんから!」
「じゃあ、告白したら結婚してくれるのかい?」
「えっと、いえ、それは……」
「ほら、やっぱり振られた」
揶揄われているということはわかっているけれど、男の人に告白されるなんて生まれて初めてで、ルシアナはしどろもどろになってしまった。
「それで、ルーク坊。この薬はどうやって使えばいいんだい?」
「シアくん」
「あ、はい。まず、この布にですね――」
とルシアナは最下級ポーションの使い方をお婆さんに教えた。
そして、早速使ってみる。
「あぁ、これはいい。本当に気持ちいいよ。痛みが和らいでいくよ」
「湿布薬は六時間したら効果が無くなりますから、外したあと、水でよく拭いて下さい」
「あぁ、わかった。ありがとう」
お礼を言われたルシアナは思った。
もし、ここで特級回復魔法のフルヒールを使えば、彼の失われた腕も元に戻せるのではないかと。
だが、それはできない話だった。
ポーション作りで魔力を消費しているため、万全な状態ではないという意味ではない。
特級回復魔法は、今のルシアナには荷が重い魔法だ。
アネッタの時は鼻血が出る程度で済んだが、一歩間違えれば、ルシアナ自身も死に至る魔法である。
『人間には、領分というものが存在する。それを越えてはいけないと、私はいいません。ですが、領分を越える危険性を考えて行動しなさい』
かつて、ファインロード修道院の修道長に言われた言葉である。
「シアくん、次のところに行こう。それでは、ツングさん、お大事に」
「はい、ルークさん」
ルークとルシアナは次の患者がいるところに向かった。
「あまり驚かなかったね」
「ファインロード修道院は、十年前の旧トールガンド王国との国境沿いだった場所にありますから、戦争による怪我人が多かったんです。回復魔法や回復薬の手に負えない怪我に悩んでいる患者も多くいました」
「あぁ、あそこはトールガンド解放軍から侵攻を受けていたからね……僕はまだ冒険者ギルドにも所属していない子供だったが、凱旋門を通って帰還した負傷兵の姿は今でも覚えているよ」
そう言って、ルークは脇道に入り、細長い空を見上げて言った。
治療をしたのは七人程だった。
一応用意しておいた二日酔い用の最下級解毒ポーションもほとほどに売れたが、それ以外の薬はあまり売れなかった。子供用のシロップ薬の出番はなかった。
全員、元冒険者を引退した人間だった。
年齢はバラバラで、ツングのようなお爺さんもいたら、四十歳くらいのおじさんもいた。
女性がいなかったのは、冒険者という職業柄、担い手に男性が多いからだろうと思われた。
「冒険者っていう職業は寿命が短い。十代で冒険者になった人間の大半は三十を迎える前に引退する。自分の実力に限界を感じて職を変える人もいたら、限界を感じる前にその時を迎える人もいる。ツングさんは例外かな? あの人は六十を超えるまで現役で居続けた。とても素晴らしい人だったよ」
「今も素晴らしい人ですよ。ちょっとセクハラが多いですけど」
「はは、そうだね。うん、そうだ。シアくんの言う通りだよ」
ルークは、それでも何かを惜しむようにそう言った。
最後に訪れたのは、王都の外だった。
「ルークさん、こんなところに患者がいるんですか?」
「いや、ここにはいないよ。でも、シアに会いたいって言う人がいてね」
「私に?」
門を出ると、そこにいたのは、行商隊だった。
その行商隊のリーダーらしき男性は、シアの前に立つと、帽子を脱いで頭を下げた。
突然のことに、なんで頭を下げられているか理解できない。
「シア様ですね。私は海の民の商人、バズと申します。先日は、我々の同胞の治療をしていただき、誠にありがとうございます。ようやく、皆の治療も終わったので、これから祖国に戻るところだったのです。最後に、こうしてシア様にお礼を言えてよかった」
「お姉ちゃん!」
バズが話している横を通り抜けるように、一人の少女が走ってきた。
その子の顔には見覚えがあった。
最初にルシアナが治療をした女の子だった。
怪我による熱に浮かされながら『お母さん』と呼んでいたのを覚えている。
「お姉ちゃん、怪我を治してくれてありがとうございました」
「どういたしまして」
そう言って、ルシアナは、少女の後ろに立っている女性をチラリと見た。
「お母さんには会えた?」
「うん!」
「そう、よかったね」
ルシアナはそう言って、女の子の頭を撫でた。
行商人たちはルシアナが見えなくなるまで、手を大きく振っていた。
「ルークさん――今日はこのために?」
「ああ。バルシファルくんには、今日は冒険者ギルドに来ないようにお願いしていたんだ。君が冒険者ギルドに来るかどうかはわからなかったけれど、来てくれてよかったよ」
「みんな笑っていましたね」
この旅は、彼らにとっていい思い出だとは絶対に言えないだろう。
多くの人が死んだ――殺された。
それでも、彼らは笑っていた。
生きている限り、人は笑うことができる。
そんな当たり前のことを思い出させられて、ツングの腕を治せないことに後悔している自分が馬鹿のように思えた。
「領分の中で頑張ればいい」
「ん? どういう意味だい?」
「ルークさんはもう少しギルド長として頑張ってくださいっていうことです。そろそろ帰らないと、エリーさんに怒られますよ」
「うっ、確かにそれは困る。じゃあ、帰ろうか」
そして、二人は王都へと戻っていった。